『おーい、葛城』

(…また授業中に寝ちゃったのかな)

『起きろよ。寂しいじゃん』

(…加持君の声、か)

なんで、加持君に起こされているんだろ。電車の中だっけか。

(あれ…?)

『ああっ!そうだった…』
『お、起きた』

加持の家だ。ここ。事実、加持が自分の顔を上から覗いてる。昨夜の事がウソみたい。"いつもの"加持君だ。薄笑いすら浮かべてるし。ちょっとはすっきりしたかな?

『おはよう』
『…おはよ』

朝起きてすぐ、誰かに"おはよう"と言われたの、久しぶりだなあ。なんて呑気に考えていた。加持は隣にごろんとして、肩肘を付いた。全く目が腫れてない。あんだけ泣いたのに。

(早く起きて冷やしてきたのかも)

加持君っぽいな。やっぱり。昨日の事は引きずらない…って言うか、腫れた顔なんて見せなくない…かな。彼らしい。

『まだ時間あるな』

時計を見ると6時半。加持は良く眠れたかな?一応、彼が眠りにつくまで見ていた。自分の膝の上で、泣き疲れて寝てしまった加持。そっとベッドの上におろしてから…覚えてない。自分も寝たんだろう。

『キレイだと思うよ』
『はぁ?何が…』

加持の指を指す場所。私の胸の辺り。はだけているのに気付き、慌てて両手で隠す。

『…ドコ見てんのよ』
『バーカ。違うって』

胸の真ん中の傷痕。そこを触れるか、触れないか、ギリギリの所を指先をゆっくり動かす。上から下へ。

『頑張ったんだな』
『覚えてないし。でも、私もこれ、キライじゃないんだ。前も言ったけど』

過去を知る手がかりっていうのも理由の一つだけど、なんか温かさを感じるんだよね。誰かの。

こういう風に昔の事を考えても頭痛がしないんだよね。

『前に葛城が言ってた事、分かるわ』
『なんだっけ?』
『一人だとメシ作る気しない。コンビニばっか。つーか、人間どんな状況でも腹は減るんだな』

やっぱちょっと寂しそう。当然だよね。あんなに仲が良かったんだし、たった一人の家族だもの。

(私も好きだな、加持の叔父さん)

下手に励ますのは良くない。当事者にしか分からない。加持の性格からして、同情した態度をするのも逆効果…リツコに言われたの。私も賛成。

『風呂入って来いよ』

加持はベッドから降りて、引き出しから制服のシャツを取りだし、私に投げた。

『借してくれるの?』
『それ着てくワケにはいかないだろ』

まあ、男子用も女子用もボタンが逆ってだけで変わらない。家に戻るのも面倒だし、借りる事にしよ。



(やっぱ大きいな)

体を拭いて借りたシャツを着てみた。そんなに身長差はないと思ってたのに。加持も伸びたけど、私も少し背が高くなったのに。

『ありがとうー、さっぱりした』

下着が濡れているのは我慢するしかない。借りるワケにいかないし。

『おう。メシできてるぜ。つっても、買い物行ってないからたいしたモンないが』

ご飯と味噌汁と玉子焼き。充分素晴らしい。

『面倒だって言ってたじゃない』
『一人ならな』

(私がいるから作ってくれたのか…)

ちょっと泣きそうになる。加持にとっては普通の事でも。自分に朝ご飯を作ってくれる人もいるんだ…。今、辛いのは加持なのに。

(おっと。余計な事は言わない言わないっと。普通にしてよう)

思わず私はなにもできない…とか、言いそうになってしまう。そんな事ないとか、気を遣うようなセリフを言わせちゃダメだ…今は。


『ところでさ、おまえら何とも無かったの?』
『何が?』

叔父さんが作ってくれた方が多かったけど、加持も一人で料理できるんだ。当たり前か。朝に炊きたてのご飯が食べれるって、幸せだな。

『派手にやらかしたじゃん。あのアホ男に』
『アホ男って…何の捻りもない…ま、いっか。別になんにも。先生に呼ばれる事すらなかったよ』
『さすがに女二人にやられたとは言えないか』

それは知らない。停学位は覚悟したんだけど。別に"あの人"はそんな事じゃ怒らないし。多分だけど。

『私はともかく、リツコがひっぱたくとはね』
『赤木か…』

そうか。リツコは学校じゃ有名人だ。品行方正、才色兼備って言うんだっけ?リツコみたいな子は。先生方も一目置いてるって話。加持はリツコが絡んでいるから、問題にされなかった…そう思っているのかも。

