頂き物

□後ろ向き特等席
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 不意に、背中に重みがかかる。
 座り込んだ半身を支える為についていた手に、他人の手が重なる。

「セイン。重い、離れろ」

 背中合わせでのしかかられて、顔は見えないが正体はわかる。
 例えここが二人きりの天幕の中でなくとも、断りもなく私にこんな真似をするのは一人しかいない。
 手入れをしようと剣に伸ばしかけていた腕を半ばで留めて、作業妨害を働く背中を咎めようと振り返るが、当然ながら相手の表情を捉えることはできなかった。

「なあ、死なないでくれよ」

 ぽつりと、珍しく抑揚のない声が耳を打った。

「……保証はできないな」

 同じように、感情を抑えこんだ声を返す。
 戦場に立つ騎士が、そう軽々しく己の無事を決め付けられるわけがないだろう。

「そんなこというなよ、相棒」

 絡んだ指に、力が篭る。

「おまえが死んだら、俺はどうなる?」

「……?」

「この旅の間じゅう、毎朝俺のことを起こしてるのはおまえだぞ? おまえがいなきゃ、俺はリンディス様に寝坊を毎朝怒られる!」

 がくり、と肩の力が抜けた。てっきり真面目な雰囲気になるかと構えていたのだ。

「馬鹿者……いい大人が、毎朝一人で起きられないなど情けないとは思わないのか!」

「そんなこと言うなって。俺を助けると思ってさあ」

「しつこいぞ…」

「死ぬなよ」

 咄嗟に言葉が接げなくなった。顔が見えなくても声でわかる。
 彼は今、真剣なのだと。

「……今更」

「今更じゃない。いつも思ってる……おまえが死んだら、どうしよう」

 そういえば、今日のおまえは、作り笑いが多かったな。

 セインは、本当に時折、私の前で酷く弱々しい言葉を吐き出す。
 それはいつも明るく強い姿を見せる彼とは正反対で、しかし恐らくこれも、彼のもうひとつの本音なのだ。
 こちらのセインは、あまり人好きのする言葉を口にしない。
 『大丈夫』だとか『任せておけ』だとか、そんな重い言葉を背負うには、今の彼は脆過ぎるのだろう。
 誰しも限界は存在する。いつだって強く在ろうとする彼の内にも、小さな弱音は降り積もり、いつしかそれは崩れ落ちる。
 それを受け止めることが出来るのは、本当に一握り。
 彼にとってのそれは私で、私にとってのそれは彼なのだ。
 自惚れなどではなく、疑いようのない事実だった。
 寄り掛かる相手への遠慮も、弱みを晒す不安も必要ない。
 お互いが、躊躇いなく背中を預ける唯一の存在だから。
 私は、彼の背中を受け止める。


「……私が死んだら」

「…………」

「毎朝化けて出て、たたき起こしてやるから安心しろ」

 がくり。
 今度はどうやら、向こうの肩の力が抜けてしまったようだった。

「……死ぬなって言ってるのに、その慰め方はおかしいだろ」

「リンディス様に叱られたくないんだろう? これなら私が死んでも問題ない」

 セインとこんなくだらない話をするのは、久々な気がした。思わず笑みが零れる。

「そういう話じゃないっての。それに、それじゃあ、……おまえに悪いし。寄り道させるのも、さ」

 もごもごと何を言うのかと思えば、死後の私の心配か?
 魂がどうのとか、天国に行くとか地獄に堕ちるとか、本気で信じているわけでもないくせに。

「寄り道などするものか」

 頼りなげな指を、こちらからも握り返してやる。

「おまえが来るまで、待っていてやるだけだ。どうせ一緒にいるなら、起こすも起こさないも、大して変わらない」

「……一緒、か」

「当然だろう。私はおまえの相棒だ。生きているか死んでいるかなど、些細な問題だ」

 だから、死んだらどうしようなどと、くだらないことを考えるな。
 生きているものを見ろ。おまえを支えている私を見ろ。
 座り込んだまま手を振りほどき、ぐるりと身体を反転させる。

「おわっ…?」

 突然寄り掛かっていたものが消えて、セインはそのまま敷布の上に転がった。

「何を落ち込んでいるのかは知らないが」

 腕を引いて、半身を起こしてやる。空いた片手で、抵抗なく起き上がったセインの背中を支える。

「私は、おまえの傍にいる」

 だから、そんな情けない顔をするな。
 亡くした未来を憂えるよりも、共に在る今を笑え。
 おまえはいつだって、そうして生きてきただろう。

「……ん」

 こくりと小さく頷いて、セインがもう一度、今度は背中でなく肩に、寄り掛かってきた。あやすように、背中を軽く叩いてみる。
 正体のない不安。正解のない問答。何を言っても言わなくても、正直なところあまり違いはないのだろう。
 彼の気分がほんの少し上向くまで、隣に居るだけ。
 もっと器用な誰かなら、上手く励ますことが出来るのだろうか。
 いつか嘘になるかもしれなくても、『大丈夫』だと、『私もおまえも死なない』と、言ってやるのが正しいのだろうか。
 嘘になるかもしれないから、私は嘘が苦手だから、どうしても言えなかった。
 彼が望む答を、差し出せている自信がない。
 それでも彼は私を頼る。
 気遣いの下手な私に出来る、これが精一杯の受け止め方だった。

