「不思議ね、あの子」

結局、加持とリツコでミサトを家まで送っていった。電車の中でも彼女はいつも通り眠そうながらも元気にみえた。あんなに苦しそうにしていたのが信じられない。

「頑丈そうに見えるよな。でも、あの痛がり方は普通じゃないな」
「病院へ通っているって言ってたわね」

保険医とミサトの会話は丸聞こえだった。立ち聞きするつもりはなかったが、二人には興味深い話ではある。一部始終、聞かせてもらった。

「"病院"ねえ…」
「なんか知ってんのか?」

含みのある言い回し。リツコはうっかりそんな真似をする人間ではない。聞いて欲しい…加持に。そう捉えて良いだろう。

「あなたなら余計な詮索はしないわよね。ミサトとも仲が良いし」

意味深なリツコの発言と、ミサトの様子。気にならない訳がない。正直、聞きたくて仕方がない。

「へえ。意外と信用あるんだな、俺」

平静を装うが、リツコにはバレているだろう。彼女には敵わない…それは加持には良く分かる。

「長くなるけれど、簡潔に話すわ」

駅から電車に乗り、降りるまでの間。加持はリツコの話を黙って聞いていた。



ベッドの上に寝転びながら、加持は先程リツコから聞いた話を考えていた。なんだか、非常にややこしい。そして、とてつもなく重大な事に思えた。

(第三新東京、か)

そのうち日本の首都になる予定の場所。それは日本人なら誰でも知っている。そして、復興の期待を夢見ている人口都市。

ミサトが住んでいた所。だが、彼女は昔の話をしない。だから加持も聞かない。

(しかし、定期的にあそこへ帰っていたのか…)

それは初耳だ。良く良く考えてみると、ミサトが家に来るのは平日だけだ。何となく週末に誘うのは躊躇っていた。特別な関係ではないし、何より自分でブレーキをかけていた。

(それは置いておくか)

今はリツコに聞いた話だけを考える事にする。有名な科学者であるリツコの母親。それも彼女が入学した時から、騒がれていた。あの赤木博士の娘がいる…誰もが知っていて、入学前から噂されていた話。

(赤木の母さんが、新東京から帰って来ない、か)

彼女曰く"とり憑かれている"何かに魅惑されているように。新東京にある"何か"

ミサトの様子からすると、頭痛は良くある事らしい。薬を持ち歩いているし、対処にも慣れていた。

定期的に通う病院とは、新東京にある事は間違いないだろう。保険医とリツコの話から考えて。重い病気なのか、とも考えたが、それなら独り暮らしなのは不自然だ。

勿論、身寄りがなくそうしている人もいる。だが、ミサトは誰か保護者がいる筈だ。そうでなければ高校に入れない。第一、生活できない。

(おかしいな…)

普通の女の子だと思っていたし、今でもそう思う。少し突拍子もないトコもあるが。電車の中や、授業中に眠りこけていたり。

(眠り?)

何故、今まで気付かなかったのだろう。あの眠気はそれこそ普通ではない。

「ちょっと出かけてくる」

叔父にそれだけ告げると、加持は駅へと走って行った。



「…はい?」

眠そうなミサトの声。とりあえず、ドアの前に歩いてこれるくらいは元気らしい。また具合が悪くなったのかと心配したが、余計なお世話みたいだ。これから加持がしようとしている事もそうかもしれない。

「急にごめん。俺」
「加持、君?」
「いや、ちょっと心配で」

それもあるが、微妙に違う。女の子の家にいきなり押しかけるのは非常識だ。しかし、さっきの今だし、思い立ったら行動あるのみ。加持は躊躇いはなかった。

「…ちょっと待っててくれる?」

待つこと数分。ドアが開く。

本当に、加持の部屋以上に何もない、四畳半の畳の部屋。小さい冷蔵庫と電子レンジ。そして、机だけ。

髪の毛からポタポタ水を落としながら、首にタオルをかけたミサトが出てくる。

「お風呂入ってから、こんな格好でごめん」

どうぞ、と言いながらミサトは加持を招き入れた。加持も従う。本当はどこか外で話をした方が良いとは思ったが、変に気を遣うのもおかしい。そう思った。

「どうしたの?心配して戻って来てくれたの?」

心なしかミサトは嬉しそうだ。迷惑かな…と思われずにはすんだらしく、加持もはホッとする。

(ま、これから余計なお節介焼くんだが)

