玩具箱

□肆
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 最近、パートナーの様子が可笑しい。

 仁王は、ひそかにそう感じていた。

 何処が可笑しいかと言われれば、夢野への態度だった。

 柳生は夢野に惚れていたのに、急に2、3日前からよそよそしくなった。あからさまではないが、確実な変化だった。

 人間の心理なんて人それぞれだし、恋なんて感情は所詮曖昧に過ぎない。急に思いが冷める、というケースも多々ある。

 しかし、今回は柳生だ。

 柳生とはダブルスのパートナーとしてだけでなく、プライベートでも仲良くしている。そんな友人である柳生の事を、仁王はよく知っていた。

 ―――奴は、そういう男ではない。

 仁王はその判断に確信を持っていた。と、同時に、柳生の心を動かした『誰か』がいるということも見抜いていた。

「(…一先ず、柳生から情報を引き出すかのぅ)」

 友人の為に、詐欺師は静かに動き始める。





―――――――――






 愴は用事がある、と言った梓を待つため、一人教室で本を読んでいた。

「愴さん」

「…なんだい?」

 愴に話し掛けた男―――柳生は、困った表情を浮かべた。

「すみません。私のせいで、少し貴女にとって厄介な事になりました」

「厄介…?」

「ええ。以前、私のパートナーについては話しましたよね」

「ああ。…確か、仁王君だったかな?」

 愴の言葉に、柳生は頷き話しを続ける。

「ええ。その彼が、私が世間話でした貴女の話に興味を持ってしまい、貴女との接触を試みている様なんです」

「…ふむ」

 愴はそう一言呟くと、何か考える様なそぶりを見せ、柳生を見つめた。

「…突然なんだけどさ。その件の仁王君とやらは何処か地方の言葉で喋ったりとか、…まあ、なんていうか訛りとかはあるのかい?」

「…?そうですね。彼は、広島弁に似た、独特な喋り方をしています」

 質問の意図が分からず「しかしそれが何か?」と動揺を見せる柳生に対して、愴は納得するように「ふうん」と呟いた。

「あの…」

「ねえ、知っているかい?地方の言葉を使用している人が標準語を使うというのは、中々至難の技らしいよ」

「…は?」

 突然の話についていけない柳生に構わず、愴は続ける。

「いや、私も人から聞いた話なんだけどね?例えばさ、外国人が日本語を使おうとすると、どうしたって最初は片言になったり、言葉が引き攣るだろ?どんなに上手い人でも、よく聞けばちょっと違和感がある。地方の言葉を使う人もああいう風になりがちらしいんだよね」

「愴さん…?」

「まあ、地方の言葉は、元は同じ日本語だし、矯正さえすればちゃんと標準語になるそうだよ。まあそれに関しては個人差はあるらしいけど、やっぱ1、2年は掛かるらしいね。そう考えると上京した人とか大変だよねえ。その点私は恵まれてるよね。元々標準語だから将来困らない」

「………」

 愴の言葉に何か感づいたのか、柳生は表情を消して愴を見つめる。

「特に敬語なんかはさ、綺麗な言葉だし、どうしても目立つよ。―――ねえ、仁王君」

 愴の言葉に、柳生は顔を歪め、クックック、と柳生らしからぬ笑い方をする。

「いつ、気付いたんじゃ?」

「最初からさ。まあ、仁王君っていう人は知らなかったんだけどね。なんとなく」

「ほう?なんとなく、ね。大した勘の持ち主の様なり」

 挑戦的な眼差しの仁王に、余裕な態度で向かう愴だが、内心では動揺していた。

 愴の予定では、正体を見破る事によって、柳生同様少なからずショックを受けると思っていた。動揺させて、相手の心を探り、その人間の深いところに入り込む。それが通常スタイルの愴にとって、作戦が上手くいかなかった今がマズイ状況である事は明白だった。

