玩具箱
□陸・伍
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コンコン、と自室の戸を叩く音に、部屋の主――愴は「どうぞ」と返した。
「よう」
「やあ、待っていたよ、タカ」
余談ではあるが、愴とタカは同じ小学校の出身であり、家も徒歩で行き来できる程に近い。
勝手知ったる、というようにタカは愴のベッドに腰掛けた。愴は勉強机に向かっていた身体を、座っていた回転椅子ごとタカに向けた。
「ご依頼通り、テニス部レギュラー『全員』のデータだ」
「仕事が早くて助かるよ」
「これでも大変だったんだぜ?こんだけの情報集めんのは」
資料を手渡されにこりと笑う愴に、タカは顔をしかめる。
「いや、本当に感謝しているんだ。優秀な右腕が居てくれて私は非常に助かっている」
「…ま、大将の無茶ぶりに答えんのが俺の仕事だからな。で、流石に何でかは聞いていいんだろ?」
「何がだい?」
皆目検討もつかない、とでも言いたげな愴に、タカはますます顔を歪める。
「惚けんなよ。何で急にレギュラー全員のデータなんだ。情報の収集は正確であるほどリスクが高いのは大将も知ってんだろ?」
情報の集め方には色々な手段がある。
タカがまず実行したのはコンピューターで学校の管理フォルダにハックし、テニス部レギュラーの情報を盗み見る事だった。
一見すればとても危ない集め方の様ではあるが、タカからすればこの方法は一番簡単な物だった。
そこでテニス部レギュラーの情報は簡単に手に入ったものの、しかしそれは彼等の『一部』であって『全て』ではない。
学校にある生徒の個人データなど、生年月日や家族構成、あとは住所くらいだ。
勿論それも重要ではあるが、愴が望んでいる事を察することが出来ないほど、タカは愚かではなかった。
ともすれば、別の情報収集の方法――すなわち、聴き込みだった。
これが簡単そうに見えて、最も難しく、最もリスクが高い。
聴き込みは、タカ自身がしなくてはならない。
テニス部について、タカは、『誰にも感付かれない様に』聴き込みをしなくてはいけない。
タカ自身、これまで愴に頼まれた案件には殆んど聴き込みで情報を得ていたが、あくまでその時は、対象の人数が少なく、またあまり認知度も高くなかった為大事には至らなかった。
しかし、今回のターゲットは『あの』テニス部だ。
学校内で知らない人間は居ないだろう彼等の情報は、多くの人間が持っているだろうが、それが逆に動きにくい。
しかし、柳生の時はターゲットは一人であった為そこまでリスクを犯さずに聴き込みが出来たが、今回は柳生以外の全てのレギュラーだ。
それを短い期間で、ともなれば、流石に容易には済まない。
「最大限の注意は払ったけど、どっかから綻ぶ可能性は無きにしもあらずだぜ?」
「まあ、仕方がないさ。ある程度のリスクは承知の上だよ。仁王君や柳君の予想外の来訪には困ってしまったからね。ある程度の準備が欲しかったんだよねぇ」
「…柳の件はどうすんの?」
タカは、恐々と愴に訊ねた。
愴はタカの問い掛けに「ああ」と頷いた。
「まだ考え中かなあ。だが心配は要らないさ。私に任せておくれよ」
「…まあ、大将が平気って言うなら、俺は信じるだけだけどよ」
「ははは、タカは本当に聞き分けが良いね。そういう所、私はとても好ましく思っているよ」
「はいはい。大将の仰せのままにってな」
愴の胡散臭い笑みにタカはヒラヒラと手を振り、棒読みに彼女に忠誠を誓う。その言葉に愴は満足げに頷いた。
「…しかし、ちょっとばかし厄介ではあるかもしれないねえ」
「へ?」
「柳君さ」
愴は肩を竦める。
「彼と話したのはあれが初めてだが、彼の事は私も存じている。有名だからね。――彼は、とても冷静で頭が切れる。私や仁王君の様な機転で乗り切るタイプでは無く、とことん分析してやり過ごすタイプみたいだねえ。一番堅実で、…私が一番苦手なタイプだよ」
「成る程な」
「だが、その分、我々と違うのは、そういう部類の人間っていうのは、往々にして常識的で、現実主義だ。だから私みたいな人間は、基本的に彼の様な人と関わらない。…関わらない筈だった。彼が冷静であれば、ね」
「…違うって事か」
タカは愴を探るように訊ねる。その視線を、愴は手を振り払い除けた。
「確信は無い、が。十中八九彼は夢野姫に盲目的な恋慕の情を抱いているのだろう」
「根拠は?」
「無いよ。言ったろ?確信なんて無いんだよ」
愴は徐に脚を組みつつ「ふむ」と一人ごちる。
「宗教にしろ恋愛にしろ、盲目的な人間は厄介だよ。常識に囚われることが無くなるからねえ」
「確かに…、それはそうかもな。何かそういうイメージあるわ。なんでだろ」
