紅花弁-ベニハナビラ-

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とある資産家のご令嬢、桜宮 絢芽(さくらみや あやめ)。

彼女に付き従う執事、久我 渚(くが なぎさ)。

桜宮家に代々使えている久我家の人間は、特殊な体質を持って生まれてくる。
それは、『絶対に桜宮家の人間に逆らえない』という体質。
この特異体質のせいで、久我の人間は桜宮に束縛され続けていた。



「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

青い空に、たゆたう白い雲。

爽やかな朝のBGMは、甲高い少女の悲鳴。

広い敷地にどっしり構えた屋敷の中が、にわかにざわめき出す。


「…んだよ朝っぱらから」

スーツのネクタイを締めかけていた渚は、ふと顔を上げた。

窓の外では、何羽かの鳥たちが一斉に羽ばたいてゆく。

「あいつの馬鹿でかい悲鳴のせいだな」

からかうように呟いて、渚は部屋を出た。


さっき悲鳴が聞こえた場所まで、廊下を駆ける。
日当たりの良い、長い廊下だ。

少し先に、寝間着で立ち尽くす絢芽の背中を発見した。
ボリュームのある長い髪が、寝癖でさらにボリュームを増している。

「どうした?」
「渚っ!」

呼びかけると、絢芽は即座に振り返った。

その瞳に、涙を浮かべて。

「なぎざ〜〜」
彼女は泣きながら渚に抱きついた。

「ちょっ…おい」
渚は数歩よろけて、絢芽を受け止める。

「なんなんだよ」
「…虫がっ!!!」

渚の胸に顔をうずめたまま、絢芽は床を指した。
なにやら黒い物体が落ちている。

「あ?」

渚は絢芽を離し、黒い物体のもとにしゃがみ込んだ。
ちまちまと足を動かすそれは、小さな蜘蛛。

…たかが蜘蛛ごときで。

内心呆れながら、そっと指を近づける。
すると蜘蛛は、滑らかに指に絡んできた。

渚は立ち上がると、窓を開けて蜘蛛を外へ放つ。

「………」

絢芽は緊張した瞳で見守っていた。
そして、渚が窓を閉めると共に彼に駆け寄ってくる。

「大丈夫!?」

彼女は確かめるように渚の指に触れた。

「大丈夫も何も…痛っ!!」

渚が突然指を押さえてうずくまる。

「渚!?」

絢芽も床に膝をついて、彼の肩を強く握った。

「ねぇ!ちょっと!!」


「…ククッ」

聞こえたのは、渚の小さな笑い声。

「え…?」

絢芽が手を放すと、渚はゆっくり顔を上げた。
にやっと口元を歪めた、悪戯っぽい笑みで。

「…冗談だって」
「〜〜〜っ!!」

絢芽は顔を真っ赤にして立ち上がる。

「まっまた騙したわね!!!」
「ご心配ありがとうございます、お嬢様」

渚はこうやって、時折絢芽をからかって遊ぶ。
彼女の反応がおもしろくて、なかなか止められないのだ。

「…渚!」
「なんでしょう?」
「今日の朝食は、いちごパフェの特盛りよ」

絢芽はびしっと渚を指して言い放った。

「はぁ?材料もねーのに」
「うるさいっ!命令よ!!」
「っ!」

絢芽の『命令』という一言で、渚の表情が凍り付く。

「…かしこまりました」

身体が勝手に、彼女の前にひざまずく。
頭を下げ、体は丁寧に絢芽にお辞儀をした。

…これが、久我家の持つ特異体質。

桜宮家には絶対に逆らえないように体ができている、
どんなに抗っても、従わずにはいられない。

「太っても知らねーぞ」
「…余計なお世話よ」

そうして、渚はしぶしぶパフェの材料を買いに出かけたのであった。



じりじりと、軽く焼けているみたいにうなじが痛む。

絢芽に逆らおうとすると、いつも後からこうなる。

渚のうなじに入れられた、桜の花弁の形をした紅い刺青(いれずみ)。
生まれたときからある、桜宮家への忠誠の証。
消えることのない、紅(くれない)の楔(くさび)。

「………」

久我の人間だけが知る、秘密の昔話がある。

代々伝わる、桜宮と久我の呪いの話。


あるところに、主人に逆らい続ける執事がいた。

その度、焼けるように刺青が痛んだけれど、彼は決して主人に従わなかった。

…いつか、この紅花弁の呪いが解けると信じて。

そんなある日、彼は激しい痛みに苛(さいな)まれた。

全身が焦げ付くような熱さに、彼はうめく。

やがて、その執事は痛みに耐えられず死んでしまった。

主人は嘆かなかった、これは相応の罰なのだと。



それ以来、久我の人間は誰ひとり桜宮に逆らおうとしなくなった。

紅花弁の呪いがある限り、久我は桜宮には逆らえない。
それは、子孫になるにつれて色濃くなり、今や体が逆らえなくなってしまった。

死なないように、久我はこの特異体質を生み出すようになったのだ。

もう、昔の話過ぎて桜宮の人は覚えていない。

久我だけに、密かに語り継がれてきた。

けれど、正直言って渚は信じていない。

逆らうだけで、死んでしまうなんて――。
 

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