月花物語
□十二、迷い
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伊東共々、近藤に連れられて強制的に部屋を離れる。
嫌だと言いたかった。
しかし声にならなかった。
和音は、自分でも驚くほど取り乱して、泣き叫んでいた。
だがしかし、驚くべきことにそれを客観的に見つめる冷静な自分もそこに居て、その矛盾に暫く追いつけなくて混乱する。
今泣いているのは誰だ。
私だ。
で、それは誰だ。
……私だ。
そんな感覚に近い。自分で自分がわからないわけでは無いが、なんというか、不思議だった。
取り乱しながら、落ち着いている。
落ち着きながら、取り乱している。
自分の他にもう一人自分が居るような、変な錯覚に陥る。
それだけ自分は、山南が羅刹であったことに衝撃を覚えているのかと勝手に納得して呼吸を整える。
落ち着いている自分から取り乱している自分に無理矢理命令を下して、どうにか話せるくらいにはなった。
ただ、隣で伊東が癇癪を起こしているので、和音の混乱が治まったところでその場の騒がしさはどうにもならなかったのだが。
「……春原君、大丈夫かい」
「は、はい。もう平気です……」
「そうか。済まなかったね」
「……」
和音はまだ山南についての事情を知らない。だから許す許さないの判断がつかない。
何も言わずに黙り込んだ和音に近藤はもう一度謝罪し、それから未だに騒ぎ立てる伊東を宥めに入った。
忙しそうだ。
自分も騒いでいた身分なので伊東に偉そうなことを言えるでもなく、ここは立ち去って部屋に帰るのが賢明だろうと判断したが、しかしそこで部屋が血塗れであることを思い出す。
和音が殺した羅刹の残骸。
忘れていたわけではない。
まだ自室に、遺体が有るのだ。
「……春原君、今日は俺の部屋を使ってくれ」
「え?」
「君の服を見れば分かる。まだ……残って居るのだろう、部屋に」
「あ……はい」
「だから今晩は、俺の部屋で休んでくれ」
「……あの」
「ん?」
意図せず、口が開いた。
自分が何を言おうとしているのか、自分自身が既にわかっていない。
「……――が、良いです」
「?」
「……あ、いや、な、な、何でもない!気にするな!」
和音は逃げるように、というより寧ろ逃げるという固い意志でその場を去る。
去りながら、考えた。
おかしい。
最近、なんだかおかしい。
今和音は何を言おうとしていたか。
『原田さんが、良いです』
なんだそれは。
何がどうして今原田が出てくる。
わからない。
しかも『良いです』ってなんだ『良いです』って。
何が良いんだ。そして何が良いんだ。
どうしたいんだ、自分は。
何がしたいんだ、私。
「……」
わかっている。
これは所謂、恋愛感情と言うヤツだ。
それはわかった。
だが、その後がわからない。
何故、原田だ。
何故初恋の相手が、新選組の人間なのか。
しかも、幹部なのか。
和音なら絶対に有り得ないその選択。恋に理由は要らないらしいが、いくらなんでも限度が有るだろう。しかしヤツのことを考えると顔が火照るし、鼓動も速くなる。
そもそも、自分が恋愛感情を持ち合わせていたことが既に可笑しな話だ。吸血鬼のお姫様、羅刹の母たる自分に恋をする資格が無いとは思わないが、しかし、である。
春原和音だ。
和音だ。
そいつは、恋をするか。
答えは――『いいえ』だ。
「……誰だ」
自分の中にもう一人、別の自分が居る。
さっき捨てたばかりの仮説が和音の脳裏を掠めた。
これは、きっとそういうことだ。
和音じゃない誰かが、原田に恋をしている。
そういうことなのだろう。
「桃太郎」
姿を現す狐。その小さな相棒に訊ねた。
「これは、誰なんだ?」
「……」
桃太郎の耳が尋常じゃないほどピンと伸びた。
やはりそうなのか。
和音の中には、もう一人誰かが居る……?
「……キュウ」
「わっ……!」
飛びついてくる桃太郎。襟の辺りの臭いを嗅ぎ出した。
くすぐったい。
「や、やめろ、ももたろ……」
「キュッ!」
「あ、こら!」
違った。
桃太郎が反応したのは、和音が襟に隠していたもの――マタタビだった。
「……狐がマタタビ……?」
「キュ〜」
酔っている。
……そういうことらしい。
別に得体の知れない誰かに反応したわけではなかったようだ。
「……はあ」
相棒に餌をやりながら嘆息する。
気付けば、既に目的地に到着して居た。
襖を開く。
とても、寝られる気分ではなかったが。
「和音」
そのとき、背後から声が掛かる。
和音が今一番会いたかった人物が、そこに立っていた。
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