結局、彼女とは夏休みの間一度も会わなかった。たまにかかってきた電話の背後からは明らかに男の影がした。決定的なモンは無いが何となく分かる。俺だってそこまで鈍くは無いしバカじゃない。ある意味バカだが。付き合っている女に放ったらかしにされ他の男と一緒にいるのに、文句の一つも言わない…言う気になれないんだから。

久しぶりの学校。教室に入るとすれ違う奴等に軽く挨拶する。去年の今頃は受験一色で夏休み開けだっていうのに殺伐としていたが、高一の二学期は至って和やかな雰囲気だ。案外悪くない。

(…お)

肩肘をついて自分の席で何となくそんな教室を見ていたら、葛城が入ってきた。まだ慣れないせいか緊張しているみたいだ。誰と話すともなく一直線に自分の席へ向かう…が、俺の視線に気付いたらしくこっちを見る。

「よっ、久々」

知らぬ顔でもないし、意外に内向的な感じだ。それにちょっとした好奇心も混ざる。変な時期に転校してきた子だし、話をしてみたくなった…特別な下心は無い、と思う。多分。

「加持君」

名前を覚えていてくれたらしい。こういうのって素直に嬉しかったりする。声をかけられて一瞬驚いたような彼女の表情が笑顔に変わっていく。女の子の笑顔でイヤな気分になる男もまあ、いないだろう。

「休みどうしてた?」

お決まりの挨拶。彼女がどこに住んでいるのか、どこから引っ越ししてきたのかも知らない。俺と同じ電車で通学していて俺より学校から離れた駅を利用している事くらいだ。分かっているのは。

「第3新東京に行ってたよ。正確に言うとそうなる予定のとこ」
「へえ。葛城、新東京に住んでたの?」

転校前の友人に会いに行っていたとか、休みを利用して祖父母の家にでも行っていたのか…こっちにはまだ友人もいないし、つまらないから。そんなトコだろう。

「たぶん、ね」
「たぶん?」

妙な言い方だ。新東京に行っていたと彼女は言った。これは本当だろう。しかし、住んでいたのかとの問いには曖昧な答え。自分がつい最近まで居た場所を"たぶん"と答えるのは違和感がある。

「どういう意味だ…」

聞こうとしたらざわついていた教室が静まり始め、タイミング悪く担任が現れる。葛城は少し首を傾けて自分の席に戻って行った。

(…ヘンなヤツ)

去って行く葛城の後ろ姿を眺める。まだまだ子供…そりゃそうだ。中学出たばかりの高一なんて、そんなモン。自分もそうだが。身長はまあ、平均値位か?俺の顎の所に葛城の頭があった。俺も普通位だ。男の方が第二時成長期は遅れてやってくるから、まだ伸びるだろうけど。

制服のスカートから見える足は結構長く、意外に程好い筋肉が着いている。ケツも張りが良く丸みがある。体だけ見りゃなかなか大人びている。しかし、その背中は頼りなく、やはりまだ成長途中という感じだ。顔もあどけない可愛さはあるが、年齢相応のそれだ。

飛び抜けて目立つタイプでは無い。それでも葛城の事を目で追ってしまう。はっきり言うと嫌いなタイプじゃない。いや、寧ろ好みなんだと思う。

正直に言うとあの時の事…教室で葛城に触れた時。それを何度かオカズにさせてもらっている。しない方が不自然だ。しないのも失礼だ…と思う。いつも残る罪悪感と少しの虚しさ。それが残らない…不思議と。それもあるからだ。言い訳だが。

(不思議なヤツ)

行動や言動がズレている。そこが気になる…たぶん、それもある。つきあいたいとか、そんなんじゃない…同級生は遠慮するのだ。色々と面倒が起こるからな。



「リョウちゃん」

休み時間になると彼女が教室のドアに立っていた。久しぶりなのにそんな気がしない。夏休みの間中会わなかったから、いつもの風景…そんな感じ。改めて学校が始まったんだな、と思った。

「よ、久しぶり」

ちょっと嫌味…意識的にしたワケじゃあない。でも自然とそういうニュアンスを含む。これくらいは良いだろう。

「ごめんね、これでも受験生だし…親がうるさいのよ」

悪びれなく言う彼女。こいつのこういうトコは嫌いじゃない。ラクだ。あれこれ言い訳されると余計惨めになるから。

「今日会える?」
「今も会ってんじゃん」

自分で考えていたより俺は苛々しているらしい。言葉に刺がある…当然、彼女にも伝わったらしく眉毛を寄せる。

「休みの間はホントごめんね。機嫌損ねた?暫くはリョウちゃん優先にするから許して」

"リョウちゃん優先"―学校での彼氏って意味。他の男は大学生か社会人か、或いは既婚者…もしかしたらその全部。

(どうでもいいか)

彼女は美人だし優しい。俺と一緒にいる時は。それなら問題無いじゃないか…結局、放課後に会う約束をした。受験生なら今も大変だろうに。彼女の言っている事は辻褄が合わない。バレて無いとでも思ってるんだろう。

(別にいいが)

多少抜けている女の方が都合が良い。多少鈍い男を求めている、彼女。だったらそういうフリをする。それもまた男女の間に不可欠な駆引き。ノるのもソるのも悪か無い。

『…見たよ』
『あの女だったよな』

彼女を見送りながら何の気なしにドアの所で突っ立ってると、好奇の視線を寄せていた連中…葛城と隠れていた時に入ってきた奴等。つまり俺の事を胡散臭く思っている奴等。そいつらの声が耳に入ってくる。俺は耳だけは良い。聞こえていないと思ってんのか、わざと聞こえるように言ってんのか判断はつかない。

