月花物語

□十五、油小路前兆
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時は流れ霜月。

例の坂本龍馬が暗殺された、と世間が騒ぎだした。それは井上の口を通して、基本屯所に籠りっぱなしな和音の耳にも届く。そして、それが誰の仕業であるかと言う話題になったとき、その日以降決まって出てくるようになる名前に思わず舌打ちした。


「……馬鹿馬鹿しいわ」

「ああ、全くだねえ」


原田左之助が坂本を殺した。
それを聞いた際、その場に居た千鶴が上げた驚愕の声がやけに頭に木霊した。次に先の一言。相槌は井上。更に沖田の笑い声と、原田と永倉の溜め息。暗殺場所に落ちていたという『原田の刀の鞘』とやらは現在、持ち主の手元にしっかり存在している。話にもならない、と吐き捨てる原田に同情した。こんなお遊戯の被害に遭うなんて。

山南さんが何かしたんじゃないですか?

噂元は誰か。そのとき沖田の口から出た名に身が硬直する。話題はいつしか羅刹に関するものとなっていた。目を伏せる。その矢先、頭を軽く、ポンポンと叩かれた。誰だ。左之さんかな……そう思って振り向き、そこに立っていた意外な人物に目を見開く。


「その件についてだが」


和音が立っていたのは入り口付近。つまり部屋の外、襖の向こうが微妙に見える位置だ。頭を叩いたのは土方で、更に近藤の姿が有る。そしてその奥で静かに佇んでいる――斎藤。


「斎藤!?何でここに居んだよ!」


永倉の声と自分の心の声が不本意ながらも合致した。隣で目を擦っている千鶴に倣い和音も同じようにしてみる。が、目の前に居る寡黙な男は間違いなく、伊東に付いて屯所を出て行った斎藤一本人に相違無かった。


「おや、斎藤君じゃないか」

「……」

「久し振りだねえ。御陵衛士の方はどうしたんだい?」


また暢気な。
井上はいつもと何ら変わらぬ口調で和やかに微笑んでいる。何だろう……年の功?妙に落ち着いているというか、動じないというか。見た目より実年齢は若いはずだが、しかし井上のそれに、最早和音は尊敬の念を抱くより他無かった。私もあんな大人になりたいものだ、と小さく感嘆の息を漏らす。


「そ、そうじゃなくて井上さん!交流禁止の御陵衛士の人が居るなんて、土方さんが許すわけ、」

「ごちゃごちゃ五月蝿えな。許すも何も、斎藤は本日付で新選組に復帰すんだよ」

「いやちょっと待った土方さん」


しかし当事者と井上以外の人間には混乱が拭い去れないらしい。当然だ。和音もその一人だが、状況が全く読めない。


「俺たち的には嬉しい便りだけどよ、それじゃ御陵衛士……つーか伊東派の立場は、」

「……まずそこから訂正を。俺は元々、伊東派ではない」


は……?
益々どういうことだ。眉根を寄せる。土方に目を向け詳細を求めた。が、副長殿はこちらの視線に気付かず、腕を組んで目を閉じている。おい。視線をズラす。そこで近藤と目が合った。すると彼は、小さく頷いて教えてくれる。


「斎藤君はな、トシの命を受けて、間者として伊東派に混じっていたんだよ」

「ああ、なるほど」


ようやく理解が追いついた。何故早くにそれを言わない……いや、混乱して質問攻めにしていたこちら側が言う隙を与えなかったのか。肩を竦める。なるほどなるほど、道理で。

あの時、
一番最後に斎藤に会った日のことを思い出す。


「道理で迷わないわけだな、斎藤?」

「ああ……そうだな」


ニヤリと笑うと、斎藤も小さく口元に弧を描いて応答した。



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