玩具箱
□漆
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パチン、パチン、と人気の無い教室に無機質な音が響く。
窓際の席で一人資料をホッチキスで留める少年を見て、愴は教室の扉を開けた。
ガラッ、と音をたてた扉に、少年はハッとした様に顔を上げ、その音の方へと顔を向ける。
「やあ、幸村君。こんな所で何をしているんだい?」
少年――幸村精市は、愴の姿を認めると、少し顔を緩めた。
「ああ、今日は俺日直でさ、先生から仕事任されちゃって」
「ああ、成る程ね。でも可笑しいな。日直は男女二名なんだから、もう一人居るんじゃないのかい?」
「そうなんだけどね。部活の顧問の先生から呼び出されちゃったみたいで、俺一人でやっているんだよ」
「そう。でも、幸村君だって部活あるのに、こんな事をしていたら不味いんじゃないのかな?」
愴が心配そうに幸村に訊ねると、幸村は少し眉を下げて苦笑した。
「まあ、一応皆には遅れる事は伝えてあるし、もう大会があるわけでもないからさ」
幸村の言葉に、愴は「成る程」と頷く。
今は12月だ。主だった大会は全て終わり本来ならとっくに3年生は引退している時期だが、生憎此処はエスカレーター式の為受験なんてものはない。一応進学テストみたいなものがあるものの、あくまでそれは形式的なものであり、余程の成績で無い限りは落とされることはない。
その為、この学校では引退はしても部活に顔を出す3年生が多く、引退自体していない部活も多い。テニス部も、その一つだ。
「だが君は部長だろう?部活に必要である事には変わりないさ」
「ふふ、そうだね」
「ああ、そうだ。どうかな、私が君を手伝うというのは」
「え?」
愴の申し出に、幸村はポカンとする。
「いやいや、勿論無理にとは言わないさ。あくまで善意として、なんだが。どうだろうか」
「いや、なんていうか、悪いよそんなの」
「はは、私が言い出したんだから、悪いも何も無いさ。ああそれとも、私なんかと作業は憚れるかなあ。その点の配慮をしていなかったよ。すまなかったねえ」
愴がわざとらしく肩を竦めると、幸村は少し顔をしかめた。
「そういう事じゃなくて…。うーん、分かったよ。じゃあ、よろしくお願いします」
「はいはい、引き受けました」
愴は幸村の返事ににこりと笑って了承し、幸村が使っていた席の前の席から椅子を出し幸村の方へと向け、その椅子に座った。
「いやあ、それにしても、自分で作り出しておいてなんだけど、このシチュエーションは緊張するなあ」
「どうしてだい?」
「いやいや、なんていったって、あの憧れの幸村君が目の前に居るんだよ?緊張しない方が可笑しいってものだろう?」
愴が鞄から自分のホッチキスを取り出し、幸村に倣って資料を留め始める。
「へえ、八木川さんって、俺に憧れてたのかい?」
「そりゃあそうさ!才色兼備で眉目秀麗で文武両道の君に憧れない人が居るなら、逆に聞いてみたいものだねえ」
愴の大袈裟ともとれる表現に、幸村は苦笑する。
「はは、流石に過大評価し過ぎなんじゃないのかな?俺を形容するのにその四字熟語は言い過ぎだよ」
「いやいや、ご謙遜なされるな!君ほどこれらの四字熟語が似合う男もいないさ。少なくとも、私はそう思っているよ」
「…へえ、それってなんだか」
幸村はホッチキスを机に置いて机に両肘をつき、指を組んだ。
「八木川さんが俺の事好きみたいだね」
愴の淀み無く動いていた手がピタリと止まる。やや間を置いて、資料に向けていた目を幸村に向けた。
「八木川さん、俺の事好きなの?」
幸村のどこか挑発的な視線と突飛な発言に、愴は一瞬目を見開き、次いで眉をひそめる。
「…それは、回答に困る問い掛けだなあ」
愴は一先ずそう返す。
「素直な回答が欲しいだけだよ?」
「私はいつだって素直なつもりなんだけどね。…仮にそうだとして、その場合君はどうするつもりなんだい?」
「俺?」
キョトンとする幸村に調子を崩しつつ、愴は言葉を続ける。
「君が私を好きだったら問題はないよ?私達が両思いという事になるからねぇ。しかし、そうでなかった場合は私は失恋してしまうんだろう?玉砕覚悟で君に告白してそうなるならまだしも、暴かれる形で失恋なんて、これ程の悲劇はあるだろうか!」
愴の大袈裟な言葉と身振りに、幸村は少し笑ってから口を開く。
「確かにそれはそうだね。でも、それって俺も条件としては同じなんじゃないのかな」
幸村がその答えを返すという事は、間接的に愴への感情を伝えることになる。しかし幸村がその答えを先に答え、結果的に愴にその気が無かった場合は、彼が振られた事になる。
「…ああ、それもそうだったね!いやあ、私としたことが、ついウッカリしてしまったよ!」
当然愴は分かっていた。
こうした会話をしたのは、次の会話の伏線の為だった。
「それにしても、そんな答え方されたら思わず期待しちゃうなあ!…でも、幸村君には好きな子が他に居るんじゃないのかな?」
幸村は笑顔のままだが、一瞬眉がピクリと動いたのを愴は見逃さなかった。
「検討もつかないなあ。誰の事だい?」
困ったように笑う幸村に、愴は「またまたあ」とからかうように指を指す。
「テニス部マネージャーの夢野さんに部員全員が夢中って専らの噂だよ」