「信者っていうのは『誰かの為』という大義名分が与えられるからねえ。何か咎められても、『あの人の為にやった行為だ』って胸を張れるんだよ」
愴の言葉にタカは納得したように「成る程」と頷いた。
「盲目は厄介だね。ある種一番扱いにくい。自分の信じるものだけを信じる。心を乱しにくい」
「大将にとっちゃ天敵って訳か」
「まあ、そういうことだね。手強いには違いないよ」
それでもやるのが我々の仕事だがね、と愴は笑いながら付け足した。
「さて。そういえば他のレギュラー達は夢野姫にどういった類いの好意を抱いているんだい?」
愴がふと気付いたように訊ねると、タカは「ああ」とポケットからメモ帳を取り出す。
「丸井、真田、桑原、切原は柳と同じく、謂わば信仰に近い恋慕だな。柳程じゃ無いみたいだけど。柳生もその一人みたいだったけど、まあ大将が接触した後は距離を置いてるみたいだな。仁王は知っての通り中立だ。女遊びもしているし、然程夢野にも執着してないみたいだな」
「ふむ。…ん?」
愴はタカの言葉を聞きながら首を傾げ、指を折りながら数を数え始めた。
「確かレギュラーはもう一人居たんじゃなかったかな?」
「ああ、幸村だな。部長だよ」
「部長?重要人物じゃないか。幸村、幸村…と。…ん?」
タカから渡された手元の資料からその名前を探すと、それはすぐに見つかったが、名前の下に書かれたクラスを見た愴は眉をしかめた。
「これ、私のクラスなんだが」
「そうだよ。つか、知らなかったのか?」
呆れ半分驚き半分といったタカを横目に見つつ、愴は「幸村、幸村…」とぶつぶつと名前を呟く。
「やはり記憶に無いなあ」
「まあ、大将は人の名前覚えんの苦手だしな。ほれ、顔見りゃ分かるか?」
タカは足元に置いていた鞄からファイルを取りだし、そこから写真を抜き取る。それを愴に見える様にして掲げると、数秒写真を凝視した後、「ああ!」と愴は頷いた。
「彼か。知っているよ。まあ、あまり話した記憶は無いんだがねえ」
愴の答えに、タカは「へえ」と意外そうに答える。
「クラスメイトとはいえ、大将が人の顔覚えてるなんて珍しいな」
タカの言うことは特に大袈裟な話ではなく、愴は人の顔と名前を覚えられない。
それは愴の記憶力が特別悪い、等という理由ではなく、単に彼女に覚える気がないからだ。
勿論『何でも屋』をやっている以上、人の顔を覚える必要があれば覚えるし、友人と呼べる存在の顔はきちんと認識している。
つまり、愴にとって人の顔を覚えるという行為は、『覚える必要があるか否か』という問題になってくるのだ。
「いやあ、幸村君って確か、入院してただろう?暫く学校に来ていなかったから、来たときにクラスでお祝いみたいな事をしたから覚えているんだよ」
「成る程な。何か話したりは?」
「当たり障りの無いことを少し。基本的に梓とばっかり行動しているし、必要も無く話したりはしないからねえ」
愴の言葉に、タカは「ふうん」と興味無さげに頷く。
「折角クラスメイトにターゲットが居るんだ。接触を図ってみようじゃあないか」
資料に目を通す愴を見ながら、「知らなかったくせに」とタカはぼそっと呟く。
「幸村君はあれかい?所謂信者なのかな?」
「いや?」
「ん?」
「あいつは多分夢野の信者じゃないよ」
タカの言葉に、愴はおや、と方眉を上げる。
「どういう事かな?」
「俺もよくわかんねえんだけど、別に恋愛感情は抱いてないみたいだぜ?ただ、邪険にもしてないみたいだし、仁王みたいに中立なんじゃね?」
「ふうん…。まあ、それは私が探るとしようか」
「いきなり幸村と接触したら目立つぜ?」
「そうならないようにするのは、君の仕事だろう?タカ」
「げえ」
途端に顔をしかめるタカに、愴は優しく微笑む。
「君には期待しているよ」
「…分かったよ」
もう帰るわ、と言い、鞄を拾って扉のドアノブに手をかけたタカの背中に、愴は「タカ」と声をかけた。
「私はね、盲目な信者というものは、愚かな生き物だと思っている」
「へえ」
「私は、愚かな人間が嫌いだ」
タカのドアノブを握る手がピクリと震える。
「君は、そうでないことを願うよ」
「………」
「君には期待している。君とは対等でありたいんだよ」
「………」
「それじゃあね、タカ。夜道には気を付けてほしい」
「…ああ」
タカはそれだけ返事を返し、愴の部屋を出ていった。
途中愴の叔父と出くわしたが、タカを見た途端顔をしかめ、チッ、と舌打ちを打って踵を返した。
タカはそれを見ながら、愴の言葉を思い出しながら苦笑した。
「お見通しって訳か」
愴と出会った当初から、タカは愴を崇拝に近い感情を抱いていた。
「でも俺は、愚者にはならないぜ」
愴に見棄てられない為に、タカは携帯を開いた。
愴が動きやすくなるために。全ては、愴の為に。
(タカ夢ではありません。)