『誰とでも寝る女じゃん』

(わかってるって)

んなコト。わざわざ言ってくんなくても良くわかってるって。いつもなら流す場面だが、さすがに苛々していたらしい…自分。思っていた以上に彼女に対して愛着があるのか、自分を貶されたからかは知らない。けれど、気付いたら奴等の方に一瞥をくれていた。

「"誰とでも寝る"って言ったよな?」
「か、加持…や、おまえじゃない男と歩いてんの見たし…」

どうやら聞こえていないと思っていたらしい。相手のうろたえる態度で分かる。ムカついた。何をしたいのか自分でも分からないが、彼等に近付く。

「"誰"でもなら"おまえ"とも寝るって意味だよな。じゃ、誘ってみれば?」
「…いや、そういうんじゃなくて」
「どういうんだ?"誰とでも寝る"女に断られるかもしれない。自信無いのか」

我ながら酷い。怒鳴りつけているワケじゃあない。淡々と言葉を並べているダケ。相手の言葉尻を嫌味ったらしく取って攻撃する。汚いやり方だ。

教室中が静まり返る。一斉の視線が俺に注がれているのは気配で分かる。

「試してみりゃいい。おまえと寝るかどうか。自分の言った言葉くらい責任持つべきだよな?」

止まらなかった。努めて冷静な口調を保っちゃいたが、逆にそれが不気味だろう。周囲も彼等も。そして自分自身も。

「あんな女と寝る気もしないし」

この言葉で俺の中の何かが切れた。咄嗟に相手の胸ぐらを掴もうと一歩前へ出る。殴るつもりはない。ただ、さすがに黙っていられやしない。

「加持…」

売り言葉に買い言葉…ってヤツ。彼等も本気で俺に喧嘩を売っているワケじゃない。退くに退けないダケ。それは俺も同じだ。

「あなた達、やかましいわね。他でやってくれないかしら」

いきなり大きな音を立てて椅子から立ち上がる音がした。一同の視線は俺達からその方向へ移る。こちらのガキみたいな言い合い…それを制したのは意外にも赤木リツコ―賢い学級委員。彼女だった。

「教室で話すような事でもないでしょう。みっともないわね」

出かけていた手を止めた。赤木の威圧感とはっきりとした物言い。正論―クダラナイ幼稚な言い合い。彼等も赤木の一言で明らかに戦意を喪失している、というより茫然としていた。

「…ああ、悪い。騒がせて」

彼等でなく赤木の方にかけた言葉。彼女は何も言わずに俺に一瞥くれてから再び椅子に座った。

「こんな場所でする話でもないからな。赤木の言う通りだ」

彼等にそう言ってから俺も席に戻っる。正直助かった。自分でも何をしたいのか分からなかったし。バカみたいだ。というよりホンモノのバカ。

彼等の言動より赤木の行動に驚いた。委員長としての責任とか勉強の邪魔になるとかかもしれない。或いは愉快とは言いがたい会話に反発を覚えただけ。でも礼を言いたいくらいだ。

(意外だったな)

赤木リツコ。俺とは別の世界にいる人間だ。有名な母親を持ち、自身も優秀な女の子。誰もが一目置いている。女子同士で連るむタイプでもなく、かと言って孤立しているってワケでもない。

お高く止まっているようにも見えるが、その辺は良く分からない。単に他人に興味が無い…そうも見えた。

(どっちにしろ助かったな)

他の視線にふと気付く―葛城だ。分からない。哀れんでいる訳でも蔑んでいる訳でもない。そんな表情。なんとなく彼女に見られたのが嫌だ。それを考えると軽率な自分の行動に俺はまたイライラした。



学校が終わるとすぐに駅に向かう。さすがに今日は彼女と会う気になれない。今会ったとしたら感情をぶつけてしまうだろう。その旨をメールしておいた。返信を見るのも面倒だからそのまま携帯の電源を切る。

「加持君」

後から声をかけられて立ち止まる。葛城の声。正直イヤだ。みっともないトコを見られ、何を言われるのか分からない。何て言われるのか検討もつかない。それに親しい間柄でもないし、放っておくだろう、普通。そんな事を考えていた。

「何?」

多少不機嫌な声だったと思う。自分では意識していないが。それを気にするようでもなく、葛城は俺の横に並ぶ。

「普通だよね」
「…何が?」
「好きな人の事、あんな風に言われたら頭くると思う」
「え…?」

それだけ言うと葛城はさっさと俺を追い抜いて走り去って行く。

「じゃあね。また明日」

一度だけ振り向き、葛城は手を振る。

(……)

意外だ。そして面白い。赤木にしろ、葛城にしろ。二人の女の子の反応が。軽蔑するでもなく興味本意に色々聞いてくる訳でもない。人間てのは見た目だけで判断するモノじゃない…極力クラスの人間とは深く関わらないようにしていた。同級生とはどうせ話なんか合わないと考えていた。

(傲っているな…俺は)

自分が何処か他人をバカにしていたんだ。自分の方が大人だと思っていた。実際は彼女達の方がずっと深く物事を考えている…そんな風に思った。

この日以来、赤木と葛城に興味を持つ事となる。同時に少し振り回されるハメにもなる。それはこの時点では知る由もなかった。後から考えて、きっかけはこれだったと分かった話。

[TOPへ]
[カスタマイズ]




©フォレストページ