愴の今日幸村に接触した本題はこれだった。
タカによって幸村と一緒の日直の当番の女子を顧問に呼ばせ、二人きりの空間を作ったのだ。
当初の予定とは会話の流れが大幅にずれたものの、結果的に相手が切り出した事で元の計画よりも自然に話題を振ることが出来た。
「ああ、確かに夢野さんに皆は夢中だね」
夢野さん、と幸村が言ったことに、愴は少し反応する。
「仕事はちゃんとやってくれるし、嫌いではないね。むしろ好意的に感じているけど、恋愛感情はないかな?」
笑顔のまま答える幸村に、特に嘘をついている様には感じなかった。仁王の様な胡散臭さも無く、愴は内心で首を傾げる。
「(…もしかして、特に手を組んでいる訳ではないのか?)」
愴の予想では、テニス部では夢野姫を守るために部員同士が手を組んでいるのだと思っていた。
しかし考えてみれば柳生に誰かの影を感じる様なことはなかったし、仁王もほぼ独断で動いていた様に思えた。
柳の盲信さと知能の高さから周りと協力していると思い込んでいたが、実際は違うかもしれない。愴は頭の中で再び分析を始める。
ならば、と仮説をたてる。幸村は関係ないのかもしれない、と愴は思った。それほどまでに、幸村は後ろめたさもなさそうな様子だった。
「…あらら、そうだったのかい?こりゃあとんだ勘違いだったねえ。失敬失敬」
ならば、腹を探るだけ無駄か、と結論付け、早々に会話を済まそうとおとぼける愴に幸村はクスクスと笑う。
「八木川さんって、変わっているってよく言われない?」
「ええ?それは心外だよ、と言いたいところだけど、実はその通りなんだよ。私には思い当たる節がないんだけどねえ」
首を傾げる愴に、ふふふ、と幸村は笑う。
「でも、俺は良いと思うなあ。そういう八木川さん、好きだよ」
幸村の口説き文句の様な言葉を聞き、愴は頬を赤らめる事もなく、むしろ少し呆れ気味に苦笑した。
「…幸村君は、本当、発言に気を付けた方がいいんじゃないかなあ」
「ええ?」
「そういう発言が女子にまとわりつかれる原因になるんだよ?」
「はは、気を付けるよ」
苦笑した幸村は、ああそういえば、と話を切り出してくる。
「柳って知ってるかい?」
「え?ああ。テニス部で生徒会書記でもある彼かい?」
「そうそれ。あいつがね、最近妙な事言い始めたんだ」
「…妙な事?」
柳、と聞いて愴の眉はピクリと動く。
「いや、大した事じゃないけどね。どうやら夢野さんが言い出したらしいんだけど、何だか最近テニス部や夢野さんを探っている人が居るらしいんだ」
目が一瞬泳いだのを自分自分で感じつつ、愴は「へえ」と相槌をうち表面上の平静を保つ。
「そりゃあ可笑しくもないさ。何せ君達はあのテニス部だよ?今までにだって、そんな輩は今までだって山程居た筈だろう?」
事実、過去何度かストーカー紛いのものを幸村含めレギュラー全員が被害にあっている、というのは調べがついていた。
それがテニス部の女嫌いさに一役買っている訳なのだが。
幸村は愴の言葉に苦笑する。
「まあ、そうなんだけどね。夢野さんは違うって言うんだよね」
「夢野さんが?」
「自分とテニス部を引き離そうとする誰かが居るって言うんだよ」
愴の頬は僅かにひきつる。
まさか。まさか、既に存在を察知されているとは。
存在を知られるのは、いずれこうなるだろうと元々考えていたものの、こんなに早く、しかも夢野姫にバレるとは愴は思っていなかった。
「それは…、失礼だけど被害妄想って奴じゃあないのかい?」
「そうかもしれないね。でも、うちの部活は皆夢野さんの言葉は絶対だからさ。皆警戒してるみたいだよ」
愴はその言葉で、先程の疑問が解けた気がした。
協力態勢でないに関わらず、やけに連帯感があるのは何故かと思っていたが、彼等にはどうやら共通の目的意識があるらしい。仲間、ではなく、謂わば同士、といったところだろうか、と愴は結論付けた。
「へえ。でも幸村君はそんな事を私に言っていいのかい?」
「どうして?」
「だって。―――私がその、君らの仲を壊す人だったらどうするんだい?」
幸村は、にっこりと笑った。
「俺は八木川さんを信じているよ」
「………」
「そもそも俺は別に皆ほど夢野さんに執着してないしね。柳はそれがファンクラブだと踏んでいるみたいで、色々調べているみたいだよ」
幸村の最後の言葉に、柳が自分にファンクラブを潰せと依頼したのはその為か、と納得した。
そこで、カチリという音が教室に響いた。
ハッとして見ると、幸村がホッチキスを机に置いていた。
どうやら仕事が終わったらしい。
「ありがとう、八木川さん。仕事手伝ってくれて」
「いやいや。此方こそ、話し相手になってくれてありがとう」
「ふふ、俺も楽しかったからいいんだよ」
幸村が荷物を纏め始めたのを見て、愴は傍らに置いていた鞄を手に取る。
仲良く一緒に家に帰る様な間柄ではない。愴は幸村に「それじゃあ」と声をかける。
「八木川さん」
幸村は自分に背を向けた愴に声をかける。
「頑張ってね」
何を、と聞こうと思ったが、何となくそれに対する答えは彼から帰ってこない気がした。
「ありがとう」
愴は顔だけ幸村に振り返り、それだけ言った。
幸村の言葉の真意を知るのは、もう少し後の事となる。
―――――
久々更新。鬼灯の冷徹にハマっていました…。