現在の日本の首都である第二新東京。旧長野県松本市の公立進学高。そこの生徒である三人は、放課後の教室で頭を突き合わせていた。それぞれが疑問に思っていた事柄が一致し、ここに到ったのだ。
「それじゃ」
「ええ」
「せいのっ」
三人は一斉に期末試験の結果を見せ合う。用紙を出した途端、他二人の学年順位を食い入るように見る。このようなプライベートを明かす事は滅多に無い。当然、お互いに興味深く視線を這わせる。
「リツコ…」
「赤木…」
リツコの用紙を見て、二人はやはりというか、流石というか…羨望と尊敬の目でリツコを見る。
「一番か。当然っちゃそうだが…平均って、一年からのトータルだよな?」
「知ってるでしょう、そんな事」
「…今までずっと一番てコト?」
「ええ、そうよ」
入学してから、つい最近行われた一学期の中間テスト。それが全て学年で一番という事だ。リツコは無表情で加持とミサトの用紙を見ていたが、小さく背を丸めているミサトと目が合うと、眉をひそめる。
「ミサト…あなた、編入試験にパスしたくらいなのに…後ろから数えた方が早いじゃないの」
「べ、勉強はしてるんだけど」
恥ずかしくて見せられない…そんな感じでミサトは用紙を引っ込めた。
「加持君は意外ね。今回5位、平均3・4位…凄いじゃないの」
「意外って言葉が引っ掛かるが、こんなトコ」
「一つの可能性が無くなったわね」
(成績至上主義だと思っていたのは、私の勘違いみたいね…)
リツコはずっとそう考えていたのだ。成績の良し悪しだけが、理由では無い。それがミサトにより判明された。
「うーん…血液型は?私A」
「あっ、俺も」
「…Bよ、私は」
椅子に座って足をブラブラさせながらミサトは頚を捻った。
「それじゃあ、誕生日」
「十一月だけど。あなたねえ、真剣に考えてるの?」
隣の席でリツコが溜め息を吐く。さっきからずっとこの手の質問を繰り返している。好きな食べ物は何だとか、好きな色は何だとか、全く生産性の無い問いばかりで答えるのも馬鹿らしくなる。
「葛城の言う事はアホらしいのは確かだ」
「…すみませんね」
女子二人の前で行儀の良いとは言えない格好で座っている加持が言葉を足す。
「でもさ、そういうどうでもよさそうな事から何か見付かるかもしれないな」
「この学校の生徒全員が同じ日に生まれたとでも?」
「まあ、それはあり得ないけど」
「大体さ、俺は男だし。赤木と葛城は女。まずさ、そこから違うし」
「…それ以外で考えていくと、何だろうね」
話題がループする。結局何も分からない。
「加持君、一年の時に三年の人と付き合っていたわよね」
「…古傷に触れてくれるなあ」
「気にしてる様子も無いじゃないの。その人はどうだったの?」
「どうって…特に思い当たる節は無いな」
(目立つ人だったわよね)
外見は美人なおっとりしたお嬢様。あまり芳しくない噂は良く耳にした。ここにはそれほど目立つ生徒もいない。その分、彼女は元の容姿もあるが、かなり目立っていた。
「そうだな…ああ見えて、結構良い所のお嬢さんだったな」
「"良い所のお嬢さん"そうねえ…」
リツコはチラリとミサトを見る。彼女にこの手…家の話は禁句だ。それに気付いたように、ミサトは首を横に振る。
「わかんないけどそれはないよ、きっとね」
「ごめんなさいね、あなたに家の話は良くないわね」
「良いよ。そのためにこうしているワケだしね」
少し寂しそうに笑うミサト。それを見て加持が口を開く。
「家柄が良いとか、親の仕事とかなら俺も真っ先に除外されると思うが」
加持は極普通の家庭で育った。リツコの母親のような優秀な人間は家族にいなかったはずだ。
「まるきり分からないわね…」
三人にはこれといった共通点は見付からない。たった三人でもこれなのに、生徒全員の共通点等、有るはずも無いだろう。
