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※グロ注意。




ただただ、ぼんやりと夕焼けを見上げていた。



今日の晩御飯はカレーにしよう。
夕日の射し込むリビングで本を読みながら、そう思い立った。
ちょうど読んでいた本の中に、登場人物がカレーを食べる描写があったのだ。
カレー、と思い描くだけで、香辛料の美味しそうな香りと味が口いっぱいに広がるようだ。
うん、やっぱりいいな、カレー。そうしよう。
夕日によって橙色に染め上げられた本を閉じて、ソファーの肘掛に置いて伸びをする。
思い切り背筋を伸ばすと、んー、という声とともにパキパキと背骨が音を立てた。
一体何時間、本を読んでいたんだろう。随分長い時間のような気もする。
未だに微睡んでいる頭でぼんやりと、まあ、どうでもいいか、と思った。
今の私は幸せなんだから。



「ただいま」

玄関のドアを開けて、私の顔を見て嬉しそうに少しはにかみながら、マルコが言った。
それが嬉しくて、私もにっこりと口元を緩めて、おかえり、と返す。

「いい匂いだね」

「今日はカレーだよ」

そんな他愛ない会話も嬉しくて、思わず笑みが溢れる。
マルコは自室へ向かいながらネクタイを緩め、腕時計を外していく。
その姿を眺めているとなんだか気持ちが弛緩して、心の中でまた、おかえり、といった。

スーツから部屋着に着替えたマルコがやってくるのを横目に見ながら、カレーを皿によそっていく。
ふんわりと立ち上る湯気とともに美味しそうな香りが鼻腔をくすぐった。
すでにサラダが置かれている隣にカレーを置いて、どうぞ、と言うと、ありがとう、と返ってくる。
自分の分もマルコの向かいに置いて、席に着いた。
じっくり煮込んだ玉ねぎの甘みがいい感じだ。

「うん、おいしい」

マルコがカレーを咀嚼してそう言ったのが嬉しくて、

「ほんと?よかった」

と返事をした後、ひとくち食べて、あ、ほんとだ、なんて冗談をいう。
マルコが笑って、私も笑った。

こうやってマルコと楽しく晩御飯を食べるのは当たり前で、とても大切で、掛け替えのないものだ。
こうしている間の私は、とても幸福感に満ちているのだ。



「お湯張れたよー」

そういって脱衣所から顔を出してマルコに声を掛けると、うん、ありがとう、と少し間延びした声が廊下の向こう、リビングから聞こえた。
リビングまで歩いて、マルコがソファで本を読んでいるのが目に入る。
話しながら近付いて、ソファの横にしゃがみ込んで肘掛に顎を乗せる。

「あのね、今日は入浴剤入れたの!マルコいつもお仕事で大変でしょ?だから、お疲れ様って思って」

聞いて聞いて、と言わんばかりにそう早口で話すと、マルコは嬉しそうにはにかんだ。
そっか、ありがとう、と頭を撫でてくれる。

「ナマエもいつも、家事ご苦労様」

ううん、大したことじゃないよ、だってマルコとこうやって一緒にいられるんだもの、全然疲れなんて感じないよ。
そう言いたかったけれど、マルコのてのひらがあまりに気持ち良くて、何も言わずただ微睡んだ。

それじゃあ、入ってくるよ、と浴室へ向かうマルコが名残惜しくて、咄嗟に、

「あ、お風呂、いっしょに入らない?」

と声を掛けていた。
ただただ、一緒にいたいという気持ちから出た言葉だ。
が、マルコが驚いた表情で振り返ったことで、はっ、と自分の大胆さに気付く。
そうしてマルコが赤面したのに続いて、私の顔も熱くなるのを感じた。
マルコの視線がうろうろと彷徨う。

「あ、ごめん!違うの、いっしょにいたいな、って思って!その、気にしないで!」

わたわたと両手を顔の前で振りかざして、早口で捲し立てた。
うん、えっと、じゃあ、先に入ってくるよ、と恥ずかしそうに浴室へ向かったマルコを今度こそ見送って、ドアが閉まった音を聞いて大きく息を吐き出した。
はー、緊張した。
まだ胸がドキドキいっている。
心臓に悪い、と思ったけれど、この動悸は何故か嫌いじゃない、とも思った。



大きなベッドに二人で並んで寝ていると、とても幸せな気持ちになる。
そっとマルコの手に触れると、優しく握り返してくれた。
その手は大きくて、暖かくて、とても安心する。
反対の手が私の背中に回って優しく抱き締めてくれるのも、気持ちがいい。
至福とはこのことだ。
彼の体温と、安心感をただただ享受して、ただひたすらに幸せを噛み締めた。
この掛け替えのない物をなくさないように、見失わないように。
微睡みの中で、強く彼に抱きついた。





眩い光が射し込んで、意識を照らしていく。

ああ、また朝が来てしまった。
絶望の朝が。

身体を左右に揺らして歩く。
腹の底からは仄暗い感情が際限なく湧いてきて、底なし沼だ。
五感はノイズが掛かったように不鮮明で、ただただ体に満ちているのは絶望だけだ。
もういやだ。助けてくれ。殺してやる。お前も道ずれだ。
頭の中には支離滅裂な言葉が渦巻いて、要領を得ない。
近くの木に寄り掛かって、爪を立てた。
頭を掻き毟った。
大声で叫んだ。
助けは来なかった。



ふいに何か、とてもおいしいものが、あることに気が付いた。
漠然と、あっちだ、と思った。
欲しい。とても欲しい。
ただ欲求のままにそれのある方へと歩いた。
いつの間にか、がむしゃらに走っていた。
それがどんどん近くなって、芳醇な香りを想像して、ああ、と恍惚にも似た感覚が押し寄せてきた。
もう、もうすぐ。
もう食べられる。
そう思ったとき、それは素早く私の前を横切った。
何かに乗って、それは遠ざかっていく。
私の手から擦り抜けていく。
悔しい。
手に入れたい。
欲しい。
食べたい。

強い欲求に駆られるままに、それを追いかけた。
ああ、もうすぐ。
そう思って手を伸ばした。
目の前に他の奴がいた。
そいつが私の目の前で、おいしいものを口に入れた。
よこせ。
そいつの口に手を突っ込んだ。
口を引き裂いて、そいつの肉とともに抉り出す。
ぐちゃぐちゃで見た目に分からなくなったそれを、口に頬張った。
おいしい
おいしいおいしいおいしい
咀嚼して、飲み下した。
まだ食べたい。
手元からいい匂いがした。
自分の指を手を噛み千切って、飲み込んだ。
あまり味はしなかった。

強い捕食欲求がほんの僅かに満たされたのと引き換えに、強い嘔吐感が押し寄せる。
気持ち悪い。
汚い。
なんでこんなもの食べてしまったんだろう。
まだ食べたい。

支離滅裂な思考回路に、ただただ強い欲求だけが渦巻いていた。




 
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