風絶幻夢 下

□第四拾弐幕
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十一月十八日、濃紺の夜空にくっきりと月が浮かぶ深夜。
その日も、伊東は夜遅くまで出かけていた。
「…また伊東さんは土佐の藩士と会合を開いているのか」
再び、御陵衛士が一部屋に集まっている。
出かけている伊東さんと、ここ数日姿を見せなくなった斎藤を除いて。
衛士たちも、少し前までは彼を気にかけていたが、今はもうそれどころではない。
「……」
各々が、それぞれの沈黙を落とした。
思うことは、きっとばらばらだろう。
殺したい、殺されたくない。
もう、終わりにしたい。
欲望と理性の葛藤。
呼吸の音が、全てを夜尋に伝えているようだった。
吐き気を誘うような、濁った空気。
「今夜、決行する」
沈黙を破ったのは、服部の声。
何人かがその一言で顔を上げる。
服部を見るその目は、賛成の色を表していた。
「──行くぞ!!」
服部率いる数名が立ち上がる。
決行とは、新選組局長の暗殺計画のこと。
伊東は決して賛成しなかった。
だから服部たちは、無断で今夜、近藤を殺しに行く。
西本願寺の造りに詳しい御陵衛士なら、簡単に潜り込める。
同時に、局長室へ行くことも容易い。
「……」
頷き合って部屋を出て行く衛士たちを横目に、夜尋は平助を伺った。
「…っ」
表情に迷いを残しながら、彼も立ち上がる。
平助は、この道が正しいとは思っていない。
だけど、どの道が正しいのかも見つけられていない。
今はただ、着いて行くことしかできないのだろうか。
「…平助」
夜尋の小さな呼びかけは、彼の耳には届かなかった。
困惑に揺れる平助が、心配で仕方ない。
「………」
平助は衛士たちに続いて出て行く。
夜尋もその後ろを追いかけた。



暗闇の中を駆け抜ける。
静寂に包まれた街に、複数の足音が響く。
衛士たちから少し離れたところを夜尋は駆けていた。
「……」
このまま、ここを出て行こうか。
闇に紛れて、どこかへ逃げてしまおうか。
そんな気持ちが、走る足を遅くする。
「…でも……っ」
夜尋は初めて、自分の中の葛藤に気付いた。
前を走る、平助の背中。
栗色の髪を乱雑に揺らして、彼は少しずつ離れていく。
「っ…!」
その時、通り過ぎようとした路地裏に人影を見つけた。
「…斎藤!?」
普通なら見つけられるはずのない人物。
気配の無い、宵闇に紛れて消えそうな存在。
「緋月さん…」
どうして自分は、今彼を見つけられたのだろう。
何故、気付くことができたのだろう。
…きっと、気付かなければいけなかったからだ。
「!…平助っ」
急いで向き直るも、そこに平助たちの姿は無かった。
すでに彼らは走り去っている。
「西本願寺に、近藤さんはいませんよ」
斎藤の落ち着いた声に、夜尋は振り返った。
「なんで…」
疑問がいくつも浮かび上がる。
どうして、ここ数日姿を消していたのか。
どうして、近藤が西本願寺に居ないと知っているのか。
どうして、今ここにいるのか。
「私は、密偵として御陵衛士に居ましたから」
「!?」
夜尋は目を見開いた。
「…密偵……?」
少し懐かしくも思える言葉に、夜尋は息を呑む。
「土方さんの命により、御陵衛士の内容を新選組に伝えていました」
斎藤は無表情に告げた。
「じゃあ…」
御陵衛士が近藤を暗殺しようとしていたことは、斎藤を介して新選組に筒抜け。
「……伊東さんは…?」
局長が殺されると知ってじっとしている新選組ではない。
必ず早急に手を打つはず。
「伊東さんは今夜、近藤局長に呼ばれて宴席へ」
「!!」
刹那、夜風が夜尋の髪を揺らし、吹き抜ける。
ざぁっとなびいた風の音が、やけに煩(うるさ)かった。
「…油小路(あぶらこうじ)です」
風が落ち着くと同時に、斎藤が言う。
「平助を助けるなら──」
「──っ」
言い終わる前に、夜尋は駆け出していた。
路地裏に駆け込み、油小路通りへ向かう。
一歩一歩が、とても遅く感じられた。
「…っ」
夜尋は近くに積み上げてあった米俵を踏み台に、屋根の上に飛び上がる。
そのまま、民家の屋根伝いに駆け出した。
油小路通りは、西本願寺のすぐ近くにある。
新選組の屯所へ向かった御陵衛士たちなら、そこを通りすがるだろう。
「平助……っ」
体の震えを噛み殺し、油小路までの最短距離を走り抜けた。
ただ一人の、無事を願って───。
 

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