きみとみる世界
□貿易の街にて
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「ごめんなさい、今は一人部屋が一つしか空いていないの。」
そう眉を下げたジョーイの言葉に、レッド、ヒビキ、ルーナの三人は顔を見合わせた。
日はもう完全に没していて、外は群青色の空が広がるばかり。
街に辿り着いてまで野宿はやだなぁ、とは誰が思ったことだったろう。
一人部屋に三人入れてもらうというのは無理があるし、ルーナは女の子だ。
男二人と同じ部屋に押し込められるのは嫌だろうし、何よりポケモン達が黙っていないだろう。
レッドは、ルーナの手を引いて歩き出す。
「…行こ。」
「ふぇ、行くって何処に?」
頭に疑問符を浮かべた彼女の問いには答えず、レッドはすたすたと外へ歩いていく。
「ちょ、レッドさん、どうしたんすか?」
「…君はここ。」
ヒビキが慌てて追いかけて来たのをちらりと見てそう言うと、困惑したように立ち止まった。
「えっと、そういうことみたい。また明日ね、ヒビキ君!」
自動ドアの向こうへ消える前に手を振ってくれたルーナに手を振り返して、ヒビキははぁとため息をつく。
(ルーナちゃんかわいそうに。街にまできて野宿か。)
レッドの事だから、潔く野宿に転化するのだろうと決め付けたヒビキは、申し訳なさそうな顔をしていたジョーイに最後の一部屋を貸してくれるよう頼んだ。
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ルーナの手を引いて歩く夜道は、ひんやりとした空気が流れ心地よい。
街灯の灯り始めたレンガ造りの道を、無言のまま歩いていく。
ルーナはポケモンセンターを出てから喋らないし、レッドは何をどう話し掛けたらいいか分からなかったのだ。
二人の間に響くのは、レンガの上を歩く足音だけ。
「…レッド。」
自分を呼ぶ声がして、ちょっとだけ後ろを見る。
ルーナが複雑な表情でレッドを見上げ、掴まれている手へと視線を移した。
「私、一人で歩けるよ。」
暗に手を放してほしいと言っているようだ。
ごめん、と呟いて、手を放す。
レッドの右手からしっとりとした温もりが消えて、代わりに冷たい空気が掌に入り込む。
それに少し寂しさを感じていると、ルーナが横に並んでにこっと笑った。
「ね、どこ行くの?」
いつも通りに話しかけてきてくれた事が嬉しい。
喧嘩してたとかじゃないのにおかしいな、とレッドは思う。
「…この街。」
「うん。」
「ホテル、あるらしいから。」
「え…。」
ギクリ。
そんな効果音が聞こえてくるように、ルーナは一瞬だけ体を強張らせた。
どうかしたかとレッドが尋ねようとすると、悟られたのに気付いたか両手を胸の前でぱたぱたと振って見せた。
「んにゃにゃ、何でもないよ!
だけど、予約してなくて大丈夫かなぁ?」
「大丈夫。…問題ない。」
ルーナがきょとんとレッドを見る。
強がりでも何でもなく、レッドには有事の際の切り札がある。
一応財布の中を確認、きちんと目的の物があることを確認して、ルーナの頭を撫でる。
「うーん…、何か奥の手があるんだろうとはわかったけど…。
駄目だったら、野宿でもいいからね。」
「タージャ。」
いつの間にボールから出ていたのか。
今日の朝新しくルーナの手持ちに入ったツタージャが、彼女の肩の上から有無を言わせぬ表情で、レッドを見ていた。
程なくして入ったホテルのロビー。
受け付けに"切り札"を提示すると、従業員達は面白いくらいに慌てた。
ルーナは後ろで、ばたばたと動き出した人とその原因を提示した目の前の人物を交互に眺め、首を傾げる。
一体レッドは何を提示したのか、凄く気になっているようだ。
「お待たせいたしました、サトシ様。お部屋にご案内いたします。」
「ん」
サトシ、とは言わずもがなレッドの偽名である。
カントーリーグ最年少チャンピオンとして名を馳せたのは四年も前の事だったが、未だにレッドの名を覚えている者は多い。
カントーから遠く離れたイッシュにも名前が伝わっているかは知らないが、余計な騒ぎ、と言うか面倒事は起こしたくないので、予防策だ。
「あの、すいません。お連れ様のお名前は…」
「メルです。」
でもルーナまで偽名を使ったのは、レッドにとって予想外だった。
従業員の問いに間髪入れずに答えたルーナは、いつものように笑っている。
「…名前の事は、お互い言いっこ無しね。」
部屋に案内されながらこっそりと囁かれた言葉に、レッドはこくんと頷いた。
(ルーナもイッシュでは有名人なのか…。)