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□bifrostT
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久しぶりに風を切って空を泳ぐ感覚が、心地良い。
ほんのさっきまでどうしようもなく昂ぶっていた全神経を優しく宥めてくれているようだ。
色々な余計な考え事が身体を撫ぜる風とともに洗い流されていく。
空を飛ぶに相応しく、気持ちまで軽くなっていた。
ただただ真っ直ぐに、飛んだ。
途中で地上を走る鎧の巨人を見つけてその上空を通り過ぎた。

徹底的に飛行技術を隠匿してきたこの国は、空からの敵には杜撰だ。
銃弾程度なら巨鳥の再生能力の前では糠に釘だし、壁上固定砲もここまでは届かない。
そもそも大砲は精度が低すぎて空中を移動する的に当てることは到底できないだろう。
ざっと考えうる限りだと、今の私は無敵だ。
何にも気を揉む必要はない。
今まで悩んできたことも、全て杞憂だったのだ。

私は晴れやかな気持ちで巨大樹の森へと降り立った。
そびえ立つ樹木の中でも特に頑丈そうな枝を選んで留まり、巨鳥化を解く。
私が抜け出たあとの残骸は蒸気を上げ、ブスブスと干からびて汚らしい様になっていった。
立体機動装置をつけていない私は万が一にでも枝が折れてしまったら危険なため、枝の負担を軽くしようと抜け殻をぐいぐい押して地上へと落とした。
ふう、と一息吐いて額の汗を拭うと、下方で何とも表現しがたい落下音がした。
どうやら偶然にも下に小型の巨人がいたらしく、さきほど落とした残骸の下敷きにしてしまったらしい。
両手で地面を引っ掻いてなんとか這い出そうとする様子が滑稽で、見ているこちらまで不愉快になる。
言い知れぬ不快感に、気分を吐き出すみたいに強く溜息を吐き出した。



ドスンドスンと微かに地響きの音がする。
鎧の巨人が近い。
幹に寄り掛かって目を瞑って休んでいたナマエは、身体を起こして音が聞こえてくる方を覗いた。
巨大樹の麓まで近付いた彼らは、警戒するように歩を緩め次第に歩くのをやめて立ち止まる。
しばらく様子を見るように立ち尽くす彼らにもどかしくなって、おーい、と声を掛けた。
ついでに手を振って、敵意がないこともやんわりアピールしてみる。
何も疾しいことはないのだから、変に緊張することはない。
そう思い、開き直って彼らを呼んだ。
そうして相手の出方を窺ってドキドキしながら待っていると、ベルトルトが立体機動装置で近付いてきた。
カシュッというアンカーの発射音と幹にそれが食い込む音、ワイヤーが巻き取られてキュルキュルと金属の擦れる音をさせて、あっという間に上ってくる。
私が立っている枝のすぐ近くでアンカーが刺さる音がして、無駄のない動きでベルトルトが降り立った。
4,5mほど距離を取られているのは警戒されているからだろう。
ベルトルトの表情筋はガチガチに固まっていて、緊張していることは明らかだ。
どうしようか、と思い悩んでとりあえず、やあ、と声を掛けようとしたとき、私より先にベルトルトが発した問いに、私の声帯は震えることなく。

「ナマエ、君は…いったい、何なんだ」

発声しようとして中断されたまま開いた口元をそのままに、二人の間を一陣の風が通り抜ける。
ベルトルトの頬を冷や汗が伝った。

「…よく、分からない」

私はただ率直に答えた(本当によく分からないというのが正直なところな)のだけれど、その先の言葉を待つようにベルトルトはこちらの様子を窺ったままだ。

「いつの間にか飛べるようになってて、あ、いや、でも、お父さんが注射したときに記憶障害になったから多分、そのとき…」

しどろもどろになりながら言葉を紡ぐも、一向に話が進んでいかない気がして、そうじゃないだろ、という誰かの声が聞こえた気がした。
自信をなくしてどんどん声量が尻すぼみになっていくのと同様に下がっていた視線をチラリ、と上げてベルトルトを見た。
私の様子に敵意はないと感じたのか幾分緊張の緩んだベルトルトを目に留めて、少し気が楽になった気がする。
それに後押しされるように私は彼の説得を試みるべく言葉を選ぶ。

「ただ、私はもう、調査兵団には戻れないと思う。王政の望む善良な市民ではないだろうから」

「…それは、王政には協力できない理由がある、ってこと?」

「だって、きっと私、捕まったらモルモットにされるじゃない、そんなの嫌、」

そこまで言って、ベルトルトの表情にハッとする。
グッと苦虫を噛み潰したような顔で何かに耐える様子に、何か後ろめたさを感じた。
私は今、何か言ってはいけないことを言ってしまったのではないだろうか。
ただ漠然と私が加害者で、ベルトルトが被害者で。
そういった空気を感じて何とも心苦しい。
もし私がさっき述べた言葉の中に失言があったのだったら。
それはきっと私が知らない、彼らの過去に纏わることなのだろう。
私には想像もつかない、彼らの過去に。

「とにかく、ライナーを呼んでくるよ」

そう言い残してベルトルトは枝から飛び降りて、鎧の巨人の方へと下りていった。
最終決定はライナーに委ねるんだろうけれど、それでも、とりあえずは敵と判断されずに済んで、ホッとする。

私は、遠くなっていく立体機動装置の金属音と、風に吹かれてざわざわと揺れる木の葉の音を、聞いていた。




 
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