「(…この余裕な態度。何か奥の手でもあるのか?いや、そもそも何故こんなに奴は私を警戒しているんだ。何を考えている…?)」

 第一、仁王がまさかこんなに早く接触を試みてくるなんて、思ってもいなかった。何処から自分の存在を知ったのだろうか。何にせよ、情報が足りなすぎる。

「しかし、なんとなくでばれるとは、俺の変装も堕ちたものぜよ」

 こう見えて、種明かしするまでバレた事ないんじゃよ?と愴とは反対に余裕そうに笑う仁王に、愴はバレないようにギリッ、と奥歯を鳴らす。

「…そうだね。君の名誉の為に言うと、実は最初から気付いたっていうのは嘘なんだよ。私の見栄さ。本当は途中の君の発言で気付いたんだ」

「発言?」

「君は『世間話で話した私の話に』と言ったけどさ。私だってこれでも柳生くんの友達さ。彼が他人に人の事自分からペラペラ話す人じゃない事くらい分かるよ。なら、誰かが聞き出したんだろうなー、と思い至る訳だよ。よく言葉を聞いたら発音に違和感があったから、前に話に聞いた方言を使う仁王君かな?って気付く訳だ。お分かりかい?」

「…凄いのお。うちの学校には、とんだ名探偵がおった様じゃ」

 愴の推理に、仁王はショックを受けた風でも驚いた風でもなく、ただ感心した様だった。それがまた愴を焦らせた。

「で?お前さんの目的はなんじゃ?」

「!」

 ピクリ、と愴の肩が揺れる。だが、顔には動じた事をおくびにも出さなかった。

「…目的?面白い事言うんだね。柳生君に変装して私に近付いたのは君だ。どちらかと言えば、私がその質問をするべきなんだと思うんだが」

「惚けなさんな。最初は、ミーハーが柳生に付け込んだんかと思ったんじゃが、どうやらアンタを見るかぎり違いそうじゃからのう」

「どうかな?人は見かけじゃ判断出来ない生き物さ」

「ああ、その通りぜよ。だからこそ、俺はお前さんを疑ってる。…平凡な皮の下には、何を隠してるんじゃ?」

 仁王の言葉を、愴は鼻で笑う。

「隠す?酷い言い掛かりだね。残念ながら、平凡は一皮剥いても所詮は平凡さ」

「いーや、お前さん、腹に黒いもん抱えちょる。ミーハーではなさそうじゃが。…ああ、分かった」

 愴を問い詰める途中、急に納得した表情を見せた仁王に愴は訝しげな表情を浮かべる。

「…何が」

「お前さんの目的、夢野か」

 愴は仁王の言葉に目を見開く。

「は…」

「大方、夢野とテニス部の分断をミーハー共に頼まれたっちゅー展開かのう」

 あ、マズイ。という事を漸く理解した。理解するには、少しばかり遅すぎたという事を、その後すぐに理解した。

 コイツは、ヤバイ。

「………アハハ」

「?」

「いやあ、面白いねえ、仁王君って。凄い発想力だ。アカデミー賞ものだね!中々興味深いよ。いやしかし残念だよ仁王君。その話、根拠がない。ミーハーと私の繋がりは?仁王君の言う通り私がミーハーじゃないなら、どうしてそんな依頼を受けるの?」

「………」

 仁王は愴を見つめ、愴も仁王から目を離さなかった。

「…根拠と言えるか分からんが、そうじゃのう。まず俺への反応から、ミーハーではない事は分かる。そんで、俺が柳生としてお前さんに会いに行った時、やけにお前さんは冷静じゃった。見破ったのも驚いたが、そっちの方が印象的だったぜよ。まるで、予期してた様だと思った。そこから考えて、ああコイツは、もしかして最初からこのつもりだったのかのう、と勝手に想像してみた訳なんじゃが。…どうじゃ?」

 仁王の問い掛けに愴は手を叩く。

「成る程成る程。筋は通ってるね。推理小説の名探偵みたいだよ!しかしどうだろう?やっぱり根拠とは言えない気がするなあ。だって、仮に仁王君の言う通り私がミーハーな女の子達に頼まれて君らに接触して、夢野さんに近付こうとしている。最終的に、君らの仲を引き裂く訳だけど、それは何でかな?私に何の利益もない」

