風絶幻夢 下

□第四拾壱幕
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慶応三年、六月。
善立寺に三ヵ月ほど滞在した御陵衛士は、高台寺(こうだいじ)にある月真院(げっしんいん)へと移った。
伊東は毎日のようにどこかへ出かけている。
衛士たちの噂で、土佐藩士と会って話しているのだと聞いた。
土佐藩は、元々新選組と敵対していた組織。
伊東がその人たちと話しているということは…。
御陵衛士は、新選組に対して敵対行動をとろうとしているのだろう。
新選組の隊士と御陵衛士の接触は、硬く禁じられていた。
夜尋にはその理由がよく分からなかったが、今は分かる。
表向きはあくまで味方同士であったが、もうそんなことは言ってられない。
きっと近いうちに、新選組は御陵衛士を潰しにかかるだろう。
「…そうなる前に、こちらから手を打つべきだ」
出かけている伊東以外の衛士全員が一部屋に集まった夜。
服部が、近藤局長の暗殺計画を打ち出した。
他の面々も、彼の言葉に頷く。
「ですが、伊東さんは反対していました」
その中で、斎藤が反論した。
「何も殺しまですることはないと思う」
平助もそう意見する。
「だが、殺さなければ我らが殺されるのだ」
「伊東さんの判断に従うべきです」
服部と斎藤が口論を始めた。
きっと服部たちは、わざと伊東さんが出かけている時を狙ってこの話を持ちかけたのだろう。
その場に伊東がいれば、きっと近藤の暗殺に反対する。
斎藤は相変わらず、頭領の判断を最優先すべきだと言う。
新選組に居た頃も、彼は近藤や土方に従順だった。
「……」
部屋の隅で、夜尋は他人事のようにそれを見つめる。
いつかこうなるだろうとは予感していた。
新選組と御陵衛士が仲良くするのは無理だろうと。
…新選組に殺されるかもしれない。
『ここを出て、御陵衛士もとっととやめちまえ』
ふと、夜尋の脳裏に土方の声が浮かんだ。
彼なりに、夜尋を逃がそうとしてくれていたのだろうか。
「…そうだな」
夜尋は小さく呟く。
こんなところ、早く出て行ったほうがいい。
早く桂を探しに行ったほうが…。
「……」
…だけど、ここには平助がいる。
天秤にかけるもの同士が、夜尋には重過ぎた。




数日後、夜尋と平助は先日の衛士たちの口論を伊東に話した。
思想の違いは、意図せずとも互いを敵対させてしまうこと。
「…そうですか」
伊東は影を落として俯く。
「君たちは、どう思いますか」
彼の視線がこちらへ向けられた。
「…あたしは」
夜尋は戸惑うように目を泳がせ、俯く。
「近藤さんを、殺したくはないです」
何故だか、伊東の目を見て言うことはできなかった。
近藤を殺したくないのは本心。
だけど服部たちは、殺さなければ自分たちが殺されると言う。
伊東にだって死んでほしくはない。
「……」
平助は何も言わず黙り込んでいた。
きっと彼の中は、夜尋以上に乱されている。
どうして、平助がこんな顔をしなければいけないのだろう。
彼の悲痛な顔は、もう見たくないのに。
時代の流れは、揺れ惑う船をかき乱す。
その船は、どこへ向かい、どこへ行くのか。
掬い上げることは、できるのだろうか…。
「…やはり、私に人の統率は向いていなかったようですね」
沈黙に沈黙を重ねるような伊東の声。
諦めたようなその声に、夜尋は歯を食いしばった。
何も言えない、何もできない。
だけどせめて、守りたいものだけは…。
「藤堂くん、緋月さん」
伊東が二人の顔を上げさせる。
「何かあったら、鴨川沿いを北上してください」
「鴨川を…?」
夜尋と平助は同時に首を傾げた。
鴨川は、この近くにある大きな川だ。
「…覚えておいてください」
伊東は理由を何も話さず念を押す。
「……はい」
意味が分からないまま、夜尋は頷いた。
その隣で、平助はまた考え込んでいる。
この状況で、いつものように"笑って"や"話して"は言えない。
それでも、我侭(わがまま)な自分は思ってしまう。
お願いだから、もう悩まないでと。
そして、欲張りな自分は思ってしまう。
平助だけがいればいいから、自分だけを望んでほしいと──。
 

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