結局、リツコも含め三人で出した結果は"現状維持"散々悩んだ末、何も進展がないようだが、時が来るのを待つ…これも、作戦と言えない事もない。

加持としてはあまり賛成できないが、ミサトは今までと同じように週末毎に新東京へ行く。但し、以前より周囲の会話に聞き耳を立てる…これはミサト本人が言い出した事。

『なんだか心配だけど…』

リツコの言う"心配"は、色々ある。下手に動いて警戒されるのではないか…それも一つある。そして、ミサトが何かドジを踏まないか…これもある。疑われたら厄介だ。

それに。ミサトの飲んでいた薬。見た目は普通の錠剤だ。精神安定剤の類だと思い、調べようとしたが、薬品名が記されていなかった。

『それ自体、薬事法に反するわ』
『そうなの?』
『無いとは思うけれど、あなた処方箋はもらっているの?』

ミサトは首を横に振る。リツコの予測通りだ。

『そいつはおかしいな』

加持もミサトの返答を聞き、リツコに同意する。

何がおかしいのか、ミサトにはイマイチ理解できない。二人の会話についていけない。そんな様子を感じ、リツコが説明をする。

『へえ…薬をもらうのって結構面倒なんだね。でも薬局でも売っているじゃない』
『それは処方箋がいらない薬。薬品には分類があって、第三、第二薬は誰でも購入できて…』

リツコの説明は分かりやすかったけど長い。ミサトは途中から眠くなる。

『その眠気もヘンだって。眠くなるのが薬のせいだとしたらな』

今は難しい話を聞いていて眠くなっただけだが、ミサトは言わなかった。

『…言われてみればそうかも。頭痛がしたら飲むように言われてるし、凄く効くからつい、頼っちゃうんだよね』

加持とリツコは座蒲団を抱きながら、うとうとしているミサトをチラっと見てから視線を交わす。

『こんな危険な薬を処方するなんて…医者でも薬剤師でもないわね』

全く加持も同意見だ。医者だとしても裏稼業だろう。

『無茶はしないでね。それと、あまり薬も飲まない方が良いわ』
『うん…分かった』

リツコはリツコで、母親ともう少しマメに連絡を取るようにするわ…と言った。

『じゃあ俺は…』

二人は新東京に関わりがあるが、加持にはない。第三者としての意見を述べる事に徹するのが良さそうだ。

『あなたなら冷静に見れるわよね』

リツコにそう言われるのは悪い気分はしないし、自分と同じ考えだというのに安心する。

『危険な目に遭わないように気を付けてあげて。今まで無事だったのが不思議よ。線路にでも落ちたら大変だわ…』

意外にリツコは心配性らしい。加持もそこまでは考えなかった。何となくだが、ミサトは運だけは良い気がする。

(でもな、あまり心配させないでくれよ)

完全に熟睡しているミサト。加持は慣れていたが、リツコは怪訝な表情だ。

『何があるのかしらね…あそこには』

それは加持も知りたい。だが、今の自分達では動く術がない。行ってみる事も考えたが、あそこは駅に降りた途端、警備員がすっ飛んで来る…そんな話。つまり、許可された人間しか立ち入る事すらできない。

