大人になりたい!

□1冊目
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2ーAのクラスは、入学試験優秀者の揃う特進コースだ。
外部受験の編入でA組に入るのは、かなり珍しいことだと現在の学長先生に言われたが、中学の時から椚ヶ丘の勉強レベルは知っているから、あっちの学校でもかなり受験勉強はしてきた。



「A組おめでとう。」


入学式後、体育館を出ると、
がっくんがロビーにいて、肩にぽんと手をのせた。


私はにっこりと笑うと、がっくんはその場を後にして忙しそうに先生たちと歩いて行った。








「ねえねえ!!坂下さんて、浅野先生と知り合いなの!?今日一緒に登校してきたでしょ。」



「かっこいいいよね!!浅野先生!」


「素敵だよね〜スーツもいつもビシッと着てるし、なんかオシャレなんだよねえ。それにすっごい優しいし!
ねえ、先生とどういう知り合いなの??」





周りにいた女子が口々に話しかけて来た。
2年からの途中編入だし、友達なんてあまり出来ないかもと期待しないようにしていたのに、案外みんな気軽に話しかけてくれる。


クラスメイトの数人は、中学1年の頃私が椚ヶ丘中学にいたことを覚えていてくれたが、高校からの編入生徒を含め、知らない子も多いみたいだった。






「浅野先生って、そんなに人気あるの?」



ほとんど兄弟か幼馴染のように育って来た私たちにとって、お互いが他人からどのように思われているかなんて気にしたこともなかったし、昔からモテているのは知っていたけど、今もこんなに騒がれているなんて知らなかった。




「なんかすごく親しげだったそうじゃん!ねえねえ、知り合いなんでしょ?」



「親戚なの。小さい頃近所に住んでいてよく遊んでいたから。」




その場にいて全員が、その内容にホッとしたと同時に満足げに納得してくれた。
ある意味、熱狂的な彼女たちの様子を見て少し怖かったから、親戚だったってのは、良かったかもしれない。






「先生、成績優秀だし、お金持ちだし、顔もスタイルもいいし、なんでもできるし。世の中って本当に不公平って思うわ。
だって、うちのクラスの男子見てよ。」


そういって隣にいた女の子は、一列に並んだ勉強しか取り柄のない男子を指差して、うんざりしたように言った。





「なんか坂下さんが美人さんな理由がわかったよ。」

「うん、あの浅野先生の親戚なら納得。A組に入れた優秀さもわかるね。」



変に囲んでいた周りの女の子たちが納得してくれて、でもがっくんと親戚っていう理由がきっかけで、話をしてくれる女の子のお友達ができた。








    〜〜🌸〜〜🌸〜〜






「恋ちゃん。また明日ねー」


すっかり下の名前呼びで定着して、2年A組の仲間に入れてもらえた、成果のあった編入初日。
少しだけ町を寄り道したくなった。

引っ越して来てからまだ1週間。荷物も着替えくらいでほとんどないし、まだ一つひとつ暮らすものを揃えているところ。
買い物も少ししたいし。



学校の近くの駅から電車に乗った。
がっくんは職員会議があるからと、忙しいみたいだったけど、私は一人で懐かしい町を歩きたかったからちょうど良かった。





平日なのに、電車は案外人が多い。
もちろん座ることなどできず、ドアの隅のポールに捕まりたっていた。
周りは、どこも早く学校が終わったのだろうか、高校生が多い。



学ランを着た大きな男子高校生が、視界をなくすほど目の前に数人立っている。

狭いなあ・・。。

でも先週まで住んでいた田舎町とは違って、ここは都会だから満員電車のぎゅうぎゅう詰めとかにも慣れないと・・。






ぎゅうぎゅうと押し寄せてくる高校生たちに追いやられて、ドアにピッタリと寄せられた。
周りは全く見えないが、乗るときそこまで混んでいたかな。

窮屈でそこから這い出ようと、体をよじった。
不意に高校生の腕が腰に回った。




「え・・・っ」



スカートが捲られる・・

瞬間そう感じたが、身動きすらできないのだ。



(大人しくしとけよ)


囁くようにそう言った学ランの高校生たち数人の手が、脚や腰に触れた。



痴漢・・!



動けない、いやだ・・・!










