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□bifrostT
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夕飯を食べ終えてアルミンと話しながら、それぞれの宿舎へと向かう。
軽い討論形式のような会話がなかなかに楽しくて捗る。
ふいに見上げた月が綺麗で、思わず話の腰を折ってしまった。

「今日は月が綺麗だね」

「そうだね。湖にでも行ったらきっと綺麗なんだろうな」

「湖?」

「うん、入ってすぐにエレンが姿勢制御できなくて、ライナーとベルトルトに教えてもらいに行ったときにね、気晴らしに行ったんだよ。この近くの、ちょっと登ったところにあるんだ。その日も月が出てて、湖面に映って綺麗だったよ」

ベルトルト。
その名を聞いてはたり、と止まる。
歩くのを止めるとアルミンに怪しまれてしまうから、止まってしまったのは顔だけで、なんとか足を動かした。

「僕とエレンはついて行っただけだからあまり道は覚えてないんだけど。ベルトルトが先導してくれたから」

強ばった顔に気付かれないように、なんとか平静を装って会話を続ける。

「そうなんだ、いいなあ。私も行ってみたい」

「ベルトルトに伝えておこうか?」

今度こそ本当に心臓が止まってしまったと思った。
誤魔化しきれないほど顔の筋肉は萎縮して、緊張から唾を飲み込んだ。

「え、い、いいの?」

なんとか肺に残った空気を送り出して絞り出した声はほんの少し震えているようにも思えた。

「うん、ナマエさえ嫌じゃなければ」

「、もちろん」



いつかは、彼と話をしなければと思っていた。
ベルトルト、アニ、ライナー。
彼らについていかなければ私に未来はない。人類の敵の、私には。
けれど、具体的にどうやって彼らの仲間になればいいのか。
口頭で伝えるには、証拠がないと信じられないような内容だし。
もし彼らに裏切られてしまったら私は憲兵行きだ。実験動物さながらの扱いを受けて解剖されてしまうんだろう。
全身を真っ暗闇の恐怖が取り囲む。
ぞくり、と寒気が背筋を這った。
言えない。
彼らだって、きっと、言えない。
静かに目蓋を閉じて、きゅ、と唇を噛み締めた。



お風呂から上がって、湯冷めしないように着込んでから女子宿舎から出ようとすると、ユミルに呼び止められた。

「おいおいナマエ、どこ行くんだ?夜這いか?」

「は、えっ、いや、これから湖でも見に行こうかなって」

ニヤニヤと楽しそうな顔をしていたユミルは、湖と聞いて、あー、あそこか、と少し考えるような素振りを見せたあと、再び意地の悪そうな顔で続ける。

「あの湖、たしか夜のデートスポットで有名だったよな?誰とセックスするんだ?」

「え!?いや、ちが、そんな、」

ユミルのとんでもない発言に驚いて恥ずかしくて、かっと顔に熱が集まる。
上手い否定の言葉が出てこなくて、潔白を証明できなくて、ひたすらふるふると顔を横に振った。
どうしよう、そんな、そんなわけないのに。
耳も、首も熱くなって、どうにもこうにも恥ずかしくて頭がいっぱいになる。
しばらくそうしているとユミルは楽しそうに笑い、クリスタが、もう、ナマエが可哀想でしょ!?と割って入ってきた。
気にしないでね、とクリスタに促されて、ほんの少しクリスタに劣等感を感じながらその場を後にした。



ジャリ、と地面を踏みしめる音がして振り向くと、長身の人影がこちらに近付いてきていた。
ベルトルトだ。
彼が近付くのを待ってから声を掛ける。

「こんばんは、えっと、アルミンは?」

「あぁ…えっと、アルミンは、エレンがジャンと揉めてたから、それで、先に行ってくれって」

え…

思わず言葉に詰まる。
アルミンがいないって、ことは。
ベルトルトと二人…ってことじゃないか。

「そっか、うーん、じゃあ、どうしよう、すぐ来れるかな?」

「いや、どうだろう。多分、すぐには無理なんじゃないかな」

「そっか。うーん、じゃあ、アルミンには申し訳ないけど、行こうか?えっと、道案内、お願いしてもいいかな?」



ベルトルトに比べて体力的に劣る私はやっとたどり着いたことに安堵して、ほう、と溜息を吐いた。
もちろん、目の前に広がる、月の光を映してきらきらと優しく輝く湖面に見惚れて、というのも理由のひとつだ。
空を見上げて、月の大きさと明るさを確認して、また湖面に目を落とす。
魚たちも寝静まる時間。
ただただ全てを飲み込むような漆黒の闇の中、静かにそこに横たわる湖が、神秘的な光を放つ。
おとぎ話にでも出てきそうな光景に、これからおとぎ話でも始まるのではないかと、幻想に飲み込まれる。
あなたの落とした斧は金の斧ですか?それとも銀の斧ですか?なんて。
白鳥になった私を、王子様が呪いを解くために花嫁選びの舞踏式に招待しに来てくれたり、なんて。

視界の端でベルトルトが身動ぎしたのが分かって、そちらを見遣る。
何か言いたそうにこちらを窺うベルトルトに、ただただ黙って湖を見ていた私は声を掛ける。

「綺麗」

彼を見てそう呟くと、何故だか自然と気持ちがするすると言葉になっていく。

「連れてきてくれてありがとう。とっても綺麗」

嬉しくて、口角が上がって目尻が下がる。
そう、それは良かったよ、とベルトルトが安堵したように呟く。
するりと湖面へと視線が吸い込まれる。
いつまででも眺めていたくなるような、美しさだった。
ベルトルトが居心地悪そうに咳払いして、はっと思い出した。ユミルの言葉を。
急に恥ずかしくなって、一気に顔に熱が集まってくるのが分かった。
ダメだ、意識してしまったら。
一度意識してしまったら急にベルトルトが男の子なんだって。
隣にいる存在が熱を帯びて、急に存在感を放つ。
湯冷めして冷たくなった手の平を頬に当てて熱を冷ます。

男女の恋愛なんて、人間がすることだ。
私は、人間じゃない。
彼なんて、超大型巨人じゃないか。
私は、化物じゃないか。
こんな気持ち、おかしい。
怪物が、こんな人間みたいなこと、するはずない。
私は、確認したじゃないか、あの巨大樹の森で。
何度も、何度も。
私は、人類の敵だ、って。

「ベルトルトは、アニのこと、好き?」

「えっ!?」

気付いたら、誤魔化すように口先からつらつらと言葉が流れ出していた。
驚いて顔を赤くするベルトルトに、現実感が消えていく。
心が、解離する。
熱くも寒くもない、痛くも気持ちよくもない。ザッと掬われてしまったような、感覚が全部どこかに行ってしまったような。
ただただこの場を凌ぐために口にした言葉が、現実を見たくなくて口にした言葉が、ベルトルトを通して現実を突き付けてくる。

「応援してるよ」

知っている。
知っていた。
信じたくなかった。
ここは進撃の巨人の世界だ。

「いや、えっと、僕は…その…あっと、ありがとう」

この世界は、残酷なんだ。


 
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