一応、どこかに行かないか…と誘った手前、外出するべきだ…女の子の家に居座るのも気が退ける。加持はそう思った。しかし、体が汗でベタついて気持ち悪い。

「シャワー浴びてくれば?その間、洗濯して乾かしちゃえば良いし」
「そいつはありがたいが…」

それを察したように、ミサトが声をかけた。図々しいよな、等と考えるヒマもなく、ミサトは押し入れを開けると、手招きして加持を呼ぶ。

「貸すよ。着れそうなの選んでね」
「ああ、サンキュー」

やはり出かけるからにはサッパリしたい。ミサトの言葉に甘える事にした。意外と言ったら失礼だが、沢山の洋服が狭い押し入れにひしめき合っている。自分でも入りそうな、大きめのTシャツと部屋着であろうスエットを借りる事にする。

「じゃ、コレ借りるわ」

そう言って加持は風呂場へ入った。これも失礼だが、放り込んでボタン一つ押せば乾燥までできる、最新式の洗濯機があった。そして、お世辞にも綺麗とは言えないアパートなのに、風呂場はやたら広く、ゆとりがある。

(葛城の性格が性格だからな…)

マメなタイプではないのを、保護者は良く理解している…

(考え過ぎだよな)

「洗濯するの忘れないでねー。タオルは引き出しにあるから」

ドア越しにミサトの声がした。遠慮なく使わせてもらう。

服を脱いで洗濯機に放り込み、スイッチを押してから、シャワーを浴びる。妙な感じだ。彼女でもない、女の子の家で風呂に入るっていうのも。

(…なんつーか、気恥ずかしいモンだな)

ミサトが生活しているスペース。彼女のテリトリーである、彼女しか使用していない風呂。

(あまり考えるの止めよ…)

できるだけ周囲を見ないようにし、さっさと体だけ流し、さっさと体を拭いて借りた服を着る。思ったより小さいが、入らない事もない。それに、やたら良い匂いがする。

不思議な事に、例え同じシャンプーを使っても、同じ洗濯機で洗っても自分にはつかない匂い。女の子特有の香りがミサトには纏われてる。

(不思議だよな、女の子って)



「朝ご飯食べる?」

着替えて部屋に戻ると、机の上に素晴らしい朝食が用意されていた…はずもない。手渡された菓子パンを加持は無言で受けとる。

(…やっぱ、葛城だな)



電車に乗って、とりあえず街中へ向かう。どこへ行くにしても、中心街まで行かないとならない。交通の便が悪いから。田舎とはそんなモンだ。

「ハラ減った」
「さっき食べたばっかでしょ」
「あれだけで16歳の食欲は満たされない」

あっ…と、何かに気付いたような顔をするミサト。

「どうした?」
「私も16になったんだ」
「へ?」
「今日誕生日」

すっかり忘れてた。ミサト何でもない事のように言う。そういった、自分に関する事は覚えているらしい。忘れたい事…忘れさせたい事…それだけ記憶がすっぽり抜けている。若しくは、思い出させないようにされている。

(意図的な感じだよな。やはり)

「へえ。そいつは光栄だな」
「なんで?」
「誕生日を一緒に過ごせるのがな」

良く分からない…ミサトは加持に理由を聞こうとしたが、丁度降りる駅へ着き、ドアが開く。

「とりあえず何か食おうぜ」

ミサトもお腹は空いていたので頷く。



昼と夜では、同じ街でも全く違って見える。この辺に来るのは久しぶりだ。昔良く来た所。叔父に拾われる前、その後も。寂しさをまぎらわすように、毎晩のように加持はここに来ていた。

(あまり思い出したくもないが)

嫌な事も何度となく遇ったし、痛い目にも遇った。それでも、忘れようとは思わない。今の自分があるのは、その時の経験があるからだ。

(葛城はどうなんだ?)

