演題祓詞4

□1.転んだら危ないと思って支えていたんです
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 恒例の隊首会からの帰り途。執務室へ最後の角を曲がってすぐ、ギンは急に足を止めた。きっちり五歩分、左斜め後方に離れてついてきているはずのイヅルが、ギンの背中に顔面をぶつける。

「……なんで今日は、真後ろなん?」

 ずっと気になっていたものの、誰が聞き耳を立てているかわからない公共スペースで、リアクションに困る変態的回答を返されたら一大事。たまにイヅルはギンでも読めない言動を取る。隊長としては高いとは言い難い三番隊の評判が今以上に下がる事態だけは避けたいので、ギンはここまで声をかけるのを待っていたのだ。

 転んだら危ないと思って支えていたんです

 しかし、イヅルの返答は意外にまともだった……これが足場の悪い状況だったなら。大荷物を抱えて階段を上り下りしているときだったなら。洗剤が零れている水場に、そうと知らずに踏み込もうとした瞬間なら。大虚の大群に追い詰められていたなら。

 確かにギンは追い詰められていた。大虚ではなく、イヅルに。

「転んだら危ないと判断しましたので、僭越ながら支えさせていただいております」

 ギンの知っている『支える』という言葉は、イヅルが使っているものとは意味が違っていた。少なくとも腰を抱き寄せてゴリゴリ下半身を押し付けながら、もう片方の手を衿元に忍ばせる状況を指す言葉ではなかった。

 ここで止めなければ、もっとヤバい状況に陥ることを、ギンは痛いほど知っていた――その身を以て。

「イヅル。待て」

 今さら傷つくような繊細さは持ち合わせていないし、後ろの操を立てた相手もいない。孕んだら瀞霊廷を揺るがす特大スキャンダルになって十二番隊長に追い回されるだろうが、その可能性もゼロなのでイヅルの好きにさせてきた。しかしギンにも打つ手は残っていた。なぜなら基本の躾は完璧だから。

「おすわり」

「はい、隊長」

 不機嫌丸出しで返事をしたイヅルは、ギンを抱えたまま廊下に座り込んだ。腰回りで一時停止していた手は袴の隙間からの侵攻に成功、足の付け根を撫で擦ってから下帯越しにやわやわ刺激を与えはじめた。衿を寛げようとしていた手は、すでに堂々と肌の上を這いまわっている。「おすわり」が発動したときに、「待て」の効果が切れたらいい。今のイヅルは、『命令は一個ずつでお願いしますモード』に入っていた。

 そこでギンは制止を諦めて、「お手」と両手を広げてみた。

「……はい」

 悪戯な手が両脇から伸びてきて、ギンの手に重ねられる。肌蹴た胸元は気になるが、しっかり捕まえておかないと、この手はまたすぐに悪さをしに戻ってしまう。

「ずっと『おあずけ』とは言うてへん。夜まで待てへんの?」

「そうですけど……でも、いつ誰が来るかわからない廊下って興奮しませんか?」

 囁いた口が衿を噛んで肩口まで引き落とした。首筋を舐めるイヅルの舌が、欲を煽ろうと忙しなく動く。ギンは深く溜め息を吐いた。

「しません。ちゅうか、イタしません」

 隊舎の最奥、薄暗い廊下。座り込んで体を密着させた男が二人、両手の指を絡めたラブ繋ぎ。通りかかった誰もが完全に誤解して「お邪魔しました」「どうぞごゆっくり」と要らぬ気遣いをしそうなシチュエーション。

「人払いの結界を張りますから。いいでしょう、隊長?」

「あかん。夜まで『おあずけ』言うたら『おあずけ』や」

 どうしても今がいいと言い張るのなら、握っている指の骨を治療できないくらい粉々に砕いて準備万端の一物を縛道で捩じ切ってでも抗ってやる、とギンは霊圧を上げて凄んだ。

「わ、わかりました夜まで待ちますっ、待ちますから!」

 慌てて身を離したイヅルを冷ややかに見下ろしながら、ギンは乱れた死覇装を整えた。衿に白羽織を沿わせて仕上げると、執務室の扉に手をかける。

「腰砕けにして『やから支えとってよかったでしょ?』とか言うつもりやったんかもしれんけどな? ボク、まだそこまで堕ちてへんし、見られて興奮するような変態でもないから。残念やったな、イヅル」

 そこまで読めちゃう隊長が変態じゃないなら僕もまだ変態なんかじゃありませんー、と舌を出したイヅルの眉間に、扉脇にあった花瓶がクリーンヒットした。


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2019.8.6

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