一応手術は成功した。叔父はまだ目を覚まさない。

『後は待つしかありません。彼の生命力に懸けましょう』

ドラマみたいなセリフだ。本当にこんな事言われるんだな。ICUって病室。こっから叔父さんは戻って来れるのか。何も考えたくない…考えない方が良い。ガラスの外から見る叔父さんは、ただ深い眠りについているだけに見えた。ワケわからない機械が彼の体に取り付けられていなけりゃ。



一週間ぶりに学校に来た。いきなり容態が変化する事はまずない。医者はそう言っている。だったら、普段通りの生活をする。学校へ通い、放課後に病院へ寄る。叔父はそう望んでいる筈だ。きっと。

教室へ入ると一斉に俺に視線が集まる。腫れ物に触るような扱いをされるのはゴメンだ。何事もなかったように席に着く。

葛城と赤木。二人の視線は他の奴等と違う。好奇でも興味本意でもない。俺が登校したってダケで、一先ず安心した…そんな視線。

「加持。大丈夫か?」

担任は俺が席にいるのを見て、声をかける。病院から事情の説明は受けていると思う。

「大丈夫です」

それしか言い様がない。誰にも弱味は見せたくない。

「そうか…無理はしないように」

無理するしかない。平静を保つのに。



休み時間に何人かに声をかけられる。気を利かせてくれているんだろうが、放っておいてもらいたい。

「何かあったら相談にのるからな」

たいして仲良くない人間に相談なんかするか。

「ああ、サンキュー」

「酷いよな。事故って運転手に対する罰が軽すぎると思うよ」

だったら何なんだ?事故を起こした人間が即、死刑にでもなりゃ被害者は助かるの?身内は救われるとでも?もう起きちゃったんだからしょうがねえじゃん。

「全くだよな」

どうでもいから話しかけないでくれ。

―案外あっさりしてるな
―本当の親じゃないから

そんな声が聞こえてくる。ムカついてしかたない。けれど、俺は聞こえないフリをする。一度キレたらどうなるか分からない。自分を抑える。

「バチじゃねぇの?」

わざと俺に聞かせている。前の彼女と付き合ってた時も、何だかんだ言っていた奴だ。すぐ後方から声がする。

「何人も女泣かせて遊んでたからな。そーいうヤツには天罰が下るんだなー」

そんなんで天罰とかアホらしい。女泣かせた?俺の何を知ってるっていうんだよ。ヤツは俺がキレるのを楽しみにしてる。残念だが、怒る気にもなれない。

「あんなヤツだから叔父もたかが知れてるな。ろくな人間じゃないんだろ」

…我慢だ。叔父を知らない人間になんと言われようと関係ない。

「ちょっとこっち向いてくれる?」

ドスッ、と重く鈍い音がした。

「背後から攻撃するほど、私卑怯じゃないの」

葛城の声。こんな事をするのは葛城くらいだから、声聞かなくても分かるが。

「な、何すんだ…」

みぞおちの辺りを押さえ、アホ男が叫んでいる。腹に一発もらったらしい。

「ちゃんと向き合わないとね。人と話す時は」

正面からでは、どこから飛んできたか見えないだろう、葛城のあの蹴りは。避けれるはずもなく、アホ男は葛城の蹴りをモロに喰らい、派手に吹っ飛ぶ。

「私は暴力は否定するわ。"言葉の"それも込みでね。生憎、ミサトみたいに強くはないし、卑怯も正当もないの」

今度は倒れているアホ男に、赤木が平手打ちを喰らわす。

「みっともない真似はやめなさい」

教室中が静まり、アホ男と女二人に注目が集まる。恐らく俺以外の人間はみんな見ているだろう。

「なんだよ、加持なんか…」
「加持は関係ないわよ。あんたの言ったコトが許せないだけ」
「頭の悪い男と品のない人間は好かないの」

二人は無言で俺の前を通り過ぎ席に着く。

(バカだ…葛城も赤木も)


