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□甘い香りで、いざなって。
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 話は数時間前に遡る――――。

 いつものように、宿題のお手伝いをしようと彼女の家を訪ねた時、思いがけない一言を耳にした。
「今日は…皆出掛けてて、帰って来ないから、泊まってって?」
 恥じらいながら仰られたその台詞を、オレは反芻させる。そして「良いって言ってんじゃん」と彼女を呆れさせるほど、何度も「宜しいのですか」と聞き返したのだった。

 なるべく早く宿題を済ませ(その方が後でゆっくり出来るから、とは彼女の意見である)彼女のお母様が事前に用意してくださっていたシチューと、彼女自身が作ってくださったサラダを夕飯にして。片付けをオレは申し出たのだが「お客さんはじっとしてて」と拒否され、逆に彼女から風呂へと勧められた。
 浴槽の中の湯は白く染まり、甘い香りを放っていて…朝、玄関から顔を出して「おはよう」と微笑む彼女を思い出させる。成る程、最近オレの鼻腔を擽っていたのはこの匂いだったのか。湯に浸かりながら、じんわりと幸せな気持ちを噛み締めた。

† † †

 風呂を交代した後に通されたのは、彼女の部屋だ。部屋の中心にあるローテーブルの近くに腰を下ろし、ぼんやりと天井を眺める。そこから垂れ下がっている小さなハンモックは、今日は彼女が仰られた通り何も支えていない様子で、いつもよりも少し突っ張っている。
 ぺたぺたと裸足で木製の廊下を歩く音が部屋の前で止まり、オレは嬉しくなって振り返る。ドアを開けて現れた彼女の髪はまだしっとりと濡れていて胸が高鳴り、立ち上がって彼女の肩に触れ、オレは問う。「乾かしますか?」
 少し口篭りながら「んー…乾かさないとダメなんだけど…」と言った後、小さな声で「後でまたシャワー浴びるしなぁ」と仰ったのを、オレは聞き逃さない。肩に置いた手を頬に添え「それは、どういった意味でしょうか?」と尋ねれば、彼女は恥ずかしそうにオレを見上げて、言った。

「今日、は…いっぱい触って。ね?」

† † †

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