風絶幻夢 上

□第弐幕
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真夜中。
月夜が怪しく京の町を照らしていた。
そんな中、池田屋ではとある会合が開かれていた。
『京都焼き討ち計画』。
それが今日の会合の本題だ。
風の強い日に京の町に火を放ち、天子様を連れ出す。
夜尋にはやっぱり全くつかめない話だった。
だが、桂は絶対に間違ったことはしないはずだ。
そう信じて、今まで着いてきたんだ。
「……」
夜尋が見つめる桂は、会合の中心核となって話進めていた。
「その前に、ここを発つべきだと思う」
桂は、池田屋から別の場所への移動を考えている。
古高が新選組に捕縛されたという保証はないが、十中八九当たっているはず。
となれば、ここを嗅ぎつけた新選組が襲撃してくる可能性がある。
「大人数での移動は怪しいから、半分だけ――」
そう言いかけたとき、一階から怒鳴り声が聞こえてきた。
「会津藩――組っ――ご用改めに―――」
あまりよく聞き取れないが、聞き慣れない声だった。
「桂さんっ!味方の声ではありませんっ!!」
夜尋はすぐに桂に駆け寄った。
その隣にいた長州藩士が、夜尋に不審な目を向ける。
「味方の声ではない?なぜそんなことが――」
「明かりを消してください」
周りの藩士の声を遮って、桂が命じた。
桂は知っている。夜尋の耳は一度聞いた声を忘れない。
確実に聞き取って、誰の声か一瞬で判断できるのだ。
藩士らは桂に命じられるがまま、ろうそくの日を吹き消す。
「おそらく新選組でしょう」
桂が口にしたのは、周りの思いもよらぬ言葉。
「新選組だと…っ!?」
藩士たちの目に焦りが浮かぶ。
すでに一階では斬り合いの音が聞こえ始めていた。
そんな中、桂は平然と佇んでいる。
「桂さん、逃げましょう」
夜尋は桂の服を引っ張った。
「…そうもいかないな」
桂が見つめる視線の先には、刀を抜いた藩士たち。
「どうやら、私の考えは少し遅れていたようだ」
ため息混じりに言ったあと、夜尋に向き直り、
「君は、人を斬れるか?」
今まで夜尋が見たことのないくらい鋭い目つきをした。
「…人を…」
桂の眼光に、夜尋は一瞬口ごもったが、すぐに頷く。
「桂さんを守るためなら、あたし、なんだってできますっ!!」
桂を失うことを思ったら、自分の手が汚れるくらい何とも思わない。
そのために今まで剣術の稽古をしてきたんだ。

「おのれ新選組っ!!!」
「斬れ――――!!」
威勢の良い怒鳴り声と、断末魔の叫び声。
斬り合いの音、肉が裂ける音。
様々な雑音を交えて、夜尋の耳に恐怖の念が届く。
やがて夜尋たちのいる部屋にも、新選組隊士が乗り込んできた。
戦いが始まろうとしている。
夜尋は真新しい小太刀を二本、両手で左右から抜き放つ。
今まで稽古でしか使ったことのない、人を殺めるための道具。
右手に持った、紅い紐のついている方が紅蓮(ぐれん)。
左手に持った、緑の紐がついているのが翡翠(ひすい)。
どちらも桂が選んでくれた小太刀だ。
今日、紅蓮と翡翠は血の味を知る。
夜尋の手も、体も、赤に染まる。
あるいは自分の血にも。
ここからは、飢えていく道を進むんだ。
人を斬って、自分が生きる世界への入り口が目の前にある。
「ふぅ…」
夜尋は誰にも気づかれないように微笑んだ。
そう、自分は迷ったりしない。
目を閉じて、深呼吸をする。
「――っ!!」
窓辺から差し込む月明かりに背を向けて、夜尋は床を蹴った。
「やぁぁぁぁっ!!」
鍛え抜かれたこの腕は、戦い方を覚えている。
そしてこれから、人の斬り方を刻み込む。

戦いが始まって、しばらく経った。
「はぁっ…はぁっ…」
息を切らして、夜尋は桂の元へ走る。
ふすまをいくつか開けたところに、桂の姿を見つけた。
「桂さんっ!!」
夜尋が呼ぶと、桂が弾かれたように振り返る。
「夜尋!生きていたか」
彼は安心したように一瞬だけ微笑むと、夜尋に歩み寄り、
「夜尋、これをつけておくといい」
黒い布を夜尋の顔に巻いた。
よく忍が付けているような、顔を隠すためのものだ。
「これはなんですか?」
少し声が曇ってしまう。
「暗くて相手の顔はほとんど見えないが、念のためだ」
「?」
相変わらず桂の話は分かりづらい。
夜尋が必要とする部分の説明をすっ飛ばしてしまうから。
「はぐれてしまった時、新選組に命を狙われていては探しづらいだろう」
「…はぐれてしまった時?」
夜尋が考えもしなかった事態だった。
でも、戦況はだんだん悪化してきている。
圧倒的に数が多かった長州勢も、ほとんど逃げるか、捕縛されてしまった。
耳を澄まさなくても、部屋の外から刀がぶつかり合う音が聞こえてくる。
「もうこちらに勝ち目はない、夜尋は今すぐ逃げるんだ」
「…そんな」
夜尋が目を見開いた瞬間、後ろのふすまがすっと開いた。
浅葱色を羽織った男が、体を赤く染めて立っている。
長身なその男は、夜尋と桂を見て楽しそうに口元を歪めていた。
「!?」
とっさに夜尋が刀を構えようとすると、
「夜尋、今すぐ逃げるんだ」
桂の手がそれを制した。
「嫌ですっ!!あたし一人でなんて――」
「早くっ!!」
「っ…」
桂の剣幕に押されて、夜尋は身を引く。
「…必ず、無事でいてください」
そう言い残して、夜尋は奥のふすまから部屋を出た。
廊下にはいくつもの血の跡。
夜尋は、ただこの場から離れる方法だけを考える。
その時、ふすまが開いて、中から人が出てきた。
足を出す一歩で、相手が新選組の人間だと判断がつく。
浅葱色の羽織、宵闇の中にいてもすぐに分かる。
長く伸ばした髪を頭の少し高い位置で結んだ、背の低い少年だった。
夜尋と同い年か、少し上ぐらいの年齢だろう。
人のことを言える立場ではないが、戦場に似合わない幼い少年。
だが相手は新選組、命のやりとりをする相手だ。
「っ……!!」
夜尋は刀を抜こうとしたが、
「…え?」
彼は振り向くことなく、廊下に倒れ伏した。
夜尋は駆け寄って、少年の呼吸を確かめる。
そっと抱き起こすと、彼の額から血が流れていた。
彼が荒く呼吸するたびに、それは滴り続ける。
「………」
このまま放っておいたら、彼は死んでしまうのだろうか。
そして自分は、その命を見捨てようとしている。
まだ若くて、別の場所で出会っていたら仲良くなれたかもしれないのに。
「…っ」
夜尋は口に巻いていた布をとった。
二つ折りにして、彼の額に巻き付ける。
だた新選組だから、敵だからという理由で、見捨てることはできなかった。
夜尋は畳の上に彼を寝かせて、その部屋の窓から外へ出る。
「桂さん…」
桂の無事を祈りながら、夜尋は夜の闇を駆けた。

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