『女を怒らしたらいけない…肝に銘じとくだろ。アホも』
『顔面狙わなかっただけ感謝してもらいたいよ』
『やっぱ、コワイな…』

加持は笑った。久しぶりに見た笑顔。ホッとした…まだ何も解決してないけど。嬉しいと思った。



玄関を出ようとして、ふと加持が動きを止める。

『どしたの?加持』

振り向いた加持は、真剣な顔だった。何か言いたそう。暫く視線を合わせていた。じっと人を見る人だ。慣れてはいたけど、何だか言葉が出てこない…出しちゃいけない…そんな感じ。

『葛城』

頬に手のひらが充てられ、身動きができなくなる。ずっと長い時間、そうしていた。

『痛っ!』

急におでこを指で弾かれ、思わず手で押さえる。加持は面白そうに私を見ている。

『このっ…』

お返しに同じ事をしてやろうと手を出したら、逆に腕を掴まれ、手のひらを重ねられる。簡単に言うと、手を繋がれたってこと。

そのまま駅まで歩いていく。

『…さっきから何よ、加持』
『離さない。繋いでたい気分』
『人が沢山いるじゃない』
『人なんて他人を気にしてないって』

そうかもしれないけど、朝から制服で手を繋いで学校に行く。これは結構目立つと思うんだけど。

『いい加減離してよ』

電車に乗っても、手を離してくれない。振り払おうと思えばできる。けど、するのも気が引けた。

(やっぱ、弱っているんだよね…)

それだけ。深い意味はないと思う。学校に近付くにつれ、当然生徒の数も増える。何人か自分達を見て、ヒソヒソ話してる。

『加持。離すよ』

案外、簡単に手は離れた。でも、今度は肩に手を回される。

『加持!やめなさいよ。恥ずかしいんだってば』
『暴れるなって。すぐ離すからさ。一言だけ言わせろ』

―――今度からは俺が葛城を守るよ

聞こえるか聞こえないかって位、小さい声が耳元でした。なんだか良く分からないけど、離して欲しいから頷いた。

『あとさ、それで良いよ』
『何が?』
『"君"はいらない。気がラク』

そう言えば、いつの間にか呼び捨てにしてた。まあ、本人が良いって言うなら良いよね。

『うん』

そう言うと加持は笑った。今日二度目。結局、この日以来も、その場その場で"加持"だったり"加持君"だったり、統一しない。二人だけの時は"加持"って呼ぶ方が多くなったけれどね。



それから暫くして、加持から電話がかかってきたの。叔父さんの意識が戻ったって。明るい声を聞いて、本当にホッとした。でも、なんか話しがあるって言ってて。電話じゃ話しにくいから、又今度…そこで、電話は切れた。




「良かったわ…加持君も少しは安心したでしょう」
「だよね。いつ退院できるのかな?」

リツコは難しい顔をする。

「どしたの?」
「退院してから、大変になるわね。加持君は」
「どうして?」
「一人じゃ何もできないでしょう…叔父さんは。介護が必要になるわ」

そこまで考えていなかった。もしかして、加持が話したい事ってそういう話かな。でも、私にしても解決されないと思うけど…どうなんだろ?

「勿論、自治体や国の補助も受けれるし、事故相手は保健に入っていたのよね?」
「えーと、良く分かんないけど、病院から色々説明があるから今日休むって言ってたな」

(…大変なんだね)

何も悪い事をしていないのに。お金をもらっても叔父さんは元には戻らない。加持が苛々してたのは、こういう不合理な事実も含めてなんだろうな。今更だけど、気付かされた。

「仕方がないとは言え、どうする事もできない。世の中って何なのかしらね」

リツコも父親を亡くしている。人間は必ず死ぬ。それは突然やってくる可能性もあるんだ…自分にも。周りの人にも。

「彼は意外に強いと思うわ。今時珍しいわ。ああいう男」

リツコの言う事は合っていると思う。私も全く同じ風に思う。生きていてくれたら、それで充分…加持はそう言っていた。これから背負うであろう、沢山の困難もひっくるめてそう言ったんだ。