「この線はナシか」
「他から考えてみるべきかもしれないわね」
「一応、頭には入れておいて。分かった?ミサト」
「うん」
(考えれば考える程、分からなくなっちゃうかも…)
ミサトは成績は良くない。少なくともこの学校では下の中。加持とリツコは想像していた通り、頭脳明晰だ。女子生徒が少ないから二年に上がれた…そう考えたが、学年が上がる際に姿を消した女子もいる。これでは辻褄が合わない…ミサトはそう思った。
(…単純な話でも無いようね)
リツコは至極簡単に、成績上位者のみ残されると考えていた。人は見かけによらないと言うとミサトに失礼だが、彼女はわりと真面目な生徒なのはリツコも分かっていた。だから、そこそこの成績は維持していると思っていた。しかしそれが否定されたとなると、謎は深まるばかりだ。
(俺が残ったワケか。それこそワケわかんないな)
リツコは見るからに有能な人間だし、母親は有名な学者という噂は、入学当時にすぐに広まった。彼女と加持は全く逆の人間と言っても良い。両親を亡くし、どうしようもない生活をしていた所で、叔父に拾われた。恩があるから必死に勉強し、この学校へ入った。その後、彼は事故に遭い、リハビリ中だ。
叔父は喜んでくれた…喜んでくれていると思う。
(と、話が反れたな)
葛城は、変な時期に転校してきた女の子。事情を知った今となれば、納得できるような気はするが、まだまだ謎はある。本人すら分からないんだから仕方がないだろう。彼女について詳しく知っている事は、自分と同じく親がいないという事だけ。
(…人の事には案外鋭いが、自分の事には鈍いんだよな)
「やはり、幾つか条件があるようね」
リツコが再び口を開く。最初に考えた事だが、事柄が複数存在し、その幾つか…或いは一つでも当てはまるなら、良い…そういう事だろう。
それでも、一つくらいは何か三人に共通する事が有るのではないかという考えに到ったが、特にこれだと言える物は無い。
「まだ時間はあるわ。様子を見ていきましょう」
「ああ、そうだな」
「うん」
高二になったばかり。三年になるのはまだ先…なれたら…の話だが。
「それじゃ、行くわ。塾の時間だから」
そう言うとリツコは席を立つ。二人もつられて腰を上げた。このまま話を続けても無駄だろう…加持もミサトも帰る事にする。
「ミサト。無理は禁物よ。何事も」
心配そうなリツコの表情。加持がついているから、大丈夫だとは思うが、彼女は突拍子もない事を度々する。
(思い当たる事がない訳ではないのよね)
ただ、その考えは加持には無関係だ。リツコはミサトと二人で話すべきだと判断した。後はミサトの話次第で、確信を持てるだろう。
(当たっていたとしても複雑な気分ね…)
「眠い…」
「最近、またか…」
電車のドアの側に立ちながら、うとうとしだすミサトを加持は見ていた。帰宅ラッシュで車内は混雑している。
「ほら、場所交替」
今にも眠ってしまいそうに、フラフラし始めるミサトの背中を押して、壁際に立たせる。少し動けば人に当たってしまうから、その方が良いだろう。
「送ってくよ」
「ん…いいよ、私の方が降りる駅、後だし」
「確実に乗り過ごすだろ、前みたいに」
「前?」
「…覚えていないのかよ」
少しがっかりする。あの時声をかけたのが加持だという事を知らなかったらしい。
(俺は鮮明に覚えてるんだが…)
正確に言うと、その後の出来事が強烈すぎたから忘れられない。一年も前の話なのに、加持には、つい昨日の事みたいに思える。
「じゃあ家、寄ってく?」
「いいよ、いつも悪いし」
「あの人も葛城が来りゃ大喜びだ。かまわないぜ」
「…うーん」
どうしようかな、というようにミサトは首を傾かせている。どうせ家に帰っても特に楽しい事は無い。
(今日も来てるんだ)