「何か飲む?って、水か麦茶しかないけど」

首からタオルを取って、髪の毛を拭きながらミサトが言う。隠れていたから気付かなかったが、白いTシャツにハーフパンツ。それは普通の家にいる時の格好ではある。

しかし、ミサトはブラジャーを着けていない。そういうのに加持は鋭い。二つの大きな膨らみがTシャツを押し上げている。

「ええとさ、具合が悪いトコに申し訳ないんだが…」
「もう何ともないって。それよか、どしたの?こんな時間に」
「どうしても聞きたい事があるんだ」

不思議そうな顔をするミサト。そんな急を要する話をする覚えはない…そんな感じだった。

「あ、寝転んでても良いから。ただ、寝るなよ?」
「なんだか真剣みたいだけど…分かった。努力はする」

一応、ミサトなりに気を利かせたつもりらしく、彼女も真剣に話をするべく床にぺったりと座る。

「あ、麦茶飲む?」

もう一度、立とうとするミサトを制し、加持はコンビニの袋を差し出す。

「テキトーに買ってきたから。どうぞ」

そう言って加持は自分の分の缶コーヒーだけ取り出す。ミサトはありがと、と言って同じコーヒーを選ぶ。

「ダメだな、やはり」
「何が?」
「リラックスしてる時に悪いんだが、上着着ろ」
「なんでこんな暑いのに…」

そう言われて加持の顔を見ると、目線は横を向いている。なんだか困っているみたいだ。少し考えミサトも気付く。

「あ、あの、分かった」

薄手のパーカーを羽織る。さすがにだらしない格好だったかな…とミサトはズレた行動にでる。

「少し後ろ向いててくれる?」
「…なんで?」
「着替えるから」
「は?良いよ。それで」

デニムを引っ張り出してきたミサトを止める。上さえ隠してくれれば、まあ良い。

「そう?じゃあ遠慮なく。暑いしねー」

(…バカだ、コイツ)

というより、自分がオトコとして扱われていない、全く。そう考えると加持は悲しくなってくる。

(おっと。今は別の話だ)

「あのさ、葛城。答えたくないなら言わなくて良いからさ。幾つか聞いても良いか?」
「へ?」
「思い出したくないとか、辛い話なら言わなくてかまわないからさ」
「良く分かんないけど、加持君に隠す事とかないけども」

ちょっと加持は嬉しくなる――"加持君に"隠す事はない――これだけで、内心有頂天になってたりするから、全くオトコとは単純だ。

「赤木からちょっと聞いちゃったんだが」「リツコから?」
「おまえ、新東京に頻繁に行ってんの?」「うん。殆ど毎週末」

気にする風でもなく、ミサトはコーヒーを飲みながら言う。

「病気じゃないんだよな?」
「違うよ。そう見える?」

至って元気そうだ。良く食べるし、どっちかと言うと活発な女の子。だが、気になる点がある。もっと早く気付くべきだった、ミサトの様子。

「あそこに葛城の保護者代わりの人がいる…合ってるか?」
「そうだよ。高校に入れたのもその人のおかげ」
「今日みたいな頭痛はしょっちゅう起こるのか?」
「…思いだそうとするとね」
「何を?」
「新東京に来る前の事」

ぼんやりと考えていた予測が当たってしまう。昔の事を話さないミサト。血の繋がりのある人間がおらず、独りでいるミサト。そして、胸の傷。

あの傷を刻み付けた事故で、ミサトは全てを失い、記憶も閉ざしているのではないか…加持はそう考えていた。

(待てよ…?)