何もかもに腹が立つ。同情されるのは好きじゃない。可哀想な人って哀れみの目で見られるのも真っ平だ。

学校が終わるとすぐに病院へ向かった。叔父さんがベッドに乗せられ、運ばれているのを目にし、文字どおり血の気が引く。

「ああ、丁度良かったわ。一般病棟へ移るから」

これは良い事なのか?少しの期待も看護師の言葉で瞬く間に消え去る。

「意識が戻るのを待つだけなのよ。手は尽くしたから」



「叔父さん」

ベッドに横たわる彼。まだ若い。まだ、一緒にいたい。

「起きろよ…」

手を握ってみる。冷たい。

「起きろよ…頼むから」

両手で彼の手を強く握った。反応はない。

「独りに戻るのはイヤだ…」

彼には言える。彼にしか言えない。他の誰にも言えない。寂しいんだ、俺。だから、早く起きてくれ。俺の前からいなくならないでくれ…頼むよ。

泣かない。涙なんて誰にも見せない。面会時間が終るまで、叔父さんの手を握っていた。



無性に苛々していた。悲しさを通り越し何もかもに苛立つ。家への帰り道。駅からここを通り、家に向かうのが好きだった。今は苦痛だ。誰もいない、帰って来ない家に向かうのが。

薄暗い電柱の灯りの下に人影が見える。葛城。多分、来るんじゃかいかと思っていたから、それほど驚きはしない。

「なにしてんの。こんな遅く」

コイツの顔を見たら、急に泣きたくなった。でも、そんな自分を見せるのはイヤだった。

「帰って欲しいなら帰る。いて欲しいならいる」

かなり言葉を考え、選んだんだろうな。葛城にしちゃ気の利くセリフだ。

「俺が気の毒だから一緒にいてやろうって?」

自分の意思に反して、攻撃的な言葉を吐く。甘えてる。分かっちゃいるが、止まらなかった。

「そう思いたければ、そう思えば?」

俺が何をしたいのか見透かされているようで余計に苛立つ。誰かに八つ当たりをしたい。その相手を買って出た…そんな感じ。葛城の口調は挑戦的だ。

「まあ、わざわざ来たなら寄ってけば?」



部屋に入る。鞄を放り投げ、椅子に座る。葛城はいつも通り床に座る。前と変わらない。叔父さんがいないのを除けば。

「私にできる事なら何でもするわ…とか言っちゃうの?」

相手が俺の愚痴に付き合おうっていうなら、俺は言わない。意地を貫く。彼女の神経を逆撫でしてやる。滅茶苦茶嫌な人間になってやる。

「言って欲しいなら言うけども?」

本気で俺を怒らすつもりだ。それじゃあ絶対、キレない。逆に怒らせてやりたい。勝負だ、ある意味。

「可哀想な俺に同情して、自分を満足させるんだろ?」

さすがに葛城の表情が曇る。言い過ぎなのは分かっちゃいる。でも止まらない。本当に嫌な人間だ。最低だ。

「優越感に浸りに来たんだろ」

益々最低。ここまで言えば怒って出ていくだろう。それでいい。

「ふぅん。自己満足に浸るにはそんな方法もあるんだ。覚えとくね」

葛城も負けず劣らず嫌味で返す。結構言うじゃん。

「…優しいんだな、おまえ」

急に俺が言葉を変えたから、葛城は言葉につまる。

「慰めに来てくれたって、とって良いよな。こんな時間までわざわざ待っててくれたんだし」

葛城は何も話さない。俺がどう出るか待っている。

「じゃ、慰めて」
「…どうやって?」

椅子から降りて彼女に近付き、できる限り嫌味ったらしく言った。

「女が男にできる事なんて一つしかないだろ?」

少しだけ、葛城は後退る。本当に少し。これ以上ない位、今の俺は最低最悪な人間だ。

「ヤらせて?」

言いながら吐き気がする。八つ当たりのレベルを超えている。ここまで自分は嫌な人間になれるのか。

「それで満足ならどうぞ。すれば?」

至って冷静に言われ、一瞬怯む。でもカッとした。バカにされてる、完全に。されてもしかたないのは百も承知だが。

両手首を右手で掴み、壁に葛城の体を押し付け、拘束する。心の中で祈った。彼女が泣き叫ぶ事を。そうすりゃ、彼女も、最悪な自分からも解放されるから。

でも、葛城は身動き一つ、しなかった。



俺の目を真っ直ぐに見る、葛城の視線が痛い。なに考えてんだか分かりゃしない。俺も。分かっているのは、自分は今平常じゃないってコトだけ。それを理解してるってコトは、案外冷静?

