虚空の道標

□第7話
1ページ/1ページ


「―空を舞う祈り…」

「ん……」

哀音の歌が、聞こえる。

「―やがて 地へ還る花屑―」

今日も、彼女の声で目が覚める。

光りを失った、暗い世界で。

「哀音」
「あ、おはようございます」

哀音はゆっくり振り返る。

けれど、その姿は夕桐の瞳には映らない。

神鬼の毒で、しばらくの間彼の目は何も映さなくなってしまった。

なんとか森から抜け出し、宿までたどり着いて早3日。
そろそろ、真っ暗な視界にも慣れてきた。

見えない分、いつもより音を敏感に感じられる。
周りの物音で、だいだいの情景は想像できた。

ただ、朝が分からない夕桐のために、こうして哀音が起こしている。

ついでに、食事の世話なども。


「はい、どうぞ」
「……」

温かいスープの香りを差し出され、控えめに夕桐は口を開く。

「もっと大きく開けてください」

楽しそうに弾んだ哀音の声と共に、スープが口の中に流し込まれた。

「ん…」

恥ずかしくて、スープの味が全く感じられない。

「ふふっ」

照れて伏し目がちになる夕桐が可愛らしくて、哀音は微笑んだ。

何度か繰り返し、時間をかけてやっと完食する。

「…ごちそうさま」

夕桐はすぐに布団に突っ伏してしまう。

ほぼ毎回こんな様子。
そこまで恥ずかしがることはないと思うのだけれど。

「ねぇ、速水さん?」
「…なんだ」
「今日、街の中を散歩しません?」

哀音の提案に、夕桐は枕にくっつけていた顔をむくりと動かす。

「……」
「嫌、ですか?」
「…別に、嫌じゃない」

そう言って、彼はゆっくりと手を布団からはみ出させた。

目の見えない夕桐の、分かりにくい合図。

哀音はにっこり笑ってその手を握る。
そして、部屋の外へと導いた。


廊下を駆ける2人の音が、パタパタと軽快なリズムを刻む。

哀音は夕桐を先導し、先に靴を履いた。

「速水さん、こっちです」

とんとんと床を叩いて、夕桐を座らせる。

ベルトのたくさん着いた履きにくそうなブーツを、彼に手渡した。

「あぁ、悪い」

それを受け取ると、夕桐は軽く足を突っ込んで、ベルトを締め始める。

手慣れた仕草で、いくつものベルトを締めていく。
目が見えていないとは思えないくらい器用な手つきで、一瞬で履き終えた。

「……」
「?…外、出ないのか?」

思わず見入っていた哀音に、夕桐は首を傾げる。

「い、いぇ…その靴、履き慣れていらっしゃるんですね」
「…まぁ、旅に出たときからずっと履いてるからな」


長い時間を、共に走り抜けてきた靴。

その旅路に、これからは哀音も加わる。

どこまで続くかも分からない、果て無き旅。



「では、行きましょうか」



そっと繋いだ手から、互いの温もりが伝わってくる。


扉を開けると、そこにはいつもより眩しい世界が広がっていた。

真後ろの闇から連れ出すように、哀音の手に誘われて。


「…哀…音?」


目の前の哀音の姿が、薄ぼんやりと浮かび上がる。


「…速水さん?」


立ち尽くした夕桐の視線が、ゆっくりと哀音に向けられた。

その右瞳の焦点は、間違いなく自分の目を捉えている。


「もしかして…目、見えるんですか!?」
「…見える」

まだ少し霞んで、はっきりとはしない。
けれど、目の前で驚いた顔をしている哀音は見えた。


顔を上げて、差し込む光に目を細める。


哀音は安心したように、夕桐の隣で微笑んだ。

夕桐も彼女に向き直り、そっと肩をすくめて笑う。


繋がった手は、放さないまま、強く握って。


崩れだした世界を。

この左瞳と、揺れる髪が標(しる)す意味を。

終わりまで、この瞳に焼き付けるために。



見上げた空が、たったひとつの道標。



きっと僕らは、旅を続ける────。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