私と貴方の恋愛事情
□ある目撃者の心境
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気分が優れず、幸村や真田にも心配され(真田は「体調管理も出来んとはたるんどる!」とか怒っていたが)、部活を早引きすることにした。
周りに適当に挨拶だけして着替えを済ませて荷物をまとめ部室を出た。
しかし正面からコートを出ると女どもに囲まれる可能性がある。
普段ならのらりくらりとかわせるが、生憎今日は体調不良で結構キツイ。変に問題になっても困る。主に幸村に殺される。
そういえば、以前授業をサボっていた時に、部室の裏から中庭に出る手段があったのを見つけたんだった。中庭には裏門もあるし、そこから出ればまあ女どもに見つかる可能性は低いだろう。
そうと決まれば即行動。
部室の裏に回り、抜け道に入る。
抜け道、というだけあり、そこは道と言うにはあまりにも障害の多い場所だった。とりあえず葉っぱだらけになるのは覚悟しなきゃならない。ガサガサと草が茂った道を進む。
いつもサボる場所の定番である中庭が見えてきて、ホッとするのも束の間。
「(…誰か居るな)」
女が佇む姿が見え、思わずゲッソリとするが、よく見れば女は誰か待っていたようで、男が女の元へ向かった。
「(告白か…?)」
それとも修羅場か。なんだか知らないがどうやら面白い現場に立ち合ってしまった様だ。
俺は野次馬根性で音を出さないように近付き、二人の近くにある大きな木の影に隠れた。男は軽く女に謝り、女も笑ってそれを受け止めた。…どうやら、割と仲は良いみたいだ。ならやはり告白だろうか。
そんな事を考えていたら、男が気まずげに口を開いた。
「…俺、ずっと遊佐に言わなかった事がある」
「…うん」
修羅場か、告白か。どちらかといえば修羅場の方が個人的に楽しい。
「…お、俺、…Mなんだ…」
………は?
「え?あの…」
どうやら女も言葉の意味を察する事が出来なかった様で、男に戸惑いげに聞き返した。
「だ、だから、俺、Mなんだよ、昔から」
なんというカミングアウト。俺は体調不良も忘れて唖然と立ち尽くした。
「…ちなみにMっていうのは…」
「…マゾヒストって事かな」
女は意味が分からないのか信じられないのか(恐らく後者)男に再度尋ねる。それに対して男は照れ臭そうに答えた。いや、何で照れてんだお前。
「えっと…」
女は戸惑っているのか、言葉を出せないでいる。いや、そうだろう。これには流石に同情しかない。
「出来れば、遊佐には、その…対を担って欲しいっていうか」
ここで初めて女の名前が『遊佐』である事を知った。そういえば初めの方に遊佐って呼んでたな…。
しかし、また遊佐に無理難題押し付ける男。対ってお前…。
「わ、私に、Sになれっていうの…?」
動揺する遊佐。そりゃあな。多分こんなカミングアウトするんだから彼氏だったんだろうけど、反応に困るよなあ。
「…いや、最悪受け入れてくれればいいんだ。…で、出来れば、たまに罵って欲しいんだけど」
なんじゃそりゃ。
ドン引きだよ。やだよ。なんでたまに彼氏罵んなきゃいけないんだよ。遊佐に心底同情する。
「だ、駄目だよ、私…」
「ど、どうして…!君にSになって欲しいなんて高望みはしない!傍に居て欲しいんだ!」
さっきお前罵れとか言ってたじゃねえか。
「私は…」
遊佐は言葉を選んでいるのか、言葉尻を濁し顔を俯かせる。
…無理もないだろう。遊佐の心境は分からないが、やはりこんな男はふりたいんだろう。
しかし、今振れば奴の性癖を否定する事になると考えあぐねているのだろうか。
いや、誰もお前を責めはしない。さあ、その男を一思いに振ってしまえ。
まるでドラマを観るように遊佐に感情移入していると、遊佐が口を開いた。
「私も、…私も、Mなのっ…!」
………………は?
「…!そ、そんな…」
え、いや、そんなじゃなくて、…は?
「…ごめんなさい。私には無理だよ」
まるで悲劇とでも言いたげに目を涙で滲ませる遊佐には、端から見ればこちらも悲しくなる様な雰囲気だが。
俺はひくひくと顔を歪めるしかなかった。
「そっか…」
おい男。そっかってなんだよ。いいのかお前。こんな茶番みたいな理由で別れて。さっきまであんなに下手に出てた癖にアッサリ引くのか。遊佐もMだからか。
「っ…さよならっ!」
そう言って女は中庭から走り去っていった。男はそこに膝から崩れ落ち「こんなのってあるかよ…!」と泣き叫んでいた。
いや、元凶はてめえだがな。
なんとなくまた気分の悪さがぶり返してきて、俺は泣いている男の脇を通り過ぎて裏門へ向かった。
1日寝たら体調もすっかり改善した。
大事をとって朝練を休む為に柳に連絡すると、「構わないが、昨日配布されたプリントを預かってるから、朝俺の教室に取りに来てくれ」と頼まれたので了承した。
部活が終わって数分して、俺は柳の教室に向かった。朝のHRまではまだ時間的に問題はないだろう。
「柳」
教室の扉から柳を呼ぶと、柳は俺を見て机から紙を取りだしこっちに歩み寄る。
「わざわざすまなかったな」
「いや、こっちこそ休んですまんのう」
「体調はどうだ」
「お陰様で全快じゃ」
それは良かった、と言いながら柳はプリントを俺に渡す。部費に関する事で、まあ母さんに渡すか、と適当に折ってポケットに突っ込んだ。
「あ、柳君。ごめん、どいてもらっていい?」
「ああ、すまない」
後ろからかかった声に、そういえば此処は出入口だったな、と思い出し、自分も謝ろうと振り返る。
「ああ、すま…」
言おうとした言葉は、最後まで出すことは叶わなかった。
「…?あ、お話中ごめんね。邪魔しちゃった」
「いや、こちらこそ邪魔をしたな」
「ううん。退いてくれてありがと」
そう言って教室に入っていく女の背中を凝視していると、柳が俺を訝しげに見つめる。
「…おい仁王。松矢がどうかしたか」
「…松矢」
俺はぎこちなく柳に訊ねる。
「…なあ、間違ってたらあれなんじゃが…、あの松矢って、名前遊佐か?」
そう訊ねると柳の眉がピクリと動いた。
「…ああ。あいつの名前は松矢遊佐だ」
なんで知っているんだ、と訊ねる柳に「ちょっとのう」と言葉を濁す。
別にあの女の秘密を守ってやりたいとか、そんな事は考えていないが俺自身、どう説明すればいいのか分からないのだ。
いや、あの女昨日帰るときに見掛けたんだけど、なんか彼氏にMだって告白されて自分もMだから無理って言って別れたんだよね〜、まじうけるわ。
…なんて言えばいいのか。事実だけどカオス過ぎるだろ。
「なんでもなか。プリントありがとさん」
「おい仁王、今のは…」
「今日は部活出るぜよ、じゃあな」
柳に聞かれる前に俺はそそくさと柳の教室から離れていった。
まあ、別に俺とあの女は知り合いでもなんでもないんだ。あの女に関しては、昨日の事を俺が見ていたなんてしらないんだし。
今後も関わることはないだろう、と俺は昨日の出来事を『面白かった思い出』としてまとめた。
まさか、近い未来あの女がテニス部と深く関わることになるなんて、その時は想像もしていなかった。