(知らねえよ)

全くそんな気になれるはずもない。いい言葉に買言葉。そんだけ。でも、言った以上行動に移すしかない。どうせ途中で向こうは抵抗するだろう。

腕を離して、閉ざされている両膝に持っていく。広げようとしたが、力が入っているのが分かる。

「恐がってんじゃん」

両手で強引に足を広げ、スカートの中に手を入れた。足が震えている。太ももを触ると、足を閉ざそうとする葛城。ずっと俺の顔を見ていた視線が逸れ、自分の下半身に入り込んだ俺の腕を見ている。

「怖くなんかないわよ」
「震えてるじゃん」
「放っといてよっ。気にしないで」

何故、葛城はここまでするんだ?葛城は俺に何をさせたいのか…大体検討はついている。行き場のない怒りと悲しみを受け止めようとしている…俺の。

しかし、彼女がそこまでする理由はない。俺同様、意地を張ってるダケにしちゃ、やりすぎだ。

「それじゃ、続けるぜ」

肩を押さえて床に倒し、覆い被さる。葛城は全く逆らわない。スカートを捲り上げ、自分の体を押し付けるように重ねる。葛城の足から冷や汗が流れている。俺は顔だけ上げて彼女を見た。目はしっかり開けている。

目が合っても何も読み取れない。

(なんなんだよ、ホントに)

さっきまでの怒りはいつの間にか消え、悲しさと惨めさがそれを上回る。気持ちが悪い。本当に吐きそうだ。

半分自棄になって、シャツのボタンに手をかけ、一つ外す。葛城は完全なまでに無抵抗だ。二つ目、三つ目と外していくと、銀色に光るペンダントと共に、酷い傷痕が目に飛び込んでくる。

前ははっきり見えなかった。見てはいけないと思った。今はそこから目が離せなくなる。思っていた以上に酷い。何針縫ったのか数えられない程、無数に残る縫い目。赤く腫れ上がっている。

その間に光るペンダント。妙なコントラスト。

「…これ、ずっと着けてたのか?」

気付かなかった。何となくだけど、葛城は学校にこういう物をしてくるように思えなかった。

「…そうだけど」

胸の間を走る傷痕に、指先で恐る恐る触れる。

「…痛む?」
「今はもう痛くない」

"今は"痛くない…これだけ痕が残る傷だ。相当酷い目に遭ったハズだ。記憶が閉ざされる位、酷い目に。

「加持…くん?」

限界だ。知らぬ間に葛城の傷痕が濡れている。そして尚、濡らし続けていた。俺の目から溢れ、傷痕に落とされる涙。

涙なんか出ない、出さないと思ってた。とっくに封印した…そのハズだった。全てを失ってから。

(俺の負けだ…)

葛城の腕が俺の肩を引き寄せる。両手で抱きしめられ、更にその傷痕を濡らしていく。止まらなかった。必死に声を押さえて泣く。嗚咽が部屋に響く。

「…悪い」
「謝る事ないでしょ」

彼女の腕に力が入る。背中が温かい。こんな風に抱きしめられたのはいつ以来だろう?子供の時のうっすらした記憶。それ以外は思い出せない。

「悔しかった」

何故、何も悪くない叔父さんがあんな目に遭わされた?何故、俺から幸せを奪うのか…何故、俺ばかり奪われるんだ?

