今は昔、陸奥の国に

□刹那の虚弱
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「…蔵人殿」

「は。こちらに。……紫蘭様、私めに敬称などは不要で「一仕事頼めるかしら?」………はい…」


 レティーツィアの小さな小さな呼び掛けにもすぐ反応してどこからともなく現れたのは、伊達家が誇る諜報集団、黒脛巾組の長の片割れ、名を蔵人という。


 かの戦の後、少々無茶をしたからか妙に過保護になった政宗が、レティーツィアの護衛の任を命じた為、常に傍らに控えてくれているのだ。


 日ノ本各地を飛び回り、情報を集める忍軍の長がたかが小娘一人に付き従う。

 これが本当にか弱い姫君なだったらまだ納得出来るものの、魔法のみならず剣や体術、さらには金属器を持つ女に付くなど馬鹿げている。

 人員の無駄だと猛反発したのは言うまでもない。


 半刻にも及んだ攻防の末、頑として譲らない政宗と自ら護衛させてほしいと頼んできた張本人に根負けして、とうとうレティーツィアが了承した。


 これをシンドバッドや八人将が見たならば、「あのレティ(姫様)が根負けするなんて…!」と驚愕したであろう。


 しかし、ただで済まさないのがレティーツィアである。

 ささやかな仕返しなのか、レティーツィアは蔵人が地味に嫌がることをチクチクと続けていた。


「(政宗が言っていた怪しい一軍…毛利・長曾我部との同盟や織田との戦…奥州の政治に、帰る方法探し…自ら仕事に手をつけちゃうのは、もうクセなのかしら……)」


 音も立てず消え去った蔵人を見届け、レティーツィアは眉間を揉みほぐした。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




 レティーツィアを見留める度話しかけてくる人々と談笑しながら、目的地であった建物に到着する。

 一目で新築と分かる家。

 レティーツィアは来訪を告げるためにその戸を叩いた。


「ごめんください」

「………はい、どなた…!、天女様!」

「こんにちはお市さん。長政殿は奥かしら?」

「はい! どうぞ、こちらへ…」


 出迎えてくれたのは、薄桃色の小袖を着た黒髪の美女、お市だった。

 そう。ここは浅井夫婦の新しい住まい。

 彼らが元々住んでいた本拠の小谷城は織田家によって落城したため、住み処を無くした夫婦に伊達の兵士たちが中心となって大急ぎで造った家だ。


 なので、彼女が案内してくれた先には当然彼もいる。


「紫蘭殿! 来てくださったのか!!」

「こんにちは長政殿。お加減は? どこか、痛む所などは?」

「いや、貴殿のお陰で身体は全く。もう何ともない」

「ふふ…この前は二人で町を散歩出来たんです」

「あら、逢引ですか? たった数日で鴛鴦夫婦と噂されるはずですね」


 お市が淹れてくれたお茶を啜り、イタズラっぽく笑えばみるみるうちに赤くなる長政。

 照れくさそうにはにかむお市。

 幸せ一杯な夫婦の画だ。

 レティーツィアは少しだけ目を伏せた。


 長篠の戦。

 あの戦いで、大名としての浅井家は事実上の没落となった。

 当主で大将の浅井長政は誰がどう見ても瀕死。結果的に命は永らえたが、多くの家臣も喪った。


 連合軍で何度か話し合った結果、浅井は伊達に吸収されることになった。

 当主の命を救ったのが伊達の者…つまりレティーツィアだったので、浅井からも味方からも反対の声は出なかった。


 二人は武器こそ手放さないものの、戦場に立つ武人としては引退し、米沢城の城下町で余生を過ごすことになった。


 住み処こそ提供されたものの、これからの生活費は自分の手で稼がなくてはならない。

 家事も商売も、何もかも自分たちの手で。


 身の回りのことは、頼まなくても侍女や小姓がやっていた以前の生活と比べれば大変な毎日だろうけれど(何せお市は割烹着の存在を知らなかった)、そんな日々がとても幸せそうだ。

 二人が生きるには戦乱の世は過酷すぎたのだ。



───「見てほしいものがある」


 そう言って二人が連れてきてくれたのは、すぐ近くにあったそこそこ大きな建物。

 元々は蔵だったと聞いている。


「ここで、小さな学問所を開こうと思うの…」

「私は他にも男子に剣術の指南を」

「お二人が、先生ですか…! 素晴らしい夢ですね!」


 それはとてもいい案だと思った。

 言わずもがな今は戦乱の世。

 一般教養の地位は低いだろう。字の読み書きは武家や公家、商家などの限られた人しか出来ないという。

 言いたくはないがこの奥州の地だって、いつ戦火に飲まれるか分からないのだ。

 そんなとき身を守ることが出来たら助かる命はどれくらい増えるだろう。


「(学ぶ事……知りたいと思う欲求のまま、知識を身に付けることができたら、どんなに素晴らしいだろう……)」


 かつてレティーツィアも籍を置いた、世界最高峰の魔導士育成機関…マグノシュタット学院。

 生まれた時からルフを見る力を得ていた。

 しかし、魔法≠理解していた訳ではなかった。

 まだ幼かったかつてのレティーツィアは、あの場所に飛び込み、そして出会った恩師、マタル・モガメットの教育で瞬く間に知識を吸収した。



───「どうだ、レティーツィア。魔法≠ニは素晴らしい力だろう?」

───「はい! 学長先生! 私、この力をもっと役立てたいんです! 兄様や、私を慕ってくれる人たちのために! より良き世界≠フために!」

───「ふぉっ、ふぉっ……レティーツィア、よく聞きなさい。お前もまた、「特別」な力を持つ、優秀な魔導士だ…」

───「学長先生?」


  豊かな白髭を撫で付けながら、あの人は憂い顔で目を伏せた。

───「優秀な、“知的探求心”に溢れる魔導士は多く見てきた…だが、お前はどこか違う。魔導士でありながら、王の器≠感じる…」

──「………?…学長先生、王になるのは私の兄様ですよ? 私は兄様の一番の家来になるんです!」


 あの時は幼すぎて、あの人の言っている事が分からなかった。

 王の器=B

 それは迷宮に眠る精霊(ジン)たちが、決まって言う言葉。

 当時すでに兄が攻略していた「バアル」や「ブァレフォール」…その他のジンたちも、挑戦者を主とするかを定める時、王の器≠見る。


 まだあの人…モガメット学長先生の“闇”を知らなくて。

 どうして“魔導士”と“非魔導士(ゴイ)”を区別するのか、分からなかった。

 その“闇”を知った後も、モガメット学長先生や上級魔導士たちが、「魔導士が王となる国」が出来ることを…「レティーツィア」が非魔導士を管理する国を創ってくれるのではないかと…期待しているのを何となく察していながら、私は何もすることが出来なかった。


「(誰もが平等に教育を受けられる…自分のやりたいことを、やりたいだけ出来る…自分の両手で、時代を創る…)」



───それは、誰か≠フ願いだった。




 浅井夫婦と別れた後、フラフラと歩き出すレティーツィアを、物陰から見ている人影があったことに彼女は気づかなかった。



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