風絶幻夢 下

□最終幕
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夢に見たような、桜で満ちた世界。
舞い踊る花弁の中を、君と歩く。
明るく薄紅色に染まる視界は、少しぼやけるほど眩しい。
今もまだ夢を見ているんじゃないかと思うほどに。
「…平助」
「ん、なんだ?夜尋」
でも、夢じゃない。
手を伸ばせば、触れられる。
繋がった手から、体温が伝わってくる。
ずっと見つめていても、儚い幻のように消えたりはしない。
「どうしたんだよ」
不意に、平助の手が夜尋の髪を撫でた。
心地良さと共に、夜尋はいつの間にか自分が平助を凝視していたことに気付く。
そして、聞きたかったことが口をついて出た。
「平助は、あの後…どうしてたの?」
「あの後…?あぁ、油小路のことか…」
もしかしたら思い出したくないことかもしれない。
だけど、二年以上会えない間、彼が何をしていたのか気になる。
「オレは西本願寺に運ばれて…ずっとそこにいた」
「…ずっと?」
ということは、新選組に復帰したのだろうか。
だけどそれなら、平助は今ここに居ないはず。
新選組は戦争の最前線にいて、旧幕府軍として蝦夷で戦って壊滅したと聞いた。
「新選組には復帰しなかったよ」
言わない夜尋の疑問に気付いて、平助は言う。
「オレが運ばれた西本願寺は、もう新選組の屯所じゃなかったんだ」
「…?」
「御陵衛士が出て行った後、不動堂村(ふどうどうむら)に屯所を移転してた」
だから本来、そこはもう新選組とは関係の無い場所。
それでも、原田たちは重症を負った平助を背負って駆け込んだ。
血まみれの姿に、寺の僧たちはかなり驚いていたが。
彼らが平助の手当てを渋ることはなかったらしい。
早急な処置のおかげで、平助は死なずに済んだ。
「…それからは?」
「んー、寺の掃除したり、庭でひとりで剣の稽古したり…」
油小路事変の後、平助は西本願寺に住まわせてもらうことになった。
本人には会っていないが、土方の計らいだったらしい。
土方だけでなく、新選組隊士には会うことがなくなった。
一切の接触禁止、彼らには平助が生きていることも知らされていない。
隔離されるような状態で生活していた。
──いつしか、新選組は京を離れて江戸へ向かった。
その頃から、傷が癒えた平助は、暇な時間に外へ出歩くようになる。
この街を歩いていたら、いつかまた会えると願い。
行き交う人々、移り変わる景色の中に、君を探して。
「──ずっと待ってた、夜尋を」
「…平助」
存外、彼は平和な場所にいたようだ。
夜尋は、平助が戦いから離れた場所にいたことに安堵する。
同時に、新選組の皆のことを思い出して笑みがこぼれた。
平助を西本願寺に置かせてくれたという、土方の不器用な優しさ。
油小路から平助を背負って駆けてくれた、原田たちの優しさ。
本当に、新選組にはいい人たちがたくさんいる。
もう、出会った頃のような敵意は夜尋の中に微塵も残っていない。
「けど、さっきのは本当びっくりした」
ぱっと平助の顔に笑みが咲いた。
「どっかの誰かが絡まれてると思って、声かけたら夜尋だしな」
彼は心底面白そうに笑い飛ばす。
「後ろから怒鳴られて…本気で驚いた」
込み上げる懐かしさに、しばらく頭がついていかなかったくらい。
言い知れない感情が、どうしようもなくて。
「…あたしの方が驚いたよ」
突然、一番聞きたかった声が聞こえたとき。
そんな状況じゃないのに、心から期待していた。
肩に乗せられた手が離れていって、今すぐつかみたいと思った。
同時に、彼の視線を奪う浪士に腹が立った。
早く向き直って欲しいのに、邪魔なんだよお前…って。
いつの間にか、相手を蹴り飛ばしていた夜尋。