 愴は、すぐに頭を切り替えた。

 本来の予定であれば、時期を見て柳生に自分の事を仁王に話すように誘導して、機会を図るつもりだった。仁王の事もきちんと調べ、徹底的に追い詰めるつもりだった。

 このタイミングで仁王から来たのも、仁王が自分を怪しむのも、全て予想外で予定外だった。

 しかし、仁王に暴かれれば暴かれるほど、愴は逆に落ち着いていった。

 愴は、計画というものがいかに脆いかを知っている。人生とは、思い通りにいかない事も、理解している。

 だからこそ、彼女は瞬時に立ち直った。

「…それは、分からんのう」

 お手上げ、というように仁王が肩を竦める。

「そうかい?いやまあ、全て仮の話だ。私は全く無関係、って事にすれば、全て話は解決するよ」

「………」

 納得していない仁王に、愴は笑顔を見せる。

「…仁王君、ゲームをしようか」

「…ゲーム?」

「いや、実は私は推理小説が大好物でね。証拠を探したりとか、色々見所はあるけれど、やっぱりああいうので一番楽しいのは、ラストの犯人を追い詰める所なんだよね。あの瞬間の緊迫した雰囲気が、私はたまらなく興奮する」

「推理小説は、あまり読まんのう」

「ああ、君はどちらかと言えば海外の作家のSFなんて読んでそうだよね。あ、それでね。推理小説を読まないと分からないかもしれないけど、犯人のちょっとしたミスとか見ると、『自分が犯人なら、もっと上手くやるのに』なんてかんがえちゃったりするんだよね」

「………」

「ゲームをしよう、仁王君」

 愴は仁王に、もう一度そう語りかける。

「探偵は君で、犯人は私だ。何、簡単だ。君がさっき言っていた推理で、私の動機を立証できたら、君の勝ち。出来なければ、私の勝ちだ」

「…認めるんか?」

「何をかな?私は何度も言うが、何にもしていないよ?ただこれは、仁王君を納得させる為のものだよ」

「納得?」

「だって仁王君、私の事疑っているだろう?だからこそこそされるよりは、お互い公認の上の方がスッキリするじゃないか」

「…お前さんのメリットが少なすぎる」

「少ないって事はないさ。だってこのゲームで私が勝てば、変な言い掛かりはつけられないわけだからね。ここで無理矢理納得しちゃうと、お互い消化不良だろ?やっぱりそういうのは嫌じゃないか」

「俺の勝ちは、どういう規準で決まるんじゃ?」

「それは私が決めるよ。私が納得すれば、君の勝ちだよ」

「…成る程。分かった、やるぜよ」

 仁王が頷くのを見て、愴は「それは良かった」と言い1つ頷く。

「ならルールを決めよう」

「ルール?」

「ゲームっていうのは、やっぱりルールがなくちゃ楽しくないよ。ルールが無いゲームは、美学がない」

「…内容は?」

 愴は口角を上げ、にんまりと笑う。まるで猫の様だと、仁王は他人事の様に思う。

「1つ、探偵は一人でなければならない。2つ、この事は口外してはいけない。3つ、犯人は、探偵に協力的でなくてはいけない」

「…一個目と二個目は解るが、最後のはよく分からんなあ」

「目的の違いさ。私は、仁王君に私の事を信じて欲しいからこんなゲームに参加するんだからね。仁王君に沢山調べて貰って、私の疑いを晴らさなきゃ」

「成る程」

「…まあ、万が一仁王君の言う通りなら」

 愴は仁王から顔を逸らし、持っていた本を鞄に入れて席を立った。

「ミスリードは仕方無い事だよね?」

「!」

 それじゃあ、私は帰るよ。と言って愴は教室の扉に手をかけた。

「頑張ってね。応援しているよ、仁王君」

 ガラッ、と音をたてて閉まる扉を眺めながら、仁王は壁に寄りかかる。

「…上等じゃ」

 観客席は空のまま、二人の舞台の幕は上がった。




何年ぶりかの更新です…。難産だった…。

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