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□となりの誘拐犯
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「こんばんは。貴方を誘拐してもいいですか?」
進学塾の帰り。街灯が一つだけポツンと灯る人通りの少ない夜道を歩いていると、ロスと名乗る見知らぬ男に話し掛けられた。
ボクは一瞬驚いたものだったが、直ぐに平静を取り戻して構わないと答えた。 ロスはその返答を予期していなかったのか暫く赤い瞳を瞬きさせていたけれど、ボク同様直ぐに平静を取り戻してそうですかとだけ言った。
そうして黒い車に誘(いざな)われ、夜の景色は動き出した。先程まで停止していたのが嘘のように
どんどんどんどん切り替わる。まるで昔の映画のフィルムみたいに。
それでも暗い空に浮かんだ月は揺れ同じ位置にあるままだった。


となりの誘拐犯


暗いあの道ではよく見えなかったから分からなかったけれどロスはかなり整った顔立ちをしていた。
陶磁器を思わせるような日に焼けていない白い肌。それとは対照的である燃え盛るような赤い瞳。手足なんかスラッとしててモデルなんじゃないかと疑う程だ。
そして、自分よりもはるかに高い背は彼が大人の男であることを改めて認識させた。

「―誘拐犯に素直に着いてくる被害者なんて聞いたことがありませんよ」

そんな彼は甚だ呆れたようそう言ったが、ボクに言わせてみれば誘拐犯が誘拐してもいいかと許可を取るなんて聞いたことがない
。それにロス程の人間が何故、自分の様な平凡な学生を拐わなくてはいけない事態に陥ったのか知りたいものだ。
いや、これから彼が自分をどうしてくれるのか。それを一番に知りたい。
ロスは身代金目当てでボクの家に脅しをかけるのかもしれないし、もしかしたらロスは猟奇的なヤツでボクはこのまま殺されてしまうのかもしれない。むしろ、ボクは何よりもそうなってしまいたくてロスに着いてきたんだ。
だから今から自分の家族や自分自身に危険が及ぶのだと思うとどきどきして、たまらなく興奮してくる。

「誤解の無いよう最初に言っておきますが―‥俺は金目当てではないですし、人殺しになるのはまっぴら御免です」
「‥へぇ、何もしてくれないの」

ボクは不満を隠さずロスを思いきり睨み付けた。
そうするとロスはその綺麗な顔を露骨に歪めて不機嫌そうにする。

「大人にそんな口のきき方するなんて生意気な餓鬼ですね。安心してください、それ以外のことはするので」
「それ以外のことって?」
「気になります?」
「質問を質問で返さないでよ。そんなの気になるに決まってる」
ボクをどうにかしてくれないと困るんだ。
お前がロスがどうにかしてくれないと。
「じゃぁ貴方が誘拐犯にノコノコと着いてきた理由を尋ねましょうかね」
「‥は」
「そうしたら教えてあげますよ」
ロスはボクと目を合わせてクスリと笑った。
小馬鹿にされている。おまけに余裕のある微笑みは子供を見下す大人の表情で、少し腹が立った。ボクだってそうやって笑える。 お前とおんなじ人間なのに。どうしてそうやって。

乗せられていると分かっていたけどそうムキになってしまえば言葉がどっと
喉の奥から滑り落ちてきた。

「大人は勝手だ。自分の都合ばかり押し付けてまだ判断が出来ないからって母さんも父さんも好きな大学にさえ行かせてくれない。もうボクは18だよ?自分で決めてなくてどうするの」
「‥子供ですねぇ」
「あぁ子供だよ!下らない考え方だって自分でも自覚してる。でもね、ロス。成績が今日下がったんだ」
「知りませんよ‥」
「ねえ、成績が下がったらボクどうなるか分かる?





殴られるんだ」

赤い瞳が見開かれるのを感じた。端から見て滑稽な程、ロスが口を開いて絶句している。
ボクは自分自身が大人の彼をそうさせたことに対して優越感と満足感を味わった。
そして口角を上げてさっきの彼みたいに笑った。いや、笑おうとした。それなのに、あれなんで。口の端が巧く上がらない。

「―見えない所を殴られるんだ母さんに。言うことを聞かないとか理不尽な暴力だってたまにある」

あの怖い拳が容赦なく背に落ちてくるのがおそろしい。痣の上に新しい痣がまた出来る。
自分自身の悲鳴を聴くのはもう厭きた。
傷付くのはもう懲り懲りだ。
ならば此処でロスが自分の家族へ誘拐したと脅しを仕掛ければ、今日だけでも暴力はその混乱でなくなるかもしれない。 いっそのこと自分がロスに殺されてしまえばもっといい。
この誘拐犯がボクをどうにかしてくれれば、ボクはあの怖い家に帰らなくていいんだ。
今だけで良い。今だけで良いから。
「もう‥家に帰りたくないッ‥!」
「帰らなきゃ良いでしょう」
小さく叫んだ途端、ボクは低い声と伴に温かい温もりに包まれていた。
ロスだ。ロスがボクを抱き締めている。
信じられなかった。
まず男同士で抱き合っているのが信じられないのだけれど、黒い服に包まれた彼の身体がこんなにも温かいだなんて。
不思議と彼の胸に頭を預けていると泣きたくなり、突然涙が溢れ出して止まらなくなってしまう。鼻水まで垂れてきてズズーッと啜ると汚いですよとロスに怒られた。
「それから俺は貴方の誘拐犯です。帰りたくないってだいたい帰らせるわけがないでしょうが」
「え、でも‥何かしてくれるって」
「あぁそれですか。本当は話聴いて、なし崩し犯そうかなぁって思ってたんですけどねぇ。気が変わりました、今の貴方だと受け入れてくれちゃいそうなので」

なんだか、それこそ信じられない様な台
詞を聞いた気がする。
ロスは凄い笑顔だけれどボクにひかれていることを分かってるのだろうか。
そんなことを思いながらもボクは何故だか両腕をロスの首へと回して抱き寄せた。
窓から見える夜の景色は静止画の様にピタリと停止している。暗い空に浮かんだ月は相変わらずそのままの位置にあるままだ。
これを恋だと言うのなら、ボクはとんでもない男に拐われてしまった。
隣にいるのは誘拐犯でボクは被害者。
これからボクは困ったことに彼とずっと一緒だ。
end

⇒捕捉
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