高校生になり三ヶ月余りが過ぎようとしている。普通の学校生活っていうのは良く分からないけど、友人っていう友人もいないし、勉強も難しい。

「家が一番落ち着くなぁー」

独り暮しのアパート。狭いし寂しくもなるけど誰にも邪魔されない、唯一の自分の居場所。

「でも"あの人"が高校は出ないといけないって言うしね」

親もいないし、親戚もいない私。唯一頼りにできるのは"あの人"だけ。高校に行かせてくれて、生活の面倒までみてもらっているんだし。

「頑張らないと」

独り暮しだと独り言を言うクセがつくみたい。最初はそんな自分に違和感があったけど、今は慣れちゃっている。

「なんか部活でも入ろっかな?」

土日は束縛される。でも平日は自由にしていて良い。そういう約束だもんね。

「とは言っても、何が良いかな…」

相談する人。リツコはどうだろ?

「うーん。リツコより加持君の方が良いかも」



『殺すのにね』

あの時の加持の表情を思い出すと今でも笑いが込み上げてくる。ぽかんとした間の抜けた顔。普段は飄々としてるのに。

『なんだそれ…?比喩表現にしちゃあ物騒だな』
『ううん。そのままの意味』

ベッドから降り、なんとも言いがたい表情の加持を見下ろしながらクスッと笑う。

『その気になればって事だよ』
『その気?』

加持もベッドから降りてミサトを見た。ちょうど向かい合う体勢になる。

『へ?』

ほんの一瞬だった。いつの間にか背後を取られ、左足をミサトの腕一本で支えられていた。

天井が見える。あお向けにされて、ミサトのもう片方の手は加持の首…急所に充てられていた。

『すげぇ…』
『動けないでしょ?』

全く力を入れていない。体重は当然、加持の方が重いのに、軽々とこんな体勢を取らされる。驚きより、俄然興味の方が沸く。

加持が倒れないように上手く床に降ろすと、ミサトは何事もなかったかのように又ベッドに座った。

『武道かなんかやってんの?』
『少しだけ。でもね、なんかできるの。体が勝手に動くっていうか』

感心したような、ホッとしたような顔で加持はミサトを見て笑う。

『ホント、負けるな。葛城には』

一呼吸おいてから加持は口を開く。

『でもな、女の子なんだから無理すんなよ』
『今の見たでしょ。大丈夫だもんね』

その時の加持の表情は忘れられない…ずっとミサトの目を覗きこむ彼の瞳。優しく包み込むようなまなざし。

それでいて、心配するような…心からミサトの身を案じてくれているような瞳。

『女の子、だからな』

もう一度、加持は言った。



(あれはどういう意味なんだろ)

―――女の子だからな

妙に耳に残る言葉。

(べっつに女とか男とか関係ないよねー今の時代)

昔は違ったみたいだけど。女性が働きにくいとか、家事は女性の役目みたいな頃もあったのは知っている。

今の日本は完全に男女同権だし。こんな言葉すら古い…っていうか誰も使わないよ。歴史の教科書に載ってたから知ってるだけ。

「教科書?」

いつの話だろ?小学校?中学?

「…いたっ」

頭痛がしてきて、こめかみ辺りを親指でおさえた。いつもの事。過去の事を考える…思いだそうとすると頭が痛くなる。

(痛い…ダメだ。薬、飲もう)

頼りたくないが、処方されている薬…週末に貰う薬。それを取り出して一錠呑み込む。水なしで平気なくらい飲みなれてしまった。

(すぐにラクになる…我慢しよ)

畳の上で横になると意識は薄れていく。眠りにつく寸前に何故か加持の顔を思い出した…気がするけどはっきりとは分からなかった。



「部活?」
「うん。なにか入ろうかなって」

友達を作りたいから…とは言いづらいからやめておく。

「ねぇな。この学校には」
「え?そなの…」

他の学校は知らないけど、普通はあるんじゃないかな?進学校だからないモノなの?みんな勉強に忙しいのか…。

「そう言われてみりゃ変だな。興味なかったから気にしなかったけど」

やっぱり普通の高校とは違うみたい。加持君も今更だけど不思議だな、と付け足した。

「ふぅん、そか」
「なんかやりたいの?」
「なにってワケじゃないけどヒマだから」

授業が始まるから席に戻った。その後ろ姿を加持が見つめていた。

(なんでこの学校なんだろう?)

