短い読物・弐

□鴨鍋
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 * * *

 三番隊のある区画から遠い飲食街にある飲み屋で、ギンはカウンター席で独り、手酌酒を呷っていた。全身から『構うな』オーラを放ちながら。

「どうしたんすか、市丸隊長?」
「珍しいっすね」

 隊長格の刺々しい霊圧にもめげず、六九の副隊長コンビが明るい声をかけた。既に息が酒臭い。慣れもあって、ずっと空席だったギンの左右に陣取った。

「あぁ、檜佐木クンに阿散井クンか」

 強面で体育会系にみえる彼らだが、そこは副隊長。真面目で有能な隊長のもと、しっかり実務もこなす……

「ルキアが差し入れ持って来た途端、お前は要らんって隊長に追い出されちまって」
「って泣きついてきたコイツと飲んできていいって隊長が」

 各隊それぞれ事務量は違っても、年度末の繁忙期には変わりない。三番隊ではイヅルが提出書類の最終確認をしている頃だろう。

「なんつーしみったれた顔して呑んでんすか、市丸隊長?」

 空きっ腹に燗酒を流し込んでいたのを見咎めた恋次が、ギンの手から猪口を奪った。修兵は肴の注文を入れている。

 他隊の隊長でも、どれだけ荒んでいようとも放っておけない彼らの人の好さが、割る気のなかったギンの口を開かせた。

「……最近イヅルが変なんや」

「吉良が変? そんなの、いつものことじゃないっすか」
「だよなー」

 いったいウチの子はボクがおらん所で何やらかしとるんやと思ったが、今のギンにツッコミを入れる気力は残っていなかった。

 * * *

『今年は面白いプレゼント用意できひんかったから……ボクでえぇかな?』って夢を見たんですよね――

 毎朝毎朝、着替えを手伝う名目で押し掛けてくるイヅルが、そんな戯言をホザき始めたのは、カレンダーの月が弥生になってからだった。

 昼間はいつも通り、真面目に執務をこなす。地味な事務仕事も嫌がらない。その甲斐あって年度末になっても平常運転を続けられる三番隊の中で、イヅルだけは忙しかった。

 二人分の27日を空けるために。

『ものすごく恥じらってらっしゃるのが、とても可愛らしくて。もう僕どうしようかって』

 今朝も、そんなイヅルをどうしてやろうかと湧いた殺意をギンが覚える前に枯れさせる浮かれっぷりを披露してくれた。3月27日だけ一日が長くなればいいと思いませんかと、日々カウントを増やしていった。

 増えた時間を何に使うつもりなのか、怖くてとても聞けなかった。

「ほぼひと月、毎日ずっとやで?」

 ギンは疲れていた。疲れ切っていた。27日が24時間のままだろうが51時間に増えようが、もうどうでもよかった。隊長決裁の疲れも溜まっている。丸一日、眠って過ごしたかった。

「あれ? 市丸隊長って、吉良とそういう仲なんじゃないんすか?」
「酔うとノロケて……って、事細かにゃ聞いてないっすよ!?」
「だいたい、ほとんど人語んなってねぇしっ!」

 質量と方向性を持たせた霊圧で首を締め上げる直前で、それすら面倒になったギンは殺気を引っこめた。イヅルは酒に弱い。たぶん二人の言うとおり、口が滑らかになる頃には眠気に襲われていて、流暢すぎて通じていないのだろう。

「万が一そうやったとしても。そないなシチュ、あり得へんやろ?」

 イヅルの夢の通りなら、頭上と胸元に大きなリボン、小指に結んだ赤い糸の先を差し出して『今年はボクがプレゼントです』。あり得ない。本人の希望に沿えば最も喜ばせてやれるとわかっていても、ギンのプライドが許さない。

「そんなもん貰うて、キミらやったら嬉しい?」

 瞬時に恋慕う相手へイヅルが思い描くシチュエーションを投影してしまったのだろう。二つのゴツイ強面が真っ赤に染まる。

「……若いなぁ、二人とも。でもって可愛いなぁ」

 人の部屋に忍び込んで、見付かりにくい場所にヴェールや赤いリボンを置いていくような老獪さは、彼らにはない。発見するたび捨てているのに、拾ってくるのか新しく買っているのか、翌日には捨てる前より増えている。

 たぶん27日の零時になるのを待って訪れたイヅルにラッピングされて、その場のノリで「おめでとう」とかポロっと言っちゃったりして喜ばせてしまうのだろう。

 既にギンは近未来に起きる現実を受け容れていた。

「市丸隊長…………吉良のこと、嫌いなんですか?」

 ぼんやりお品書きを眺めていたギンは、神妙な声で問われて苦笑を浮かべた。

「時々困った子やなー・て本気で思うことあるけど、」

 言葉の合間の溜め息で揺れた酒がカウンターに零れた。横から真っ白な手巾と一緒に細い手が伸びてきて、ギンの指から猪口をそっと抜き取った。神経質そうな見た目通りの動きで、汚れを拭っていく。

「嫌いやったら近寄らせへんし、世話も焼かせへん」

 なぁイヅル? と振り仰いだ肩に掛けられたのは、「三」の一文字が鮮やかな白羽織。内側にそっと、羽裏色と同じ白殺しの薄布で仕立てた羽織を忍ばせて。

「お迎えに参りました、隊長」

 三月最終週の週末に三連休を取れるだけの仕事を終わらせたイヅルが、視線を伏せて二歩下がった。撫でてくれたら頑張れますと強請って、毎朝よしよししてもらった頭を下げる。

「おおきに。ほな帰ろっか」

 これでこの二人分も、と多めにカウンターに紙幣を置いて、ギンが席を立った。その両袖を左右から修兵と恋次が掴んで引き留めにかかる。

「ちょっ、そいつと帰っちまっていいんすか、市丸隊長!?」
「鴨ネギ願望でもあるんすかッ!? あんたマゾですか!?」

 自分はともかくギンを悪く言われて黙っていられないイヅルが、恋次の科白を聞き逃さずはずがなかった。振り向いた碧い瞳が座っている。笑みの形に歪めた唇からドスの効いた声が洩れる。

「…………それ、どういう意味、阿散井君?」

 ギンに断りを入れたイヅルが、恋次の正面に戻ってガンをくれる。因縁をつけられた恋次が見上げられているのに見下されているような錯覚に陥るほど挑発的な視線で、狼狽する友人を斜め下から睨め回す。

「どういうって……えーっと……お前みてぇなグルメなサドと一緒に帰って大丈夫かって訊いたんだよ!」

「グルメ? 僕が? やっぱりそう思う?」

 グルメという単語以外を華麗にスルーしたイヅルの表情が一気に晴れる。ほんの少し前のヤクザ声より、確実に1オクターブは高い。

 呆れると同時に、恋次は霊術院時代を懐かしく思い出した。

『僕ね、頑張って絶対に市丸副隊長のお役に立てる死神になるんだ!』

「あぁ。何を旨いと思うかは人それぞれだけどな」

 肉といえばジビエが当然の流魂街出身者と違って、イヅルは瀞霊廷生まれの貴族。誕生日くらい本人が美味しく感じるご馳走を食べてもいいだろう、と恋次は思っている。それがたとえ葱を背負った鴨に似た狐でも。

「ま、なんだ。とにかく夢が叶ってよかったな。あと、ちょっとフライングだけど言っとくわ。誕生日おめでとう、吉良」


Happy birthday IDURU 2020.3.26
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