01/28の日記

18:00
「1」をつくるということ
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突然何を言い出すのかと思われるでしょうが、「0を1にする」ことと「0.1を1にする」ことは全くといっていいほど違います。

0.1×10=1

0×10=0

つまり、0.1ならばいくつも寄せ集めて1にすることが出来ますが、0はいくつ集めても1にはなりません。

以前から、取り留めもなくオリジナリティとは何かと折に触れて考えていました。
曲がりなりにも皆様の目に触れる文章を書いている私の執筆法は、あくまで周囲に転がっているネタをある程度齟齬のないよう組み合わせて形にする、つまりは0.1を1にするようなものです。
実を言えば、これまでの私は、心のどこかで、0を1にする能力に乏しい自分にコンプレックスを感じていました。
世の中に転がっているネタを組み合わせるだけなら、集めたデータをパソコンで処理しているのと変わらないのではないかと悩んでいました。

しかし、よくよく考えてみると、全くの0から1をつくる人などいるでしょうか?
自分では0からだと思っていても、全く周囲の環境に影響されずに何かを作ったと果たして言い切れるでしょうか?
要は、自分の周囲の0.1、0.01、0.001......、をいかに見逃さないでいられるか、拾ったそれらをどう組み合わせるか、ということが重要なのだ、と思い至りました。
考えてみれば、拾ったネタを組み合わせるにもセンスが要るわけです。
それに気づいて、ちょっと気が楽になりました。
自分の周囲の、ネタの欠片を見逃さないよう眼を磨くこと、拾った欠片を組み合わせるセンスを高めること、これを忘れないでいようと思います。
それこそ、人間と機械の間にある決定的な違い、いわば「魂」とでも呼ぶべきものと信じて......。

所詮、0を1にできないことから逃げて開き直っているだけと言われればそれまでなのですが......。
更新するわけでもないのに、長々とどうでもいいことを書いて失礼しました。
それでも、『モコモ黄門』の本文は完成しています。
あとがきが書き上がれば公開予定です。
今しばらくお待ち下さい。

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