「好戦的なのは変わってねぇよな」
思い出したのは、江戸の道場で戦ったときのこと。
勝手に道場破りだとか言い出して、門弟を片っ端から薙ぎ倒して…。
「…あの男が邪魔だったんだ」
「そんなに早くオレに抱きつきたかった?」
「なっ…!!」
悪戯っぽく笑う平助に、夜尋の顔が真っ赤になった。
「…ってか、あの小太刀どこから出したんだよ」
ふと、平助は夜尋の着物姿を眺める。
どこにも小太刀は見当たらない。
「あぁ、ここに…」
そう言って夜尋が手を伸ばしたのは、自分の背中。
「!?」
うなじから着物の中に手を突っ込み、小太刀を取り出した。
「おまっ…どんな所に仕込んでんだよ!!」
「手放すのはもったいないだろ?」
驚愕する平助をよそに、夜尋は背中からもう一本も取り出す。
「二本とも!?」
「あぁ、護身刀にと思って…」
紅蓮と翡翠のつばを取って鞘も作り変え、服の中に仕込めるようにしたのだ。
「…でも、もう刀の時代は終わるんだよな」
手に持った小太刀を見つめ、夜尋は寂しそうに呟く。
「……」
平助は俯いて、自身の袴を見下ろした。
そこに、もう太刀と脇差は差していない。
新選組に居た頃は、自分の存在意義のように感じていた刀。
生きる意味を、その一筋の輝きに見ていた。
剣術の強さが全てだった。
「…そうだな、もう刀は必要ない」
だけど今はもう違う。
旧幕府と新政府の戦いで、新政府軍は大量の鉄砲や大砲を使用したと聞く。
刀は、銃に敵わなかった。
「でもそれって、平和な時代が来るってことじゃねぇの?」
楽観的な考えかもしれない。
けれど、強さより大切な思いを知ったから。
「オレは、おまえといる世界が平和なら、それでいい」
「平助…」
動乱の幕末は、鮮やかに刃を咲かせてくれた。
やがて花が散り逝くように、季節が移り変わるように。
楽しい時間も、必死に焦がれた瞬間も。
いつかは、終わりを迎えることになる。
「夜尋がいてくれるなら、何もいらない」
たとえ、己の剣が誰にも必要とされなくなったとしても。
自分自身を、必要としてくれる人がいるなら。
「…あたしもっ!平助がいるならいい!!」
微笑む平助に、夜尋は小太刀を手放して抱きついた。
夜尋の手から落ちた二本の刀が、地面で重たい金属音を立てる。
「ずっと一緒にいて…平助」
長い間積み上げてきた剣の腕も、使い込んできた刀も。
君の隣にいられるなら、簡単に捨てられる。
時代が終わることも、忘れ去られることも惜しみはしない。
彼らと共に駆けた思い出は、絶対に消えないと信じられるから。
「おまえなぁ…それ、オレの台詞だし…」
両手で夜尋を受け止めて、平助は少し頬を染めた。
先を越されてしまった言葉に、彼はもうひとつの言葉を送る。
「大好きだ、夜尋」
「…うん、好き」
油小路で言えなかった、夜尋の後悔が拭われる。
離れていた間も、ずっと君を想っていた。
もう二度と、離れることはないだろう。


──咲き誇った桜は、やがて散り、地に還る。
   それでも、その美しさは人の心に残るだろう。
     そしてまた、悠久に季節を繰り返す。

 時代に抗い、駆け抜けた彼らを、決して忘れはしない。
  風の吹きぬける一瞬は、幻の如く。
   絶ち切れない時代に、埋もれて見えなくなったとしても。

  ──追い続けた夢を、強く刻みつけて。

  見上げれば、眩しい浅葱色の空。
  見渡せば、薄紅色に満ちた風景。
  隣に、優しく微笑む君がいる。

   もう、生き急がなくていい。
    君に、穏やかに歩いてゆけるこれからを───未来を捧ごう。
  

 

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