"思いだそうとすると"頭痛がする。今ミサトはそう言った。記憶障害を治すために新東京へ治療へ行くのだと思う。

「つまり、葛城は新東京に保護者がいる。そして、それまでの記憶はない…合ってる?」

膝を抱えてミサトは上を向いたり、首をかしげたりしながら、加持の言う事を真剣に考えているようだ。

「…そうかも。あまり深く考えなかったけど、加持君の言う通りだね」

まるで他人事のように言うミサト。加持はその態度に疑問を持つ。

「今まで気にならなかったのか?」

缶コーヒーを床に置いて、ミサトは畳の上にごろん、と寝転ぶ。

「考えると、アタマが痛くなるから。考えなかったの」

まぶたが半分閉じかけている。加持が一番おかしく思った事。異常なまでのミサトの睡眠。

「私、どこかヘンなのかな?」

思い出したくないから、封印されている…だから、考える度にやめておけ…そういう意味で頭痛が起こる…ミサトは何となくだが、そう考えていた。

「そうじゃない。誰でも何かしら抱えているモンだ」

これは加持なりの優しい嘘。だが、記憶がないだけの(これは重要な話だが)普通の女の子だ。加持にとっては。

「悪かったな。立ち入った事聞いて」
「…嬉しかった」
「へ?」
「私を気にかけてくれる人がいて、嬉しかったの」

完全にミサトのまぶたは閉じていた。半分寝惚けているんだろう。それでも、こういう状態の時に出る言葉は本心…加持はそう思っておく。

自然とミサトの手を握っていた。強くても、やはり女の子らしい小さい手のひら。加持の手にすっぽりと収まるくらい、小さい手。

――とり憑かれているの。新東京に

リツコの言葉を思い出す。あそこには何かがある。今の時点ではまるきり謎だが。そんな事を思いながら、加持もいつの間にか目を閉じていた。


ふと、加持は目を覚ました。月明かりだけが頼りのぼんやりした視界に、いつもと違う風景が目に入る。ミサトがすぐ隣で寝ている…記憶の最後に残っている格好のままの姿。加持の手もミサトの手を握ったままだ。

(そうか。寝ちゃったんだな、俺)

ミサトが倒れたり、リツコに聞いた話。色々と考え、加持も疲れていた。

何か大変な事を独りで背負っている女の子。それがどんな物なのかは、まだ分からない。安心しきったように眠る姿を見ていると、何とも言いがたい気分になる。

「俺が守るよ」

声に出して言う。ミサトの耳には届いていないだろう。傷付けたくない、大切にしたい…加持は心からそう思った。そして、そっと手を離し、汗で乱れた前髪を撫でるように直した。

「俺がいるからな。安心しろ」

もう一度、呟くと加持は再び目を閉じた。



「加持君!加持君!起きてってば」

(今日土曜じゃん…寝かせといてくれ)

加持の肩を揺さぶっているミサトが視界に飛び込んでくる。急激に眠気は覚め、夢の中から現実へ戻っていった。

(ああ、二度寝しちゃったか…)

変な体勢で寝たせいか、体がダルい。加持はそのまま又目を閉じた。

「叔父さん心配してるよ?家に帰らないなんて」
「ああ、大丈夫。そういうのはお互い干渉しないんで」

人様に迷惑さえかけなければ良い。叔父は加持を子供としてではなく、同じ男性という立場で見ていた。

(と、今はそんな場合じゃねえな)

「悪い。寝ちゃったんだな、あのまま」
「ううん、私が先に寝てたんだから…」

ミサトはなんだか慌てているらしい。いつも結んでいる髪をおろしている。綺麗になびく黒髪。それが加持の頬にあたり、くすぐったい。

「目、覚めた?」

肩を揺さぶられていた…必然的にミサトが加持の上にいる。昨夜と同じ格好だ。少し目線を下げると、大きな二つの膨らみが嫌でも目に入る。

ミサトの動きと同調し、それらも大きく揺れている。下着を着けていないから、余計に強調されている膨らみ。柄にもなく恥ずかしくなり、加持は起き上がる。

「ごめん、私出かけないといけないの。鍵はポストに入れておいてくれる?」

ポストに鍵という発想が全くなっていないと加持は思った。本当に無防備というか、世間ずれしているというか。

(出かける?)

新東京へ行くのだろう。咄嗟に加持はミサトの腕を掴む。

「ダメだ。今日は止めとけ」
「え?」

いつもの習慣。当たり前になっている事。それを制され、ミサトは驚く。

「うやむやになってたけど、俺はおまえを誘ったんだぜ?」
「え?そうだっけ」

昨日ミサトが頭痛をおこす前の話だ。正直、加持も今思い出した。理由が欲しかっただけ。新東京へ行くのを止める理由。あそこへは行かせたくない。永遠にというのは無理だが、とにかく今日は嫌だった。

「ちょっとな、話たい事あるし。今日だけ付き合ってくれ、な?」

ミサトは暫く考えていた。彼女は彼女で、リツコから聞いた母親の事、自分自身の事…多少の疑問を持ち始めていた。あの建物に。

(でも"あの人"は…)

信用していた。というより、信じるしかない。そうしないと本当に世界でたった独りになってしまう…そう思っていたから。

「ちょっとおかしいと思うだろ?」

ミサトは否定できない。考えないようにしていた。しかし、あそこは普通じゃない…薄々は感じていた。

「適当な理由をつけて今日は断われ…な?」

加持やリツコ。頭も切れるし、感情で動くタイプではない。第三者の意見…彼等からは自分が、自分の行動が、どういう風に映っているのか聞いてみたい…ミサトはそう考え始めていた。

「分かった。やってみる」



電話をかけると、あっさりと承諾されミサトは拍子抜ける。風邪をひいた…と、サボリの代名詞みたいな言い訳。それが簡単に受け入れられた。

「もうちょっとアタマ捻れよ…」
「捻ってもこれ以上良い案が出てくるアタマなんて持ち合わせてないし。ま、良いじゃない。結果オーライだしね」

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