それ自体が怪しいのに、何故か世間では話題にならない。恐らく圧力がかかっている…そう捉えて間違いない。

『仕方がないわね…今は静観しましょう。必ず機会は来るわ』

そんな感じで、話は一応まとまった。そして、何事もなく、冬休み(とは名ばかりで年中気候は夏)に入った。



「暑いな」

庭をいじっている叔父が言う。相変わらず仕事が休みの日は趣味である畑を耕す。加持も手伝う。ゆったりと過ぎていく時間。やはり、この時間が加持は好きだ。

「さすがにもう慣れたが、永遠に続く夏っていうのは奇妙だよ。俺の世代にはな」

叔父はそう言うと、首にかけたタオルで汗を拭く。

「葛城さんは最近来ないな」

休みの時は新東京へ行く回数が増える。リツコや加持が期待しているような、新しい報告はない。

「学校始まれば来るよ。さすがにあの成績じゃヤバイから勉強に専念するってさ」

当たり障りのない返答をしておく。叔父を巻き込むのは嫌だった。

「リョウジ。あの子は大切にしろ」

加持の手が止まる。勿論、その意見には賛成というか、しているつもりだ。でも、叔父の言葉は唐突に思える。

「いきなり何?」

初めて見たかもしれない、叔父の真剣…というより鋭い表情。いつも温和な人がこんな顔をすると加持まで表情が固くなる。

「深い意味はないよ。リョウジと仲良くしてくれてる。俺は嬉しいんだ」

男女の仲以外で…という事だろう。至って健全な関係を女の子と保っている自分は初めてだ。だから、叔父はそう感じた…それだけだろうな、と思う。

「大事だよ。俺も大切に思ってる」

本心だ。多少の照れはあるが、この人…叔父に聞かれれば素直に答えられる。余計な事は言わない人だ。だから正直になれる。

「まあ、勿論叔父さんも大切だが…」

照れたついでに言っておこうと、加持は思った。無口な叔父にこんな話を振られる事は滅多にない。ここに置いてもらい、それこそ自分を信じ、温かく見守ってくれる。どんなに感謝しているか、言い表せない程に。

叔父は目を細める。ちゃんと分かっている…そんな表情。加持同様、彼にとっても加持は大切な人間だった。



前のように遊ぶ気にはなれないし、結構ヒマだ。やる事がないから、夜はバイトに専念する。人手が少ないし、高校生なら安く雇える。働き口は選ばなきゃある。

どうせなら忙しい方が良い。安い居酒屋で毎晩走り回っていた。居酒屋とは名ばかりで、早い時間は家族連れが多い。バイトも足りないし、なかなかの重労働。加持はこの仕事が気に入っていた。

(金はあるに超した事もないしな)

裕福とは言えないが、叔父はわりと稼ぎはある。だが、大学に行く費用まで面倒をみてもらうのは気が引けた。例え進学を強く勧めるのが叔父であっても。

(別に行かなくても良いんだが)

叔父の希望は叶えたい。それしか恩を返す方法を思い付かなかった。



「"母さん?"」

塾の帰り道。珍しく母親の方から電話がかかってきた。

「"元気にしているかしら。勉強はどう?"」
「"問題ないわ。どうしたの?母さんから電話なんて珍しいじゃない"」

リツコの声が弾む。母親は自分に無関心だと思っていた。それに、何か新東京について情報が得られるかもしれない。

「"成績は大丈夫よね"」
「"ええ。一位以外はないわ"」
「"あなたなら心配ないわね"」

何を心配しているのだろう…今更成績の事なんて聞く意味が分からない。

「"それじゃ、二年生になっても気を抜かないでね"」

それだけ言うと電話は切れた。勉強に関して…それ以外もだが、リツコはしっかりと生活をしているつもりだ。

("二年生になっても"って、気が早い話ね)

それまで会えないという意味なのか…冬休み位は帰って来ると思っていたのに。最後に母親に会ったのはいつだったか。それすら、リツコは思い出せなかった。

軽い落胆と仕方がないという思い。

(自分は何をしたいのかしらね…)

母親のような、知名度も名声もある学者になりたい…そう思っていた。女手一つで育ててくれて、仕事も家の事も手を抜かず、優しかった母親。

(あれは幻だったのかしらね)

本当は逆なのは分かっていた。昔の母親は確かにリツコの記憶のままの母親だ。彼女を変え、自分から取り上げた新東京にある"何か"。

リツコはいつしかそれを憎むようになっていた。



「異常はないな」

(私のドコが異常なしなのよ)

ミサトはミサトで、最近少々苛立っていた。昔の事も解らず、知らされもしない。人間として扱われていない。そんな気がしてくる。

(じゃあどうして、ここに来なきゃなんないのよ)

「不満かな?」

顔に出ていたらしい。不満に決まっている。自分が一体何者なのかすら、分からなくなってきた。そう考えていたら、頭痛に襲われミサトはふらつく。

「大丈夫だ。時が来れば全てが上手くいく。何も考えなくて良い」

手渡された薬を飲もうかどうか、一瞬迷う。リツコに話を聞いてしまったから。でも、拒否すれば疑われるだろう。仕方なく、ミサトは口に放り込む。

「暫く休んだら帰って良いよ」

早く帰りたい。帰って眠りたい。少しでも早く頭痛が治まるように、こめかみを押さえてベッドに横になる。

「次は冬休み明けに」

そう言うと"その人"はミサトを残して部屋から出て行った。

(うーん。何もないなあ)

建物自体は広く、今もあちこち増築中だ。だけど、ミサトがいつも来る部屋は役員用の休憩室というか、仮眠室…そんな雰囲気。八畳位のフローリングにベッドが一つ。ここと、たまに受ける検査をする部屋。そこ以外は入った事がない。

(他の部屋を見てみたいって言ったら、どう思われるかな?)