葛城の頬が髪にあたる。優しく手で撫でられる。

泣かせてやろう…気の済むまで。そのつもりでコイツは来た。分かってた。最初から葛城は俺を泣かせようとしていた。誰の前でもできないから。

自分だけが辛いんじゃない。過去にはなくとも、誰にだって突然悲しみは降りかかる。そんな事は分かっちゃいた。でも、自分の事しか考えられない。今は。



その夜、俺は葛城の胸の中で泣き続けた。恐らく一生分の涙を流した。悔しさと悲しさ、辛さ全てを吐き出し、久しぶりに嫌な夢も見ずに寝る事ができた。

『笑えるんだ。葛城といると』

前にコイツに言ったセリフ。それも本当だ。あの時はそう思っていた。それが心を許すという事だと。

でも、本当に彼女を信用し、気のおけない仲になれたのは、この時だったかもしれない。この日から始まったんだと思う。

叔父さんの言葉を思い出す。大切にしろ…絶対にそうする。葛城は俺が守る。何があっても。

(約束するよ。必ず)



その日も、次の日も放課後は病院へ寄る。相変わらずだった。信じるしかない。俺は冷静になれた。というか、この状況を受け入れられるようになる。時間が経つというのは、ヒトの心に変化をもたらす。ありがたい事に。

「すみません…加持さんの病室はこちらですよね」

病室のドアを叩く音。誰だ?女性の声。看護師とは違う。名前を出し、確認してるワケだし。

「はい、どーぞ」

誰だか知らないが、咄嗟にそう答える。

「こんにちは。初めまして…よね。リョウジ君…だったかしら?」

なかなかの美人だ。四十前位?ショートカットで小柄。

「ごめんなさいね、突然。やっと一般病棟に移れたって聞いて。それまで会わせてもらえなかったから」

彼女の話し方だと、何度か病院に来たようだ。

「あなたの姿も見かけたけれど…」

言葉につまっている。まあ、俺の様子を見たら話しかけれなかった…そんなとこだろう。常識的な人っぽい。

「あ、気ぃ利かなくてすみません。どうぞ」

俺は立ち上がり、一つしかない椅子を勧める。

「どうぞそのままで。顔を見せて頂いて良いかしら?」

俺が頷くと、彼女はゆっくりベッドに近寄りその場にしゃがみ込む。じっと叔父さんを見つめるその目。それで伝わってくる。彼女の叔父さんに対する思いが。

(恋人?そんな素振りはまるでなかったが…)

女がいても不思議ではないが、休日は畑仕事に没頭していた。実際、その時の叔父さんは何より楽しそうだ。女がいるなら、そっちを優先しそうだが。

「大変失礼ですけど、あの、叔父とは…」

一応、聞いておくべきだ。振り返った彼女はほんのり頬を染めている。

「あ、なんと言って良いのか…その」

顔見りゃ分かる。滅茶苦茶分かりやすい人だ。なんか可愛いな。

「ほとんど私が一方的にその、加持さんの事を…」

そんな純愛って、ありえるのか。叔父さんは余程カタブツなのかよ。

(もしかしたら、俺がいるからな)

今は聞こうにも聞けないが。俺のために、俺との時間を減らさないように、色恋沙汰を避けていた…そうなのかもな。

「いえ、俺なんかに話すのも…」

そう言った時、叔父さんの瞼が微かに動いた…ような気がした。思わず彼女と顔を見合せ、二人でベッドにしがみつく。

「叔父さん!」
「加持さん!」

今度は、はっきり目を開けた…開けてくれた。

「叔父さんっ…分かるかっ、俺の事?」

上手く言葉を発する事はできないようだ…でも、叔父さんは少しだけ首を動かし頷いた。確かに、頷いた。

「…加持さん…加持さん」

横で泣いている女性。彼女も見ていたから、錯覚じゃない。どんな姿でも生きていて欲しい。俺の我儘かもしれない。それでも、何でもする…自分にできる事なら。



「うん。頑張ったね。命に別状はないな。強いよ。君の叔父さんは」

色々と検査を受けて、一週間以上経った。今後の事を説明される。リハビリ次第で、話す事もできるようになるし、多少は歩けるようにはなるかもしれない。たが、元の生活に戻る事は絶望的との事。

車椅子で暮らす事になるだろう。それでも、俺は嬉しい。心から。医者の話によると、こちらの言う事は理解できている。

大変だろう、何より彼が。一番辛いのは彼だ。その困難をなるべく減らす。代われるもんなら代わりたい。それは無理な話。だから、俺はできる限りの事を彼にしよう…そう誓った。

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