体の不自由な叔父の退院を待つ彼女。今は加持の保護者代理…という感じ。
「じゃあ行こっかな」
「よし、決まり」
(加持君も、色々あったよね)
両親を亡くしている事、協調性があるような無いような人。そして、思っていた以上に成績は良い。沢山の事が、ここ半年で起きた。それが切っ掛けで、段々分かって…分かり合えてきたと思う。でもまだ、ミサトから見ると不思議な人。
「降りるぞ。大丈夫か?」
「あ、ううん」
考え事をしていたら眠気はすっかり消えていた。ドアが開くと二人は他の乗客と共に駅へ降りる。
「リョウジ君、お帰りなさい。葛城さんいらっしゃい」
朗らかな態度でいつも加持に接する女性。家にいる時は、必ず玄関で出迎えてくれる。歳は分からない。五十手前くらいにも、三十くらいにも見える。家事が好きで、彼女がこの家に来てからは、いつも家中綺麗だ。
「ただいま」
「おじゃましまーす」
女性は笑顔で頷く。彼女はいつも幸せそうに笑っている。何が彼女を強くしたのか…それは分からない。けれど、切っ掛けはあったと加持は思う。何かを乗り越えて身に付けた強さ。彼女はそれを感じさせる。
「行こうか」
「あ、うん」
ミサトを促して階段を上がる。昔は物置とされていた、六畳の部屋。今は加持に与えられた部屋。新しい、綺麗なフローリング。この部屋だけ叔父が建て替えてくれた…加持のために。
「加持って成績良いよね…」
「要領が良いだけさ」
女性が淹れてくれたコーヒーミサトに勧め、自分も口に付けると、加持は何でもないって風に言う。
「いただきます。でもさ、それってフツーなの?」
「何がだ?」
何度も来ている部屋。ミサトは慣れた様子でベッドを背凭れにしてコーヒーを飲む。一番入り口に近い場所…そこがミサトの定位置だ。
「成績って、上位者だけ貼り出したりしない?フツーは」
「…貼ってあるぞ。十位までだが」
「へ?そなの…そう言えば見たような。自分に関係ないから忘れてたかも。でもリツコは加持の成績見て驚いてたじゃない」
「赤木こそ、自分は一位って決まってるし、他の人間を気にしないんじゃねえの?」
(リツコらしい…)
コーヒーを一口すすってからミサトは口を開いた。
「そうよねぇ。マンガやテレビドラマだとそうだもん」
「学校の方針によるけどな」
(赤木や俺が思ってる程、コイツは考えてないのか…?)
加持から見るミサトという人間は普通の高校生。特別、何かに秀でている訳では無いし、とりたてて悪目立ちするタイプでも無い。強いて言えば体育は得意分野という事くらい。
(まあ、時々とんでもないコトをやらかすが…)
「なに…人の顔ジロジロ見てさ」
「いや、別に」
言いかけた時、階下からあの人の声がした。会話は中断される。
「リョウジくーん、ご飯できたわよ」
「今行きます」
「私が行くよ」
そう言ってミサトは部屋を出ていく。足音が遠ざかり、しばらくすると笑い声が聞こえてくる。あの人とミサトの笑い声。
(不思議なヤツだよな)
大体、リツコや加持といった少々浮いている人間と仲良くする事自体、彼女は変わっていると、他の生徒には思われるだろう。しかし、そういった周囲の視線に気付いていない…或いは気にしていない。どちらにしろ、やはり不思議な存在。
普通の女の子に見えるコイツが、一番変わっている。リツコよりも、そして加持よりも。
「美味しいね」
大きな口を開けてハヤシライスを食べる。食事をしている女の子というのは無防備で良いモンだと加持は思う。ミサトは食べている時は無条件で幸せそうだ。
「俺も似たようなモンだよな」
「なにが?」
「さあな」
「なにそれ…」
スプーンを持つミサトの手が止まる。
「前にも言ったけどさ」
頭の後で両手を組んで、背中を伸ばしながら加持が言う。
「葛城は俺が守ってやるよ」