今は止めておく。リツコの話を聞いてから、何度も聞いてみようと思ったが、ここに来るとあまり気分は良くならない。頭が働かない…そんな感じ。

(元から働いてないケド…)

そんな事を考えながら、ミサトは眠りについていた。



「よう。久しぶり」

冬休みが開けて、一本早い電車に乗ると期待通り加持に会えた。とても会いたかった…何故か。ドアにもたれていたミサトの横に加持が立つ。

「なんでかな」
「何が?」

隣の加持を見ないでミサトは独り言のように話を続ける。

「…なんでもない」
「なんだよそれ。ズルいぞ。そういうの」

ミサト自身、何を言いたいのか分かっていなかった。加持に会いたかった…簡単に言うとそれだけ。それだけだけど、そんな事は言えない。単純に会いたかっただけではなく、色々と沢山の意味があるから。

「相変わらず全然何も分かんなかった。リツコ、がっかりするかな」

話題を変えた。無茶をしない、怪しまれる行動はしないとは決めた物だが、多少なりともリツコは期待しているのではないか…と思う。

「赤木か…まあ、葛城にそんな期待してないだろ」
「…またバカをバカにして」

ミサトが睨むと加持は笑いながらミサトの頭を軽く叩く。彼の癖だ。こうされるのはイヤじゃない。

「今日寄ってけば?」

そのまま、髪の毛をくしゃっと撫でられる。また少し背が伸びたみたい。男の子というより、男性っぽい。腕も、頭にあたる手のひらも、以前よりゴツゴツしている。

「うん…叔父さんにも会いたいな」

そうミサトが答えると、加持も嬉しそうにみえた。



「リツコごめん…なんにも分かんなかった」

教室に入ってすぐにリツコの席にかけよった。リツコはリツコで少し痩せたような気がする。

「良いのよ。それよりあなたは大丈夫?」「うん。平気。相変わらず」

そう、良かったわ…と言いながらリツコは思い出したように口を開く。

「一度だけ母から電話があったわ」

一度だけ…帰って来ないのは勿論、連絡すら滅多にないようだ。リツコの言葉からすると。

「なんとなく、引っかかる言い方をしていたのよね」
「引っかかる?」
「ええ。上手く言えないの。もう少し聞き出してみるわ」

母親からの電話。"あなたなら""二年生になっても"妙に耳に残っていた。

リツコは色々と考えているみたいだ。ここは自分が口出しするより、彼女の答えを待つ方が明らかに良い。ミサトは暫くこの話題は控える事にした。



「ただいま」
「おじゃましまーす」

とは言ってもまだ叔父は仕事中だ。二人共習慣で言うだけ。叔父は比較的早く仕事をあがるが、学生の二人よりは当然、帰宅は遅い。

(なんか懐かしい…)

暫く来れなかった加持の家。庭も手入れが行き届いている。叔父の趣味だと加持に聞いた時は、意外だな…と感じたけれど本当に綺麗にされている。

「私も手伝う」
「何を?」
「何って、夕飯作るの」
「や、い、いいって。昨日の残りモンだし。上でゆっくりしてろよ…な?」

ミサトが手伝うと余計な手間が増えるのを加持は知っていた。

「そう?なんか腑に落ちない言い方だけど…」

背中を加持に押され、ミサトは二階に追いやられる。

(ホント、自分って何も役に立たない)

一体、自分は何の為に生まれてきて、どうして生きているんだろう?必ず人は役割を持ち、生まれ、生きていく。そんな言葉を聞いた事がある。

(もうちょっと、何事も頑張ってみよっかな)