「ねえ、何してんの?」






「・・何言ってんだよ、お前」




誰かと誰かが会話をしている。すぐ近くで・・




助けて欲しいのに、声が出ない。

高校生の手はもうスカートを半分くらい捲り上げていた。



「やだっ・・」

逃げようとしても気づいたら腕や腰を掴まれていて、動けなかくなっていた。






「その子、俺のツレなんだよね〜。次の駅で駅員さん呼んじゃおっかなぁ。なんかひどいことしてるみたいだし、俺君たちの動き全部動画に撮っちゃったしィ」



誰かの声がするけれど、その姿は見えなくて
ただ助けてくれてるんだということは、わかった。




駅が近づいたアナウンスが流れたと同時に、高校生たちは私から離れて、間も無く到着した駅で電車のドアが開くと同時に逃げるように出て行った。






「あ・・・」



「おいで。」





降りる予定の駅ではなかったけれど、腕を引っ張られて、
開いたドアからホームへ降りて、引っ張られるまま歩いた。



たくさん歩いた、ような気がした。
背の高いその人は、スーツ姿で仕事帰りっぽい。けれど、目の前は真っ白で、起こったいろいろなことに頭の方がついていかなかった。









駅のホームからロビーまで歩いて、一旦改札を出たところの外、ベンチと噴水があるところまでくると、人混みだった電車の中とは打って変わって、まばらな人がいるだけだ。


平日昼間。車が走っていて、ロータリーの周りを人が歩く程度。

ドキドキと恐怖とよくわからない感情が入り混じっていて、自分がどんな気持ちなのかが全くわからない。




「・・電車に乗る前から、狙われてたと思うよ。
あいつら、最初っから君のこと囲んでたし。」





まただ。
声が出ない・・。

助けてもらったのに。お礼も言いたいのに。



言葉が出てこなかった。だから必死で頷いた。



「大丈夫?なんか顔色悪いよ?」





濃いグレーのスーツ。





「す、すみません・・・」


ようやくでた言葉が、しおらしく少し掠れた声、こんな言葉で。
助けてくれた背の高いサラリーマンらしい人は、少し驚いていたみたいだった。


近くのベンチに私を座らせると、目の前の自販機でホット紅茶を買って手渡してくれた。




「・・ありがとうございます・・」


「その制服、椚ヶ丘だよね。」



「・・あの、た
助けていただいて、本当に

ありがとうございました・・。」







ようやくお礼が言えた。



赤い髪の長身の男性。ようやく顔を見れた。




「いや、別に大したことないし。

学校の帰り?」


「はい、あの・・・少し寄り道しようと、本当はこの路線は使わないんですけど。」




ふうんといって、私の横に腰掛けると、いちごオレのホットの缶ジュースの蓋をカチリと開けた。

大人の人なのに、なんだか可愛いもの飲んでるなって思って、少し気持ちが和らいだ。
その男性は、黙ったままだったけど、何も話さないでいてくれた少しの時間が、なんとなく嬉しかった。



さっきの衝撃的で不愉快な出来事を、言葉で消し去ってもきっと後からまた思い出す。
きっと嫌なことだったからこそ、気持ちの整理をつけた方がいいのだろうと、自分自身気が付いていた。
だから黙ってそばにいてくれた、男性が有難かった。





どのくらいの時間が経っただろうか。
短かったような、とても長かったような。そんな「時」だった。


「少し落ち着いた?」


「あ・・すみません。
こんなに付き合わせてしまって!」




よく考えたら、この人をずっと拘束してしまっている。

慌てて立ち上がって、座ったままの赤い髪の人にもう一度お礼を言った。



「あの、本当にありがとうございました。
気分が落ち着いて電車に乗れそうになったら、帰ります。」



座ったまま見上げたその男の人は、とても綺麗な目をしていてまっすぐ私の目に、心に飛び込んでくる。
まるで心の中を見透かされているようだ。



「あー、家、どこらへん?

方向一緒なら俺ももう帰るから駅まで送ろうか?」




これ以上迷惑をかけてはいけないと思っていたのに、この申し出。
本当は不安で、電車に乗るのだってまだ怖かったし、一人でいるのは嫌だった。


だから、内心ホッとして嬉しかった。






「でも、」

「いいよ。そのくらいの事大した事じゃないし。」



つい、笑みがこぼれてしまった。
たまたま同じ電車に乗り合わせただけだというのに、
こんなに親切で優しい気持ちのある人に出会えるとは。




「家は桜の台です。
でも、少し休めば大丈夫だと思いますから・・。」


「桜の台?うちの近所じゃん。
ここからバスあるけど、その前に少し付き合ってくれる?」





そう言って、飲み終わった紅茶の缶を私の手から奪い取ると、自販機横のゴミ箱に捨てて、私の手を取って歩き始めた。


「そこの書店まで。
ここら辺でこの本屋が一番大きいんだ。
欲しい本があってさ。それだけ買わせて。」



私は、初めて出会った人だというのに違和感もなく、その後をついて行った。強引だけど、嫌な感じはしない。
今は人と一緒に居られるのが、嬉しい。




店内に入ると、正面にずらりと本が並んでいた。大きな書店なんだから当たり前だが。


その人は、びっくりするほど分厚くて、高校入試の参考書なんか目じゃないくらいの本を数冊手に取ると、迷わずレジへ向かった。






「経済理論?・・難しそうな本ですね。」


「うーん、まあね。
仕事そっち系だし、今はそういうの手当たり次第読んでるんだ。」




へええ・・。そんな難しそうな本はもちろん読んだことがない。
大人の人は大変だなあ、なんて呑気に考えていた。


「・・って、どれだけ買うんですか?!」


「気になることは一応知っておきたいじゃん。俺そういう性分だからさ。」




よく見ると、資本主義やら政治経済、貿易戦争・・なんて難しいなんてもんじゃなさそう。これ全部読むのかな。


彼は特別分厚い本を数冊、宅配にしてもらっている。1冊は持ち帰るようだ。
そうか、1冊読んでいる間に、他のが届くという方法なのね。

これがまさに大人買いだわ。




その本の買い物っぷりに感心したその後、駅へ戻ってバスに乗ると、携帯をカバンから取り出してバスの路線のアプリが便利だと教えてくれた。











『桜の台4丁目〜』


バスの窓からの景色が、知っている風景になった頃、最寄りのバス停に着いたのだと知った。


「じゃあ、オレはもう少し先だから〜」


「はい、ありがとうございました。」



深々とお礼をしてバスを降りると、
サラリーマンで、本を大人買いした赤髪の背の高い男性は、バスの中からヒラヒラと手を降った。
私もバスが見えなくなるまで、手を降って、気がつくとそのバス停が家のすぐそばだと気付いて、また嬉しいことがあったと内心よろこんだ。

これからはバスも利用できる。




気が付いた時には、もう電車の中で起こった、最悪な出来事は、すっかり忘れていた。
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