風絶幻夢 下

□第四拾五幕
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晴れ渡る青空を、桜の花弁が舞う。
明治三年、四月。
江戸幕府が滅び、新政府が天皇を中心とした国家を築いてもうすぐ一年。
二百六十年余続いた江戸が終わり、時代は明治へと移り変わる。
幕末という動乱の名残を残し、穏やかな時代が訪れた。
──油小路事変から、約二年と五ヵ月。
夜尋は、桂と行動を共にしていた。
彼は"木戸孝允(きどたかよし)"と変名し、明治政府の重要人物となる。
その隣で、夜尋は新選組についての様々な情報を耳にした。
彼らが旧幕府軍として戊辰戦争に参加したこと。
近藤が処刑されたこと、土方が函館で戦死したこと。
懐かしい人たちの死に、何度も心が動揺した。
それでも、夜尋は決して泣かず、耳を塞ごうともしなかった。
───見届けると、決めたから。
「久しぶりだな…」
そして今夜尋は、東京にいる桂の元を離れ、京都にいる。
長い間世話になった彼に別れを告げ、この場所へ帰ってきた。
「……」
久しぶりに踏みしめる地に、懐かしさを感じる。
建物はほとんど同じなのに、雰囲気だけ変えてしまった街。
もうここに、彼らはいない。
けれど、目を閉じれば聞こえてくる。
遠き日の喧騒、駆け抜ける足音、刀の独特な金属音。
思い出は、鮮やかなまま蘇ってきた。
「……ここに…いるよ、あたし」
空を仰ぎ、空虚に言葉を投げる。
「平助は…どこにいるの」
君は今、どこで何をしているのだろう。
君に会うため、君を探すためだけに、ここへ帰ってきたのに…。
「……」
着物の裾を風に乗せて、薄紅色の景色の中を歩いた。
最後に桂にもらった、薄紫色の上等な着物。
桜と紅葉が染められた不思議な柄だが、違和感を感じさせない美しさを持つ。
伸ばした髪を綺麗に結わえ、煌びやかな簪で飾って。
壬生寺の前を、ゆっくり通り過ぎる。
境内からは、子供の遊ぶ声が聞こえてきた。
そのまま大きな通りまで出て、次は西本願寺へ向かう。
記憶がはっきり残っている、歩きなれた京の街。
昼間の通りは、たくさんの店や人で賑わっていた。
そんなざわめきの中を、夜尋が歩いていたとき──。
「──ぅおっと」
すれ違いざま、大きな体格をした男とぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさい」
「痛ぇじゃねぇの、お嬢さん?」
軽く頭を下げて再び歩き出そうとする夜尋の腕を、男がつかんでくる。
「っ…おい」
夜尋は呆れて振り返り、勢い良く男の腕を振り払った。
「!?」
簡単に振り解かれ、男は一瞬驚いた顔を見せる。
が、その口角はすぐにまた持ち上げられた。
「…随分礼儀知らずな娘だな」
「どっちが…」
見下ろし、見上げながらにらみ合う男と夜尋。
…全く、時代が変わっても不逞浪士は変わらないな。
退屈しのぎに日々を持て余して、何が楽しいのか。
「可愛げのねぇ…」
呟きながら、男の右手が腰の刀に伸びる。
「っ…」
牽制(けんせい)か、本気か。
どっちにしろ抜くだろうな、と夜尋は思った。
今はこんな奴の相手をしている場合ではないのに…。
「──おい、そのくらいにしとけ」
その時、後ろから夜尋の肩に何者かが片手を乗せた。
「っ!?」
聞き覚えのある声に、夜尋は瞳を見開く。
「なんだてめぇ…」
男が不愉快そうに目を細めた。
肩に乗せられた手はくいっと夜尋を後ろに引っ張り、代わりに青年が前へ出る。
夜尋から手を離しながら、その青年は目の前の男に視線を注いだ。
「…!!」
一瞬見えた凛々しい横顔にも、見覚えがある。
だいぶ伸びた栗色の髪が大人っぽく見えるのは、結う位置を低くしたからだろうか。
「男に容赦は必要ねぇよな!」
言うが速いか、男は刀を抜き放った。
白昼堂々日の本に晒された銀の刀身が、青年に向かって突き出される。
「っ…」
彼は片手で軽くいなし、それを真横へ受け流した。
「うぉっ…ちっ、このガキ!!」
前へ数歩よろめいた男は、ついに思い切り両手で刀を振りかぶる。
「伏せろっ!平助!!」
「!?」
後ろから怒鳴られ、青年は反射的に身を伏せた。
その瞬間、真上を影が通り過ぎる。
それは、着物の裾を翻(ひるがえ)し、小太刀片手に跳躍する少女。
今自分が背中に庇っていた娘だった。
「はぁぁっ!!」
同時に振り下ろされた男の刀を、少女は鮮やかに弾き飛ばす。
続けて、彼女は男の顔面に膝蹴りを見舞った。
「ぐぁ…」
大きな男の体が地面に横倒しになる。
「………」
少年はしばらくしゃがんだ状態のまま呆けていた。
驚いたことがたくさんありすぎる。
ひとつは、目の前にいた浪士が一瞬で倒されたこと。
もうひとつは、後ろから怒鳴られたこと。
そして、その戦い方にも声にも、覚えがあったこと──。
「いやぁ、えらい強い嬢ちゃんやなぁ」
「二人とも、息ぴったりやね!」
周りの歓声に鼓膜を揺らされ、我に返ると、いつの間にか周りに人が集まっている。
「!!…平助っ」
夜尋は小太刀を放り出して振り返り、その姿を捉えた。
「…夜尋!?」
平助の瞳が大きく驚愕している。
「平助!」
思い切り平助に飛びつく夜尋。
「ぅわぁっ!?」
とっさにそれを受け止めた平助は、真後ろに倒れそうになり地面に片手をついた。
「平助……平助っ…平助…っ」
確かめるように何度も名前を呼ぶ。
「夜尋…」
受け止めた腕に、そっと力を込めた。
少しずつ、驚きが嬉しさに変わっていく。
満開の桜と、人々に囲まれて。
お互い予想もしていなかった形で、夜尋と平助は再会した──。
 

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