言われるがままにここに来たけれど、どう考えても私は浮いている。授業はレベルが高いし、ついていけない。

(なんで"あの人"は…ここに…)

また眠気が襲ってくる。授業が難しいからだけではない。私なりに頑張ろうと思ってはいる。なのに、突然くる睡魔にはいつもいつも負けてしまう。

(…なんで…ここ…)

次に目を開けた時に視界に飛び込んできたのは教科書だった。



「学校はどうだ?」

週末に来る、いつもの場所。目が覚めたらいた場所。私の最初の記憶。

おかしいよね。生まれた時からこの体だったはずはないし。でも、気付いたらここにいて暫くここで暮らしていた。

なんだか色々な事を聞かれたり、あちこち検査されたりしたけど。怖かったのもあった。大きな機械に入れられた。真っ暗で頭が割れるような音がガンガン響いて。

でも、ここの人達は優しくしてくれたの。だから我慢した。毎日同じ事を繰り返し聞かれるのはウンザリしたけどね。

「うーん…良く分かりません」

"その人"は笑う。目尻に皺ができる。まだそんなに歳ではないように見えるけど、年齢は知らない。

「勉強は難しいです…ついていけないかも」
「あそこはな。大変だろう。だが、若いうちは無理するのも勉強だ」

…無理って言うか無茶なんだけど。

「学生の仕事は勉学だ。成績は気にしなくて良い。努力する事に意義がある」

(報われない努力もムナシイんだけどな)

大した努力もしていないけど。一応テスト前は試験勉強はしてみたりする。授業も聞いていよう、しっかりしないと…と考えてはいるのに眠くて起きていられない。

「眠くて仕方がないんです」

"その人"はほんの少し、眉毛を寄せた…気がした。普段顔に出ない人だから私の言葉に妙な反応をするのは珍しいかも。

「疲れているんだろう。無理はしなくて良いから」

特に無理をしている覚えはないんだけど。どっちかって言えばダラダラしてるし。さっきと逆になるけど。みんな程、勉強してないし…できないし。

(別にたいしたコトじゃないか)

「ちょっと良いかしら」

ドアが開く。ここに人が来る事は珍しい。初めてだったかも。女の人の声。聞き覚えがあるような気がする。

(あれ…?)

声だけではない。背の高いスラリとした綺麗な女の人。三十代くらいかな。白衣を纏った知的美人。どこかで見たような、初めて会ったのに、そんな気がしない。

「あら。葛城ミサト…さんよね」
「あ、はい…ええと」

やはり初対面ではないのかな。会った記憶はないんだけど…。

「ああ、私とは初めてよね。娘がいつもお世話になってて…」

娘。娘?お母さんなのか。そんな感じしない。しなやかで上品で。一般的な"お母さん"がどういうものか分からないけど。

…娘?

