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□bifrostU
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ホームルームが終わって数十分後の教室内。
ナマエはひとり窓際の席に座ってぼんやりと外を眺めていた。
窓ガラスを雨の雫が伝って落ちる。
それを何とはなしに目で追った。
テスト期間だからと広げられた勉強道具には未だ手を付けられた様子がない。
ナマエは水滴が下まで伝って落ちたのを見届けて、またゆったりした動作で視線を外へと移した。
何やら楽しげに話しながら生徒たちが下校している。
様々なデザインの傘がぞろぞろと昇降口から吐き出される。
傘を忘れた男子生徒がその合間を走り抜けていた。

(…あ、)

わらわらとたくさんいる傘たちの中に一組のカップルを見つけた。
ひとつの傘にふたりで入って、楽しげに冗談を言い合っているようだ。
大きい声で騒いでいるのだろう、周りの生徒の視線を集めていた。
どす黒い雨雲に覆われた空のように、晴れない気分で、羨ましいな、と思った。
私とはまるで違う世界を見ているようだった。
このガラス一枚隔てた向こうではあんなに楽しげなのがなんだか変なくらい、落ち込んだ気分だった。
溜息を吐く気力すらなかった。

(カップル、かあ)

かろうじて手にしていたシャーペンすらもコトリと机に落として、天井を振り仰いだ。
勉強する気はとうに失せていた。

(恋愛、かあ…)

椅子の背もたれにもたれ掛かって脱力する。
やる気などもはや微塵も感じられない姿だ。
もっさりとした身体と頭でぼんやりとベルトルトのことを考えた。
猫毛の柔らかいふわふわの黒髪に、褐色の男前な顔立ちでありながら優しげな目元と微笑みを思い出していた。
その優しい姿に心癒された一瞬の後には、アニのことを思い出して、ズキンと胸が痛んだ。

ベルトルトには、アニと一緒に幸せになって欲しかった。
そうなるべきだった。
そうなるはずだった。
私が壊したんだ。

ほんの少し前までの無気力感から打って変わり、罪悪感による重苦しい胸の痛みに襲われる。

罪を償わないと。
せめてもの罪滅ぼしを。
彼を幸せにしないと。
私は幸せにはなっちゃいけない。
こんな酷いことをしてしまったんだから。
誰も罰を与えてくれないのなら、自分で与えないと。
私は罪人なのだから。

(ごめんなさい、)

がばっと背もたれから身体を離し、机へ突っ伏して腕で顔を覆った。

(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、)

そう心の中で何度も謝ると、感情が溢れるみたいに湧き上がって涙が零れた。
いっぱいに溜まった涙が頬を伝って顎へと流れていく。

私に泣く権利なんかきっとないはずなのに。
アニの方が、ベルトルトの方が、きっと辛いはずなのに。

そうやってしばらく泣いて、鬱屈とした気分を涙と一緒に流してしまおうと思った。
そうして明日にはまた笑顔でベルトルトに挨拶するんだ。
そうしよう。
私ならきっとできる。
いつもやっているんだし、大丈夫。

そう思って、涙を拭ったとき、ふいに廊下から足音が聞こえた。
誰かが教室に近付いてくる。
もうドアのすぐ近くまで来ている。
そう気付いて、焦って涙を拭いて髪を手櫛で整えた。
ガラガラと教室のドアが引き開けられる。
ナマエは顔を隠すように手櫛の途中で手を止め、横目でドアを開けた人物を見た。
ドアの引手に手を掛けたまま、ベルトルトはナマエに向かって控えめにはにかんだ。