「今、自分達が生きている事が奇跡的なのかもしれないわね」
「うん…」

本当にそう思う。自分の事すら良く分かんないし、訳の分からない新東京で、変な検査をされ続けてても。生きてるだけで、幸せなのかも。

「ああ、あなたを責めている訳ではないわよ。ミサトに対する保護者って立場の人間はおかしいわ。それに…」

私の胸元を切なそうに、遠慮するようにリツコは見る。

「加持君の叔父さん以上に、生死の境にいたのかもしれない…」
「いやー、今は一応元気だし」
「頑張ったのよね、ミサトも」

記憶にないから何とも言えないけど。リツコが心配してくれるのは嬉しい…かも。本当に平気なんだけどね。

「ところで、れ、例のう、噂はあなたの耳にも入っているのかしら?」

遠慮がちにリツコが言う。ズバッと物を言う彼女にしてはヘンだ。

「殴って蹴り飛ばした事?そんなウワサになってんの?みんな関わりたくないって感じだけど。あれは後悔なんかしてないからね」
「それじゃないわよ。あれは私も荷担したし。同じ意見だわ…まあ、コワイ女って目では見られてるみたいだけれど」

あれでなんと言われようがかまわない。暴力に使わないって決めてたから、ある意味、やり過ぎたとは思ってるけど。蹴りじゃなくて腹に二発位にしとけば良かったかな。いや、それじゃあ気がすまない。せめて三発は…ダメね。そんなんじゃ足りない。やっぱ蹴りで正解だ。

「加持…君とあなたが、その…」
「ん?」

話が見えない。やっぱリツコらしくない。

「通学中に、だ、だ、抱きあって…たって」
「…は?」

暫し、考えてみた。加持の家に泊まった日か。

「ないないない。ないから」
「そ、そうよね。常識的に考えてありえないわよね」

確かに手を繋いでいた。離してくれなかったってだけ。そういえば、肩に腕を回されたような?多分、それを勘違いされてるのね。気分が弱っていたから、誰かに触れていたかった…それだけだと思う。

しかし、噂っていうモノは誇張されて人に話される。そして、更に大袈裟になり、また他の人間に伝わる。それが繰り返される。その事を私は分かっていなかった。

「それにあの日、あなた…」

気のせいかリツコの顔が赤い。明らかにヘン。

「さっきからどしたの?噂は全くウソだって」
「制服…」
「制服?」
「自分の物ではなかったわよね…」

…借りてたのに気付いてたのか。観察力があるなあ。

「ちょ、ちょっと汚しちゃって加持に借りたんだ」

このウソはしょうがない。どうして制服を借りる事になったのか、説明する訳にはいかない。しかし、リツコは唖然として、ますます顔を赤くする。

「まさか、泊まった…の?」
「ん?え、ええと、まあ…」

隠したって仕方ない。正直に言う…リツコだし。

「何もないからね?加持とは。時間遅かったし、終電逃したから。それにさ」
「…彼、荒れてたものね。でも、あなたと話をして落ち着いたみたいね」

そうだと良いんだけど。加持は泣きたいんじゃないか…そうリツコが言ってたから、自分なりに考えてした行動。

(少しくらいは役にたったのかな?)

「ま、まあ、良いわ…さ、授業が始まるわ。私達がやるべき事もしっかりしないと」
「…頑張ります」

(しかし、ホント、なんでこんなにアタマ悪いんだろ?)

勉強しても、全く頭に入らない。これは生まれつきだよね?さすがに記憶がどうとか関係ないよね…そのせいにしちゃズルいよね?

(まあ、良いや)

とにかく叔父さんは生きている。これから大変だとしても。加持は、加持ならなんとかする…そう思う。

(ありがとう。お父さん…)

薬による眠気じゃなかった。最近、良く眠れなかったから、授業が始まった途端、深い眠りに落ちていく。前も夢で見た男の人。また同じ夢を見た気がした。現実じゃないけど、会えて嬉しい人。例え夢でも。起きたら、全く思い出せないんだけどね。



「"はい、もしもし"」

帰った途端、電話が鳴ってて慌てて出る。自分に電話をしてくる人は加持位だ。昨日の話の事かな?

「"あ、やっと帰ってきたか"」
「"真っ直ぐ帰ってきたけど"」

やっぱり加持だ。

「"携帯持ってくれるとありがたいんだが…"」
「"面倒だからイヤ"」

葛城らしいな、と言って加持は電話の向こうで笑った。悪い知らせじゃない。良かった。

「"明日さ、一緒に病院来てくれない?"」
「"え、行っても良いの?"」
「"もちろん。急に悪かったな。じゃ、明日学校で"」

叔父さんに会えるのは嬉しい。どんな姿でも。驚かない。そうする、絶対に。心の中で一人、決意する。

学校で…って事は明日は来れるんだ。

(そっかあ。良かった)

加持がいないと、姿が見えないと少し寂しい。

(リツコと加持に出会えたから、学校も悪くないかもね)

明日が楽しみ。生きていられて、明日が来るのが楽しみ…こんな風に思えるようになって良かった。

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