「私、赤木リツコの母親の赤木ナオコ。宜しくね」



「母に会った?」
「うん。綺麗なお母さんだねー」

教科書から視線をあげて難しそうな顔をするリツコ。

「何処で?」
「え?えっと…」

良いのかな?良いよね別に。口止めされてる訳じゃないし。挨拶してくれたのはナオコさんからだし。

「新東京で」
「新東京?」

やっぱりリツコは不思議そうだ。あんなトコに行く人間は少ない。ほとんど何にもないし。

「ま、前に住んでてね。懐かしくて日曜日にちょっと行ってね…」

ウソは言ってないし、無難に答えておこう。突っ込まれても困る。自分自身、どうしてあそこへ行くのか分からないし。

「…そう」

リツコの答えにホッとした。根掘りは堀、聞いてこない。彼女らしいというか、空気を読んでくれたんだか、単に興味がないのか(ちょっと寂しいけど)分からないけど。

「元気そうだった?母」

どういう意味だろ。リツコの言っている事は。今度はこっちが不思議になる番だ。

「帰って来ないのよ」
「何処へ?」

少しうつむき、目線を横に向けるリツコ。こんな表情は初めてみたかも。困っているような、悩んでいるような感じ。

「家に。新東京の"何か"に取り憑かれたらしいわね」

それ以上、リツコに話を聞いてはならない…そんな気がした。聞くのが怖くなった。自分も同じ場所に行っているから。



独り暮らしの面倒なところの一つである買い物。週に一度、まとめてスーパーで買う。最近、近所に唯一あったお店がなくなっちゃったから余計に面倒。

二駅前で降りた所が一番近い。適当にカゴの中に食料品を入れていきながら、テストの事を考え、軽くため息をつく。

模試は予想通り散々だった。予想より悪かったかも。模試の次はすぐに中間テスト。これがやっと終わったとこ。

「成績の事を言われないだけマシか」

リツコはどうなんだろ?帰って来ないお母さん。模試は当然のように一位。誉められたりしないのかな。

加持君の名前があった時は(失礼だけど)びっくりした。十位までしか貼り出されない、成績表。

(アタマ良いんだな)

叔父さんは喜んでくれるのかな?
どんな人なんだろ。前に家に行った時は会えなかったし。

最近は私も一応、頑張って勉強してたし。あまり加持君と喋っていない。

そんな事を思っていたら、急に肩をぽん、と叩かれた。こんな風に私に接してくれる人は…

「よう。偶然」

やっぱり加持君だった。

「おまえ、なにコレ…」
「な、なにってなにが?人の買うものジロジロ見るのって失礼じゃない」

大量の菓子パン、レトルト食品にカップラーメン。カゴはそれらで埋めつくされている。

「不健康だなぁ…」
「十分元気ですから。おかまいなく」
「つーか、不経済だろ」
「まあ、そうだけど。時間は無限にあるワケじゃないでしょ。簡単に作れる方が効率的だもん」

少なくとも私はそう考えてる。

「言い訳のような、斬新な考えのような…」
「独りだと作る気しないし」

出来ないのも事実だけど。習った事ないから。それなら、調べれば良いとは思う。引っ越して来た日に料理の本とやらを買った。

塩少々とか、だし汁を入れてとか、説明が難しい。少々ってアバウトだ。だし汁自体、何の事だか分からない。

だからやめた。

「ま、人それぞれだよな。けどさ」
「"けど"なに?」

なんだか突っかかった言い方をしちゃって悪いかな。やっぱ、照れ隠しみたいなのがあるみたい。

「気が向いた日には俺んとこ来れば?前は結局夕飯食っていかなかったじゃん」

(あの時ね)

加持君が護身術にやたら興味持って、技をかけあってたら遅くなっちゃったんだっけ。

「え?迷惑じゃなきゃ」

独りはイヤじゃない。けど、好んで独りでいるってワケでもない。嬉しかった。気を遣ってくれている…その気持が。

「で、今日は気が向く日?」

突然の誘いに少し驚いた。彼がこういう風に言っても至って自然に聞こえる。人柄というか、性格なのかな。

こくっと頷くと、加持君は笑っていた。彼を良く思わない人間もいる。しょっちゅう噂になるから。

主に女性関係。凄い歳上の人と付き合ってて、お金を貰ってるとか、妊娠させて棄てたとか。一部の男子が言っている。

事実かどうかは知らない。でも、私の目に映る加持君は、少しだけ大人びてるけど普通の男の子。

私を気にかけてくれる唯一の人だから、そう見えるのかもしれない。けど、自分は彼にイヤな印象を受けた事は一度もなかったの。

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