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□回り廻って、輪廻の輪
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落ちる、そう思ったときにはもう遅かったのです。ボクは宙に身を投げ出して真っ逆さまに、下に下にと落ちていきました。
落ちる瞬間はそれはもう実にスローモーションの様でしたが、落ちるときは驚く程あっという間でした。
嗚呼、ほら。頭が地面に叩き付けられます。砕かれる様な重たい衝撃に視界が点滅し、悲鳴を上げたくなります。固いアスファルトの上を這っていく赤いのはボクのでしょうか。
どうやらボクは死んでしまったようです。
手が動きません。足もそうです、変な方向に曲がったまんまピクリともしません。心臓なんかも動こうとしませんし、肺も役割を成していません。脈なんかも当然ありませんし、落ちる前まで正常に動いていた身体中の臓器は機能することを忘れてしまいました。ついにボクは空っぽになってしまったのです。ただ"死"という感覚を身体が従順に受け入れて、客観的に自分の死を捉えているだけなのです。身体は固まっているのに意識だけは自由で、此処に拘束されているのです。
こんな空しいだけの感覚、誰が願って知りたいっていうのでしょう。
こんなものボクは知りたくありませんでした。
だから、ボクは怨みます。ボクはボクを殺した人を怨みます。ボクをこんな目に合わせた人間を心の底から呪ってやります。

ねえ、誰がボクを殺したのですか。
ボクはもっと生きたかった。



回り廻って、輪廻の輪



ゴツンッ。
鈍い衝突音と突如頭を襲った割れる様な痛みにより、ボクの意識は深い眠りの淵から引き摺り出された。
薄目を開くと捉えられる天井は昨夜よりも大分高い位置にある。半身を起こせば、背中にチリチリとした痛みが走った。
どうやらボクはベッドから落ちてしまったようだ。
おまけに、寝ている間に汗をかいたのかシャツが濡れた肌に貼り付いてベタベタしている。
全く本日は最悪のお目覚めだ。
ボクは嫌な気分を治す為、水を呑みに台所へ行こうと立ち上がった。しかし、それは右足を一歩踏み出したところで、 実行不可能になってしまう。
強い力に左手をグイと引かれたのだ。
そのおかげでボクは後方へと思いきり転倒した。
ベッドがあって良かったと思う。
あと少しずれていたら間違いなく頭を打っていた。

「おはよう。今日は随分早いんだな」

ボクはみっともなく仰向けになった状態のまま、そうさせた御本人様を軽く睨め付けながらそう言った。

悔しいことに仰向けのまま見上げる奴は、今日も紛うことなきイケメンだった。寝惚けていてもイケメンだった。
無造作に跳ねさせた黒い猫ッ毛に、誰もが羨む様なはっきりとした目鼻立ち―何よりも万物を射抜く様な赤い瞳が奴の最大の魅力である―、そして華奢な癖して筋肉の付きが良い身体は、どうして神様はこんなにも不公平なのだと叫びたくなる程だ。
そんなとどの詰まりただのイケメンである奴は二、三回瞬きをして、掠れた声で「おはようございます」とボクに返してくれた。
起きたてで眠いのだろうか、猫の様に目を擦っている。

奴―もといシオンは、ボクと同じ屋根の下に住み生活を共にするルームメイトだ。時々こうして、ボクの寝台の中に潜り込んでいることもあるが決してシオンとボクはやましい関係にあるわけではない。ボクにそっちの気は無いし、あった所でシオンには沢山の女の子が居る。だから、それはまず有り得ないわけだ。
よって奴との関係は、サークル合同の飲み会で何故か意気投合したことに始まりそれからいつの間にか仲が深まりルームシェアし出したに尽きる。どうしてもカテゴリに分類したいというのなら仲の良い友達で十分だろう。

ただ、奇妙なことにシオンはボクよりも二つ先輩であるのに出会ってから一度も敬語を崩したことがなかった。名前もアルバと呼び捨てではなくアルバさんと何故か敬称で呼んでくる。
その癖、ボクが敬語を放棄しても怒られることは無いし、シオンと生意気にも呼び捨てにしても受け入れてくれるのだ。
そんな自分達は他人からしてみたらとても奇妙にちがいない。それもそうだ。
だって当の本人であるボク達も奇妙だと思っているのだから。