横を歩くミサトをチラっと見る。ボーダーのキャミソールに、白いシャツをさらりと羽織り、膝たけのパンツ姿。いつも制服だから、新鮮だ。

本当に普通の女の子。誰が見ても。記憶を閉じ込めたい…或いは意図的に無くされている。辛いから思い出したくない、又は思い出させたくないのか…そんな辛い経験をしたようには見えない。

「何食いたい?今日全部俺の奢り」
「え?悪いよ。いつも夕飯食べさせてもらってるし」
「誕生日じゃん。特別」

立ち止まり、ミサトは加持を見上げた。前より目線が高くなっている。背が伸びたのだろう。少し考えてから、じゃ遠慮しない…と笑いながら言う。

「そうだな…三つまでオッケー」
「ん?」
「今日は三回、葛城の願う事何でも聞くよ。それがプレゼントな」

ありがちな考えだ。加持はミサトの趣味はあまり知らない。この提案は無難だ。

「メシ食いながら考えといて。で、何食う?」
「ラーメン食べたい」
「この暑い日にかよ…」
「暑い中熱いラーメンは最高だよ」

確かに悪くない。それにミサトと一緒ならどこへ行っても楽しい…そんな気がする。二人で出かけるのは始めてだが、加持はそんな気がした。

「了解。んじゃ、俺のお勧めの店行こうぜ」



カウンターだけのこじんまりとした店。なかなか評判が良いからいつもは混むが、昼時を外していたので、客は少ない。

「あ、美味しい」

目の前に並ぶラーメン。それにライスと餃子。あっという間にミサトの口に運ばれ無くなっていく。

「すみません、餃子もう一皿」
「もう充分だよ?」
「俺の分が足りないんだが。おまえ、良く食うな」
「滅多に食べれないじゃない?カップラーメンにも飽きたし」

エアコンが効いているから、確かに食はすすむ。加持もミサトと争うように箸を動かす。油断すると、全部ミサトの胃に入れられそうだ。

「んで、なんか欲しいモンとか行きたいトコとか思い付いた?」

箸を止めずにミサトは考え始めたようだ。多分、忘れていたのだろう。

「行きたいとこかあ…んー」
「何処でも付き合うぜ?男に二言はない。ただ、体調と相談しろよ?」

この食欲を見る限り、全く問題はなさそうだが、昨日の今日だ。一応、加持は言っておく。

「この辺をぶらぶらしたいな」
「ああ、葛城は来ないのか」
「…新東京に行く時に通るけど、いつも通りすぎるだけだったから」

"新東京"というキーワード。多分ミサトも今は考えたくないのだろう。そんな感じだ。

「分かった。じゃあ行こうか」



歩いていると、加持の知り合いに何人も会う。中学の時のツレが多い。土曜日だし、他に遊ぶ所もないから当然だ。

「加持?」

同じ年齢位の男子の集団。驚いたように加持を見る。

「よう」
「やっぱ加持だよな。変わるモンだな。進学高行くと。最近全然来ねぇし」

(大差ないんだがな。今も昔も)

やりたい事、興味がある事をしてるだけだ。好き勝手な人間。深く考えない。自分はそんな人間。加持はそう思っていた。

今、最も関心があるのは新東京。何故か凄く惹かれる。ミサトが関わっている事も理由の一つだが、リツコから聞いた母親の話もある。

「顔広いんだね」

感心したように、ミサトは言う。

「ずっとこの辺にいたしな。中学からのツレってだけ」
「友達多いんだ」
「友達と言うのとはちょっと違うな」

遊び仲間だ。本当の意味での友人とは言わない。勿論、気の合うヤツもいた。だけど、環境が変わると離れて行った。

(俺には友人っていないのかもな…)


