短編(書く方)
□空の部屋
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空の部屋
からんと、空気と光だけが飽和していた。
この世界にたった一人のようだ。
がちゃり。
玄関に入った瞬間、なんとなく予想は付いていた。
「ただいま。」
ぱたぱたと、舌足らずの様にスリッパを鳴らして駆け寄って来る姿はない。
廊下の先に見えるリビングへのドアは開け放たれたままだ。
なんとなくそこをじっと見つめる。
「ただいまー、なまえさーん。」
靴を脱いで廊下を進む。
途中、脇の自室に楽器を置いて、さらにリビングへと。
「なまえさん?」
やはり、そこに彼女の姿は無かった。
人間とは不思議なもので、雨が降りそうだとか、人の気配が感じられないだとか、そういう感覚は感じ取れるものだ。
今日も、玄関のドアを空けた瞬間に、なんとなく居ないというのが分かった。
しかし、彼女は溶け込むのが実に上手で、時折この勘が外れることとなる。
以前、この話をしたとき彼女は「そうなのよね、何故か気付かれなくって。存在感が無いってよく言われたわ。」と笑った。
今日も、彼女のその存在勘の薄さを期待したのに。
キッチンでひとまずお茶を飲む。
几帳面にパックを湧かしてボトルに入れてある。
冷蔵庫の中身は十分で、食材調達に出かけたわけでもなさそうだ。
キッチンは対面式になっており、カウンター部分にコップを置いてから、TVのリモコンを手にする。
くるくるチャンネルを回してみるが、とりわけ興味をそそる番組は無い。
ワイドショーにチャンネルが合ったとき、昨日まで行っていたツアーの様子が流れた。
なんとなく、TVにまで歩み寄ってじっくりとみてしまう。
もうファイナルの模様を使っている。流石。
あ、ここちょっとミスってる、気付かなかったな。
すげぇ、最高だったもんなぁ。
次のエンタメ情報は噂の恋愛模様で、自分もいつか報道されるのだろうか、と少し不安になったので消す事にした。
そのまま、横のベランダに出る。
手すりにはプランターが数個ひっかけられていた。
彼女が育て始めた、とメールをくれたのはこのことだろう。
「枯れ始めてんじゃん。」
いかにも彼女らしいと笑みがこぼれる。
代わりに水を遣る。
「お前達は何になるんだ?なまえさんに忘れちゃったんだろ、俺もだよ。」
あぁ、彼女はどこに行ったのだろう。
「やべっ」
ぼーっとしながら、じょうろを振り振りして水を遣っていたのでうっかりベランダの外にこぼしてしまった。
そっと覗きこめば、下の階は何も干していないようだ。
セー…フ。
「あ、」
マンション前に、白いロングスカートの裾を揺らす麦わら帽を見つけた。
「なまえさーん!」
気付かなかったようだ。
もう一度。
「なまえさーん!」
つい、と麦わらがずれて顔が覗いた。
「あ、もっちゃん!帰ってたの?」
やっほー、と手を振る姿は、いかにも彼女らしい。
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「ただいま〜。」
「おかえり、なまえさん。」
パタパタと廊下を小走りで玄関まで駆け寄ったのは、俺。
「鍵、閉めて出かけねえと危ねえって。」
「あ、れ、また忘れてた?ごめん、気をつけるね。」
「うん、ねえねえなまえさん、お土産買って来たんだけどさ。」
「ほんと!何だろう、楽しみ。」
笑顔をこちらに向けながら、ドアを開ける。
あぁ、癒される。
彼女の後ろを付いて回りながらもずっと話かける。
「あ、水やり!」
「あぁ、さっき水遣っといたよ。」
「助かった〜」
彼女も冷蔵庫のお茶を飲む。
キッチンはそんなに広くない。
振り向き様に、俺と正面衝突。
「っと。」
「…どうしたの?」
「え、何が?」
「なんか、今日は、犬みたいよ。揺れる尻尾が見える。」
「あぁ、いやぁ、多分、ほら、久しぶりに会ったしさ、なんかすげぇなまえさんと話てえなぁって思ってたのに、なまえさん居ねえんだもん。」
彼女のグラスが空になったのを確認して抱きつく。
シャンプーのこの香り。
夏の彼女の香りだ。
「くすぐったいよ。」
くすくす笑いながらもその手を背に回す。
「おかえり、もっちゃん。」
「はい、ただいま。」
―――――――――――――LINER*NOTES
閉鎖記念作品でした。
記念、なのでしょうか。
閉鎖してから大分経っているので、ご覧になられる方はいらっしゃらないのでは…
もう少し早くアップ出来れば良かったのですが、すいません。
さん付けで配偶者を呼ぶ男の人好きだなぁって生まれた作品。
めっせーじ