 そのまま沈黙が暫く続き、無気力そうに身体を預けていたセインはしかし、前触れなく私を押しのけ立ち上がった。

「この辺、確か近くに川があったよな」

「ああ」

「ちょっと、顔洗ってくる。先に寝てていいから」

 こちらと目を合わすこともなく、素っ気ない態度。手近にあった布を適当に引っつかんで、セインは天幕を出ていった。
 静かな空間に、一人残される。

 自分達の今のような状態が、何年振りかも忘れてしまったが、『こういう』セインがこのあとどんな行動をするかは、だいたい覚えている。
 天幕の隅に畳んであった薄手の掛け布を、勢いよく広げてその下に潜り込んだ。
 セインが戻ってきた時に、私が寝ているほうが気まずくないだろうと思ったからだ。
 暫くは戻ってこないだろう。戻ってきても、別人のように黙り込んで一晩過ごし、朝起きると、何も無かったかのようにへらへらとしている。
 まるで掛け違えた釦を直すように、あの一時は夢だったのだろうかと錯覚しそうになる程、いつも通りに。
 照れているのか、自分を恥じているのか、それとも他の感情か、私には推測することしか出来ない。
 忘れたいというのなら、私はそれでも構わないが。

 不安を見せてくれたこと、交わした言葉。背中の重みと、そこから生まれた私の不安。
 それさえも、彼の中でなかったことになるのかと思うと、なんだか―――

 不毛な思考を振り払うように、寝返りをうつ。ランプに燈された明かりを遮るように目を閉じて、胸元の布を引き上げた。


―――


「セイン、朝だぞ」

 くすんだ緑の頭が覗く布を掴み、軽く揺する。
 くぐもったうめき声が聞こえてくるが、それだけだ。起き上がる気がないことは、日頃の経験から学習済みである。

「……さっさと起きないか!」

 ぐい、と掛け布を引っぺがすと、セインは長い脚を庇うようにして丸くなった。起きたくない、という彼なりの意思表示らしい。

「う……、いきなり布団剥ぎ取るの、やめろっていつも言ってるだろお……」

「嫌ならそうされる前に自分で起きろと、いつも言っているだろう」

「だいたい、俺は早起きするタイプじゃないんだよ……おまえより半刻は遅くても」

「私が目覚めてから身支度も全て終えて、昨晩しそこなった剣の手入れも済ませて、これでちょうど半刻程経っていると思うが」

「おはようございますケント隊長」

 私の普段の起床時間から逆算し、何かを察したのだろう。勢いよく起き上がり着替え始めた。
 以前寝過ごして、朝食の取り分をウィルやその他育ち盛りの少年達に集られてしまったことでも思い出したのかもしれない。
 いつも通りの朝だ。

「私は先に出ているからな」

 朝食の準備の手伝いでもしてこようと、踵を返す。

「あ。そうだ、ケント」

「なんだ」

「ありがとな」

 歩みが止まる。

「起こしてやったことか?」

「いや、……んー、まあ、それもある」

「珍しいな。いつも嫌々起きているくせに……」

「あと、昨日も、ありがとう」

 驚いて、弾かれたように振り返る。
 こちらに背を向けていて、表情は見えなかったが、屈んでいた背筋は、少し伸びていた。

「……こちらこそ、」

 なかったことにしないでくれて、ありがとう。


「え、何が、こちらこそ?」

「別に。気にするな」

 ぽかんとした顔で振り向いたセインを置いて、私は外に出た。

 礼を言われるようなことはできていない。あれでよかったのかどうかも、自信がない。
 いつかまた彼に寄り掛かられたとき、私は昨夜と同じように戸惑うだろう。
 勘弁してくれ、と面倒に思うかもしれない。
 励ますのは苦手だ。上手くいかなくて、今度は彼を失望させるかもしれない。
 それでもこの役目を、誰か他人に譲るのも癪だった。
 だから私はこれからも、彼の隣に立ち続ける。
 期待に応えられる自信はないが、それでも。

「全く……そう簡単に、死んでたまるか」

 不謹慎極まりない心配をするなと、叱り付けてやりたくなる。
 彼からの礼は、緊張でもしていたのか、声音が少し硬かった。
 慣れないことはするものじゃないな。彼も、私も。

 暫くしたら、支度を終えたセインがやってくるだろう。
 いつものように、視界に入る女性全てを褒めちぎりながら。
 そしたら私は言ってやるのだ。
 『さっさと手伝え、このお調子者』と、いつものように。



end

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