そんな事を考えている間も、ミサトは物珍しげにあちこち見ている。何を見ても楽しそうだ。

少し、ツレと話している間も時折ミサトを目で追っていた。さっきから何かをずっと立ち止まって見ている。

「じゃ、またな」

葛城の方へ向かう。何を見ているのか気になる。アクセサリーが幾つか並んでいる。あまり、そういうのには興味がなさそうに感じていたから、ちょっと意外だと加持は思う。

「さっきから何見てんの?」
「あ、うん…」

加持が来てもミサトはずっとそれを見ていた…食い入るように。

「ピアス…は開けてないよな」
「違うの。あれ…」
「どれ?」

ミサトが長い間見つめていた物。シルバーのペンダント。店員が寄ってきて、宜しければお手に取って見てみます?と、声をかけられる。ミサトはこくりと頷く。

「どちらの商品でしょう?」
「ええと、それじゃなくて…あ、それです。それ…」

ミサトが指を指すと、店員は丁寧にペンダントを黒い台の上に乗せた。

「こちらですか?」
「あ、はい。そうです、それ…」

じっと、それこそ穴が開く程見ている。気に入ったというより、惹かれている…それしか目に入っていない。そんな感じ。

「良かったら着けてみます?」

ミサトは首を横に振った。あんなに気にしていたのに…加持は不思議に思う。鏡を出しかけていた店員の手が止まる。

「買います、それ」

なんの迷いもなくミサトは言い切った。



「ホントに買ってもらっちゃって良かったの?安くはないよ」
「気にすんな。良かったじゃん。そんなに気に入るモンに巡り合うって滅多にないぜ?」

小さい箱を大切に抱えたミサトを見ていると、加持は嬉しく思う。

さすがに歩き疲れたし、喉も乾いた。一休みする事にする。アイスコーヒーが前に置かれても、ミサトはじっと箱の中から取り出したペンダントを見ていた。

「着けてみれば?」
「え?うん…」

手を後ろに回し、金具を止めようとミサトは試みるが、見るからに慣れない手付きだった。上手く止まらない。

「不器用だなぁ。ちょっと来いよ」

隣にミサトを呼ぶ。ミサトも素直に従い、髪を片手で持ち上げる。間近で見ると、思っていた以上に細く、白い首。そこに銀色のチェーンが光る。

「良いじゃん。似合うよ、とても」

心からそう思う。一目で気に入っただけの事はある。

「本当?」

嬉しそうにミサトはそっと胸のペンダントを握る。

「ありがとう、加持君」

ミサトの胸でキラキラ光る、十字架のペンダント。それ以来離れる事なく、彼女の胸元で輝いていた。


(コイツは、葛城はどうなんだ?)

さっき会ったツレを思い出す。自分の環境が変わったら、離れて行ってしまうのか?他に気の合う人間に出会ったら、自分といる時間も減り、そして、いつか無くなってしまうのか?

それは分からない。寂しいから加持と一緒にいるだけかもしれない。それでも、仕方がない…そんな風に思う事にしている。



帰りの電車の中でも、ミサトはずっとペンダントを手に取って愛おしそうに見つめている。それこそ、とり憑かれたみたいだ。隣に立つミサトを加持は黙って見ていた。

「今日は本当にありがと。とっても楽しかったよ」

降りる駅が近付く。不意に寂しさが襲う。もっと一緒にいたい。けれど、そう言うのも野暮な気がする。ここはおとなしく帰る事にしよう…加持はそう考えた。

「おっと、後一つ。考えておけよ?」
「…それはもう決まってる」

ミサトが上を向く。近距離で視線が合う。加持の心臓が早鐘を打つ。考えないようにしていた。他の事を考えるように自分を仕向けていた。だけど、限界だった。

多分、最初から気になっていた。今はっきりと分かった。いや、本当は気付いていた…自分の気持に。

動揺しているのをミサトに悟られないようにするのが精一杯だ。絡み合う視線。あまりにも見つめられ、それから逃れられない。

「…何でもやるよ。俺にできる事なら」

ミサトの頬が赤く染まる。少し期待してしまうが、加持には分かっていた。自分が特別に思われているワケはない。伝わってくる…そういうのは。嫌われてはいない。それだけだ。

「あのね、もし加持君が困ったり、悩んだりする事ができちゃったら…できない方が良いんだけど…」

いきなり話題が変わったように思える。ミサトが何を言おうとしているのか、まるきり見当がつかない。加持は黙って聞いているしかない。

「私が、助ける。絶対に」

少しばかり気が抜ける。しかし、ミサトの目は真剣そのものだ。やはり、面白いというか、ズレているというか。

「葛城の望む事、叶えたいんだが。俺が葛城に頼むなら、逆じゃん」
「加持君に何かあったら、助けたいの。そうしたいって私が思うから。あんまり役にたたないけども」
「やっぱ逆じゃん」
「違うよ。だからね、んーと、つまり…」
ミサト自身、上手く伝える事ができずに必死に言葉を選んでいる様子。

「迷惑かけっぱなしって言うか、なんて言うか…」
「そんな風に思った事、無いぜ?」

降りる駅は次だ。時間がない。

「とにかく、何があっても私は加持君の味方だよ。忘れないでね」

そう言い残して、ミサトは電車を降りていく。ドアが閉まった後も加持に向かって手を振っている。加持も軽く手を挙げて答えた。

(喜ぶべき事か?)

悪い気分ではなかった。なにより、誕生日らしくプレゼントもあげられた。ミサトはとても嬉しそうだ。それだけで充分だ。

しかし、後日加持は困難な事態に襲われる。この時は、ミサトとの約束なんて使われる事がないと思っていたのに。

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