企画

□三月十四日
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「あっ!おい、松本!」

隊首会を終え、イヅルを引き連れて扉を開けた時、ギンの背後から十番隊隊長・日番谷冬獅郎の声が響き渡った。
その声を皮切りに、辺りが騒然となる。
足を止め少し顔をそちらに向けると、隊長格に囲まれた床に倒れている乱菊の顔が見えた。
いつもは血色の良い顔色が、文字通り蒼白くなっており、固く閉じられた目と眉間の皺が体調の悪さを感じさせる。

「松本さん、大丈夫ですかねぇ」
自分の後ろで心配そうに呟くイヅルの声を聞きながら、皆と同じように駆けつけることの出来ない自分に苛立ちを覚えた。
「せやねぇ。まぁ、四番隊長さんも居る事やし、大丈夫やろ。後で見舞いに行っておいで、イヅル」
部屋にはまだあの男もいる。ここで動揺してはならない。
いつも通り袂に手を入れ、いつも通りの笑顔で言う。
「はい」
イヅルが頷いたのを確認し、ギンは止めていた足をまた踏み出した。

****

今日は現世で言うところの『ホワイトデー』。
バレンタインデーの一月後にあるイベントで、その日に女性からチョコを貰った男性が、お返しをする日なのだと言う。
毎年凄まじい量のチョコを貰うギンとしては、その全員に返すことはできない。
なので毎年くれる雛森、七緒、やちる、そして乱菊にだけお返しをしていた。

今年のバレンタインは乱菊から筆を貰った。
いつもだったら雛森達と同じ菓子を贈っていたが、今年は別の物を贈ろうと思っていた。
この一ヶ月、何が良いかと考えていたがなかなか思い浮かばない。
着物や髪飾りや酒、色々な物を見に行ったがしっくり来る物に出会えなかった。
そんな時、『そう言えば大規模な市があるそうですよ』と何気なく言ったイヅルの言葉に、それだと閃いた。


まだ乱菊と共に暮らしていた幼い頃、市があると噂を聞きつけ、彼女と行った事があった。
質素な暮らしだったが、そんな時くらい乱菊の着物を買ってあげたくて、ギンは必死でお金を貯めた。
それは今にしてみれば大した額じゃなかったかもしれないが、その当時荒んだ流魂街で貯めるには大変な額だった。
そのお金を持って何日も歩き、そして辿り着いた市。
乱菊の嬉しそうに笑う顔を、ギンは今でも鮮明に思い出せる。
その笑顔を見ただけで、ギンは心が満たされていくのを感じた。
乱菊の喜びは自分の喜び。彼女を守るのは自分だと、幼いながら思ったものだ。

『乱菊の新しい着物、買おうな』
そうギンが言うと乱菊はキョトンとし、そして笑った。
『それなら何か布を買おうよ。あたしの着物だけじゃなくて、ギンの着物もボロボロじゃない。布を買って、自分達で縫いましょ』

ギンとしては自分の着物よりも乱菊の着物の方が大事だ。
乱菊の着物を新調するだけの金は持ってきている。
『せやけど乱菊。綺麗な着物があるで?欲しないんか?』
『そりゃ欲しいわよ。でも、それは大人になって、いっぱいお金を貯めた後でいいの。今はギンと美味しいものを食べたいわ』

乱菊は知っていた。この日の為にギンが寝る間も惜しんで、働いていた事を。
だから自分も役にたちたくて、山に入って薬草を摘み、それらを薬にして売っていた。
ギンほど稼げはしなかったけれど。

『ほな乱菊、少し贅沢して美味いもん買うてこ』
『うん!』

日持ちしそうな食べ物を選び、お互いに似合いそうな布を選び、持ち帰られそうにない食べ物を朝飯兼昼食にし、二人は大いに市を楽しんだ。
そして帰る間際、菓子が売っている店へと寄った。
甘い菓子など、普段滅多に口に出来ない。
飴玉一つでも、二人にとっては貴重だった。

『ギン、どれがいい?あたしが買うわ』
『でも乱菊。君、お金…』
『この日の為に、あたしも貯めてたの。さぁ、選んで』
『せやったら、乱菊が好きなん買うたらええ。ボクはええから』
『そう言うと思った。でも、今日は駄目よ。あたしがギンに買いたいの。ギンが選んだ物を』

あの時込み上げてきた嬉しさを、どう言葉にしていいか分からない。
妙な気恥ずかしさの中、貰うだけでは自分の性に合わないので、それならばお互いに贈り合おうということになった。

ギンは乱菊が選んだお菓子を。
乱菊はギンが選んだ飴玉を。

色とりどりの飴玉を、食べることが勿体なくて。
ギンは大事に大事に、時間をかけて食べたーーー


そんな懐かしい記憶を呼び起こしながら、フラりと執務室を出て市に向かったのは、三日前の事だった。

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