コンクール用

□天使の配達
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「ジュンペイ! 見てください」
 大学のテラスでコーヒーをすすっているとニコニコ顔のマックスが胸に箱を抱えて俺に近づいてきた。目の前の椅子に腰かけると彼は持ってきた箱の中に入っていた手紙や小包をテーブルに並べ、書かれた地名を口に出していく。

「ロッテルダムはオランダ、ゴータはドイツ、シャルルワはベルギー、ベルンはスイス――そして、ストックホルム!」

「おいおい、ヨーロッパ全域だよ」
 冬の休みの間、マックスはスイスに一時帰国する予定だ。留学生の多いこの大学の学生の中に故郷に何か届けたい人がいるかもしれないと言って、近くの国になら代わりに配達しますという張り紙を学校の掲示板に貼ったのだ。

「せっかくの休みなのに、忙しいな」
 行くのは俺ではないのに、面倒を抱えたようにごちる。マックスはなぜか動きを止めて、じっと一つの手紙を見つめていた。

「どうした? 行けそうもないか?」
 俺の問いに顔を上げ、マックスは来た時と同じ笑顔で答えた。

「大丈夫です。一ヶ月ありますから行けそうもない、なくない…行けるでしょう」

「でしょうね、大天使ガブリエル様なら」
 面白半分にはやし立てると、数日前の出来事を思い出したようにマックスは眉をひそめ「僕は天使ではありません」とつぶやいた。

「ガブリエルって名前、かっこいいじゃん」
 少し冷たくなったカップをテーブルに置いて頬杖をついた。星野順平。もう少し格好良くならなかったものか。

「ガブリエルは祖父の方の名前です。スウェーデン人のファミリーネームにはガブリエルという名前が多いのです」

「じいちゃん、スウェーデンの人なんだ。じゃ、マックスはクォーター?」

「クォーターって何ですか? ゲームですか?」
 確かにゲームの中の四分の一の節をクォーターと呼ぶし、準々決勝をクォーターファイナルと言うが、今はゲームの話をしていたわけじゃない。
 だが、マックスに通じないのはわかる。ハーフやクォーターという血筋を表す言い回しは和製英語なのだろう。ヨーロッパは小さな国が入り乱れている。父方と母方、祖父と祖母の国が違うなど珍しくもないのだ。
 なんでもないという風に手を払うと、マックスは右手に持った手紙を大事そうに撫ぜながら言った。

「祖父はストックホルムにいます」

「へぇ、元気なんだ?」

「いえ、ストックホルムに、いました。今はいません」
 寂しそうな顔をして口を動かすマックスを見て、俺は話を続けることができなかった。おじいさんと何かあったのか、思い出したくないこともきっとあるだろう。
 他の話題に切り替えようと一つの小包を寄せる。

「ベルンか。スイスに帰るのは一年ぶりだろ。楽しみだな」

「はい。父も母も喜んでいます。父の経営するスキー場はまだ忙しいと思うから、僕は仕事を手伝いたいです。それに母の作ったロシュッティはとてもおいしい。早く食べたいですね。ジュンペイも、一緒に帰りますか?」

「は?」
 口を開けたまま驚きに固まっていると故郷を想うマックスは一人、また他の世界に行ってしまった。

「帰るのは僕ですね。ジュンペイは帰るのではなくて、来る、じゃなくて行く? 訪れる?」
 俺が説明する義理はない。マックスの日本語の世界に救いの神はいないのか。いや、天使ならいる。迷子の大天使ガブリエルが。

「どれですか?」
 マックスのキラキラとした瞳が俺を凝視する。勉強に熱心なのは結構だが、俺は教師ではないし、日本語の世界の神でもない。
 柔らかそうなふわふわの髪を揺らし、はっきりとした二重の目を期待に輝かせる。

「俺は行きません!」
 そう断言すると、マックスは少し残念そうに目を伏せ、うんうんと首を振っていつもの言葉を口にした。

「あっ、そう」
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