「遅いね。叔父さん」

時計の針は23時を回っている。大人の男性だから至って普通だが、彼は遅くなる時や帰れない時は必ず連絡をする。加持が覚えている限り、夕飯に間に合わない時は必ずだ。

「珍しいな…」

さすがに待たれるのも気を遣うだろうと思い、二人はとっくに夕飯はすませた。叔父の分だけテーブルの上に残っていた。

「もう電車なくなるから、おまえ帰れ。駅まで送るから」
「それは平気だけど…」

言いかけてミサトは少し考える。駅まで出れば叔父と会うかもしれない。加持はそう思っているのではないか。

「じゃあ頼もうかな。でも、ちょっと心配だね…」
「携帯無くしたとかだろ。大丈夫。大人なんだし」

とは言いつつ、加持は嫌な予感がした。ミサトには悟られたくないが、やはりおかしい。叔父らしくない。

靴を履いていると、家の電話が鳴る。益々嫌な感じだ。叔父なら携帯に電話をしてくるはずだ。

ミサトは加持の方を見る。平静を装っているが、彼の緊張が伝わってくる。

「誰だろな。こんな時間に」

電話へ向かう加持の後ろ姿。やはり前より頼もしい、広くなった背中。でも、電話に出た彼のそれは小さく見えた。表情は見えない。加持は何も話さず、相手の言う事だけを聞いていた。というより、言葉が出ない…そんな感じだ。

電話を置いて振り返った加持に表情はない。何か重大な内容なのはミサトにも分かる。

「悪い。すぐ病院行かなきゃなんない」
「病院…?」

サイフと鍵だけを手にし、無言で加持は玄関を出る。ミサトも出ると、加持は鍵をかけた。

「事故に遭った。車にひかれたらしい、叔父さん」

いつも温かくミサトを迎えてくれた、叔父の顔が脳裏に浮かぶ。

「そ、それで、叔父さんは?!」
「詳しくは分からない。病院で説明するってさ」



看護師は至って義務的な話し方をした。他に親族はいないのか聞かれた。未成年である加持に説明をするのは、看護師としても厄介だろう。

「先生からお話してもらいますから」

廊下で待っていると、個室に呼ばれ医師から説明を受ける。

「背骨と腰の骨を折っているから、難しい手術になるね。頭も打撲しているが、緊急を要するのは骨折の方だ」

黙って医師の説明を聞いていた。自分から聞くのが加持は怖かった。だが、聞かずにはいられない。

「助かるんですか」

体が震えそうになるのを必死で耐えた。自分しかいない。叔父には。自分がしっかりしなければならない。

「五分五分です。精一杯の努力はします」

信じられない。朝まで元気だった人間の生きる確率が半分になっている。

「手術が成功しても、元通りになれる可能性はかなり低い」
「どうなるんですか?」

目の前にいる、少年である加持が必死に冷静さを失わないようにしている姿は、医師から見ても健気で、気の毒だった。

「まず、歩く事は無理だろう」

頭がクラクラする。何も考えられない。

「同意書にサインをしてもらわないといけないから。とにかく急いで」

医師から看護師に代わる。言われるがまま、加持は書類にサインをした。

「助けて下さい」

手術に入る前、医師の背中に向かって加持は言った。

「お願いします。とにかく助けて下さい…叔父を。お願いします」
「そのつもりだよ。それが私の仕事だ」

余計な事は言わない。期待を持たせる言葉も、失望させる事も。それが医師や看護師の仕事だ。

そして、加持には何もできない。ひたすら待つしかない。不安の中で。



(加持君…叔父さん)

着いて行こうとしたが、無理矢理家に帰された。多分、一人でいたい…そうなんだろう。ミサトは加持に従い、家に帰ってきた。

(大丈夫、きっと、大丈夫)

あんなに良い人がこれ以上悪い目に遭う訳がない。ミサトはそう思いたかった。しかし、現実は違う。甘くない。不合理な事など幾らでも起こっているし、起こりうる。

(お願い。助けてあげて…お父…さん)

"お父さん"という言葉を思い浮かべ、無意識のうちに彼に助けを求めていた事に、ミサトは気付いていなかった。

(お父さん…お願い)

ぼんやりとだが、自分を抱き上げ、愛しそうに、それでいて悲しそうに自分を見下ろす男の人が脳裏に浮かび、消えていく。恐ろしかった中、ただ一つの喜びだった。

(加持君から、彼を奪わないで)

ミサトを見下ろす男の人に必死に頼む。顔は全く分からないが、彼は優しく微笑んだような気がした。

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