「アルバさん、一限目あるんですか」
それが朝から人をすっ転ばせた目的なのかシオンは欠伸を噛み殺しながらボクに尋ねてきた。こいつ、まだ眠いのか。
「いや、確か三限から。シオンは?」
「ありますけど」
「けど?」
「今日一日女の子とデートするんです。だから部屋開けといてくれると嬉しいなあ、と思いまして」

嗚呼、またか。
嬉々として話すシオンを生温かい目で見ながら思う。
シオンが女の子を取っ替え引返しているのを見せ付けられるたび、童貞彼女なしのコンプレックスが堪らなく刺激されてならない。
畜生。奴は根本的に分かっていないのだ。19年間、童貞である苦しみを。
ボクが仮に奴程、女の子に愛される身形を持っていたのなら、不特定多数の女の子にフラフラしないで一人の女の子だけを愛し続けるのに。

「まぁ、どうでもいいけど。お前またボクのベッドで女の子とヤるのやめろよな」

正直、共通の生活スペースに女性を連れ込む
のもやめてほしいのだが、それはボクの青い海原の様に広い心に免じて目を瞑っておこう。ただ、ボクのベッドを女の子の為に使うのは本当にやめて欲しい。
夜眠るときに、シーツから友人の彼女の香水の匂いがしてくるとか、枕元になんか長い髪の毛を発見するとかなんとも空しいじゃないか。
頼むから連れ込むなら自分の部屋で、抱くなら自分のベッドにしてくれ。こっちがいたたまれない。

「童貞の悔しがる顔が見たいので、それは丁重にお断りします」
「クッソ‥そう言うと思った!!」
「絆ですね。だいたいアルバさん、その話するの何回目ですか?そろそろ諦めてもいい頃ですよ」
「 通算今日で45回目だよ!しかもそれはボクの台詞だろうが!」

それにしたって、今日シオンは一限があると言っていた。それをサボってまで女の子とお楽しみをするとか羨まし‥ではなくて、進路に大事な時期なのにそれへ影響が出たらどうするのだろう。単位はもう既に取ってあるにしても、それが就職関連の大講義だったりしたら替えは効かないのだから大変である。

「あー、その点心配してくれなくて結構ですよアバラさん。脳味噌すっからかんな何処ぞの馬鹿とは違い俺は優秀ですから」
「‥そうでしたか」
なら、何も言うまい。
ボクは若干怒りに口角が引き攣るのを感じながら、身体を起こして伸びをした。
そうすると、鈍った腕やら肩の骨が軋みをあげる。
「じゃあ、ボク今日はクレアさん家に泊めてもらおうかな」
「は、クレア?何故です?」

シオンの方を向けば、奴は心底不機嫌そうに顔を歪めている。
いやただ事実を視認しただけで、何故このタイミングで人一人殺せる様な殺意が籠った表情を向けられているのかボクはさっぱり分からないのだけれど。

「だって、お前今日女の子と居るんだろ?ボクの部屋使えないじゃないか」
「三人で寝ればいいじゃないですか」
「馬鹿じゃないの!?友人と友人の彼女と友人の友人が川の字で!?シュールにも程があるわ!」
「‥‥‥‥冗談ですよ。じゃぁ、俺もあとでクレアに挨拶(物理)しに行きますので、よろしく言っておいてくださいね」

そう何故か拗ね気味に捲し立てたシオンは、何のガードもされていない無防備なボクのアバラに蹴りをかました。
当然、アバラが無防備ならば全身も無防備な筈であっけなくボクの身体は飛ばされていく。
ゴツンッ。
頭に響き渡る重たい痛み。折角先程、伸びをしたのに身体がチリチリ痛い。
頭を打ったのは今朝二回目なわけで。
全く奴は酷いことをする。
ボクは布団を被って背を向けているシオンを恨めしげに見詰めた。

そうでもしていないと駄目だった。
これよりも酷い知らない筈の痛みを何処かで知っている気がして平静じゃいられない。

記憶にないことが感覚へ勝手に記憶されている。
知らない筈のものを知っている不安、恐怖。
きっとボクはまだそれに気付かない方がやっていける。その方が幸せにやっていける。
気が付かない方が――‥。
――何に‥?

起きたときとはまた違う厭な汗が背中に走っていくのを感じた。


To be continue.

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