「えっと、ごめん。昨日は、明日は晴れるよ、とか言っちゃって」

「え、あ、ううん、いいのいいの。私もうっかり天気予報確認し損ねちゃったし」

「いや、ごめん、僕の方こそ無責任なこと言っちゃって。それで、えっと、傘、」

そう言ってベルトルトはおずおずと手に持っていた傘を持ち上げて示した。

「よかったら、その、送るよ」

ぽかん、とした。
だって、あまりに場違いな展開な気がしたから。
有り得ないことが起こった気がした。

「え、でも、いいの?」

「うん、もちろん、ナマエが嫌じゃなければ」

「え、そんな、すっごい嬉しいよ!今も雨が止むまで待とうかなって、教科書広げてたんだけど、全然進まなくて」

取り繕うみたいに、いつもの癖で、ヘラヘラと笑って見せた。
苦し紛れの話題作りに冗談に、ベルトルトが一緒に笑ってくれたのが救われた。



ベルトルトに連れ立って、昇降口に佇む。
ほとんどの生徒は下校してしまったため、随分と疎らにはなっていたが、それでもいくらか人目があった。
学校の昇降口なのだから当然といえば当然なのだが。
それでもそのほんの少しの人目が恥ずかしくて、さっきの私みたいに教室から見ている人もいるかもと思って校舎を見上げてみたが、いまいち中の様子は覗えなかった。
ばさり、と音を立てて男性用の大きな傘を広げたベルトルトの側に慌てて近寄った。
お互いに探り探りで躊躇いながら、ゆっくりと外へと歩み出る。
徐々に歩調が掴めてきて、いつも一緒に帰るときと同じ速度に落ち着いた。
いつもはライナーと三人で帰っているが、たまに二人で帰ることだって無かったわけではなかった。
それでも、晴れの日とは全く違っていた。
一緒に帰っている、という感じが強い。
連帯感というか、二人でひとつの傘に入るという共同作業をしている感じだ。
自分で考えた、共同作業、という言葉に、結婚式のケーキ入刀を思い描いてひとりで照れた。
赤面した顔の熱がベルトルトにバレてしまいそうな気がして、手のひらで頬を包んで熱を冷ました。

「どうかした?」

「ううん、なんでもない」

頬に手を当てたまま、えへへ、とはにかんで誤魔化すと、ベルトルトも、了解したという風に微笑み返してくれる。
それが幸せで、胸の奥まで一気に、じわっと暖かくなる。
ふふふ、と笑いあいながら幸せを噛みしめてベルトルトを見つめていると、彼の肩が濡れていることに気付いた。
私を気遣って傘をこちらに傾けてくれているみたいだ。
ベルトルトの肩が濡れないようにすぐさま傘の柄をぐいっと押す。

「肩濡れてる」

「え、いや、でも、これだとナマエの肩が濡れちゃうから」

そう言ってベルトルトは傘を再び私の方へと傾けてくる。
それに反抗するみたいに、ダメだよ、と言って押し返したらお互いに押し問答することになってしまった。
ベルトルトが濡れちゃう、ナマエが濡れちゃう、そう言い合ってお互いに傘を押し付け合っている。
これじゃあ埒が明かない。
お互いがお互いを思い合ってやっている行動なのに、喧嘩になってしまったら元も子もない。
ベルトルトにされるがままこちらに傘を傾けられたまましばらく黙って考えた後、提案してみた。


「じゃあ、もっとくっついて歩こう。こうしたら二人とも濡れないよ」

今までお互いに遠慮して少し空いていた隙間を詰めてぴったりくっついてみせると、ベルトルトは動揺して、え、と声を出した。
取り乱したような驚いた表情をして、顔を赤らめている。
他意もなく、とてもいい折衷案だと思って提案したのだけれど、ベルトルトの反応に、ハッとさせられた。
恥ずかしいのが伝染して、私まで顔が赤くなるのが分かる。

(ああ、私はなんて大胆なことを…)

お互いの肩や腕や指先が、触れるほど近い。
服の上からでもお互いの熱が伝わってしまいそうだ。
身長差があるため横を向いた拍子にうっかりキスしてしまうなんてことにはならなさそうだが、それでも、顔を上げればすぐ傍にベルトルトの顔がある。
恥ずかしいことは確かだった。

歩いた拍子にベルトルトの手が私の腕を掠めた。
それだけのことなのに、

「ご、ごめん!」

と、勢いよく飛び退いて大袈裟なほど謝ってくる。
そうして傘を持つベルトルトが私から飛び退いたら当然私は雨に打たれるわけで、あ、と思い傘を見上げたらそれに気付いたベルトルトが慌てて近寄って傘を差しだした。
余程意識しているらしく、距離は最初よりもさらに空いていて傘を思い切りこちらに差し出してきている。
ベルトルトは肩どころか顔にも雨が掛かっている有様だった。
それが面白くて、ふ、と吹き出してしまう。
一旦吹き出してしまうともう止められない。
ふふふふふ、あははは、とお腹を抱えて笑った。
あ、えっと、と困り顔で恥ずかしそうにするベルトルトが可愛らしくて、さらに笑いに拍車が掛かった。
ひとしきり笑ったあと、笑い過ぎだと表情で訴えてくるベルトルトに、

「ごめん、ごめん」

と軽い調子で目尻の涙を拭いながら謝った。
そうして、ベルトルトが持っている傘の柄に手を添えて、ベルトルトの方へ傾けながら近付く。

「濡れちゃうよ?」

ナマエはそう言ってにっこりと微笑んだのだった。





 
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