玩具箱
□伍
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感想は、頭の良い女。それに尽きる。仁王は頭の中で愴を思い出す。
仁王にとって、柳生の変装を見破られた事は、正直驚いたし、少しショックだった。
元々変装や技のコピーは仁王のプレイスタイルであるし、自信はあった。特に、柳生の変装は。
それでも、それが表に出さなかったのは、それ以上に気にかかる点があったからだ。
―――何故、この女は動じない?
友人の面をした別人が自分の元を訪れたら、見破ったとしても、いやむしろ見破ったのだから、普通驚くだろう。
柳生から俺の事を聞いていた?そうしたらこいつは柳生に変装した仁王だ、なんて発想になるとでもいうのか?
仁王は否、と過った思考を振り切る。
有り得ない。
愴にとって、これは恐らく計画の一端であるのだろう、ということを仁王はすぐに察した。
だから、彼はとことん愴を揺さぶった。
―――上手く隠してはいるが、どうやら女は女優ではなかったらしい。化かし合いは俺の方が一枚上手であった様だ。
少しずつ崩れていく目の前の女に仁王は勝ちを確信した、その瞬間。
愴は笑った。いや、嗤った。
雰囲気が一変した途端、愴は舌を回し始めた。大袈裟な手振り身ぶりで、話始める。
―――正直、完敗だった。
仁王は苦笑する。
あそこで、完全にあの女の心は折れる筈だった。にも関わらず、あの女は立ち直ったのだ。
話した内容が要領を得ていない、屁理屈だ。
反論はしようと思えばいくらでも言えた。
だが、そういう問題ではないのだ。
あそこであいつが折れなかった時点で、俺の敗けだった。
仁王は己の敗北を、愴が持ち直した時点で素直に認めていた。
しかし、同時に仁王は別の考えも持っていた。
―――だが。
だが、それだけだ。
それは仁王の負け惜しみではなく、愴は仁王を負かせたが、それは勝ちではない、と仁王は確信していた。
愴は仁王に勝ったが、それと同時に、自分が怪しいことを助長させてしまった。理詰めでは勝てども、仁王の心に、『疑心』を埋め込んでしまったのだ。
仁王がこの後、テニス部のメンバーに愴について話すなりなんなりすれば、創もお仕舞いだろう。そうでなくても、追い詰められるのは必至だ。
仁王としても、周りに頼むなんてことはしたくはなかったが、やむを得ないだろうと仁王は諦めていた。
だから、負けは認めたものの、結局この女にも勝ちはない。
仁王がそう思っていた矢先だった。
「ゲームをしようか」
愴は仁王にそうけしかけた。
それは愴にとって、全くメリットのないもので仁王は意味が分からなかったが、すぐにその真意を察した。
―――あの女は、ゲームという枠を作り、俺を制限したのだ。
しかしそれは仁王に断れるものではなかった。
何故なら、それを断ることは愴への追及を止めることと同義だからだ。
これを断り、仲間にチクるのは、何よりも仁王自身が許せなかった。
「…参ったのう」
本来、これは勝負にすらならなかった筈なのだ。
何故なら、愴が何を言おうとも、仁王は愴を疑うつもりだったからだ。
最初の時点で仁王の変装を見破っても、彼を論破しようとも、仁王は愴を信じる事はない。
つまり愴は、仁王に話しかけられた時点で負けは決まっていたのだ。
だから、仁王にとってこれは、どの様に転がっても負けることはない勝負だったのだ。
にも関わらず、少なくとも現時点では仁王は完全に愴に負けたのだ。
噛み締めた奥歯がギリッ、と鈍い音をたてる。
―――負けた。手も足も出なかった。たかが女に、この俺が。
ラケットを握る手に力が籠る。
「雅治?」
「っ!…ああ、姫か」
「どうかしたの?」
「なんでもなか」
そう?と首を傾げるマネージャーの姫を見て、ふと仁王は思う。
仁王は、夢野姫が嫌いではなかったし、むしろ好ましくすら思っていた。
仁王にとって夢野は恋愛対象では無かったが、興味はあった。
彼は他のレギュラーメンバーと違い、然程女に対して否定的ではなかった。
より良い男を求めるのは詰まる所女の本能であるのだし、夢野姫に群がる自分達男も、結局の所そういった本能が働いているからだろう、と仁王は考えていた。
だから仁王は求めてきた女を拒絶はしない。――が、特に執着もしなかった。
その点で、姫は仁王が関心を寄せた唯一の女だった。
夢野姫は馬鹿ではない、と仁王は思っている。
自分がどう立ち回れば優位に立てるかを、きちんと理解している。姫を身近で見ていて、仁王が思ったのはそれだった。
男をはべらかしたい、というのは愚かな考えだとは思うが、それを実現させた事は素直に認めていた。
―――馬鹿な女は興味は無いが、駆け引きが上手い女は好きだ。
仁王はそこまで考えて再び愴の事を考える。
愴の目的は未だハッキリしていないが、十中八九姫だろうと仁王は検討をつけていた。
しかし愴の言うとおりそれをすることによる愴のメリットはない。それにゲームの事もあるから周りに進言も出来なかった。
―――あの女と姫、対立した時に、勝つのはどちらだろうか。
近いうちに起こるだろう対立に、傍観者の男は不敵に笑った。