青嵐候のおたわむれ

□青嵐候のおたわむれ 2ー紅葉ー
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紫黒の庵を久方ぶりに訪ねた我は、すぐに異様な気配を感じた。
まず……他者が居るようだ。
もうひとりが蠢く気配がする。
そして微かな囁き、押さえ込んだ喘ぎ……

何が起こっている?


「あ、あ……五葉……五葉…… 」
紫黒が切なげに呼ぶ名に聞き憶えは無い。
我は瓶子を縁台に置くと、隠形して庵に近づいた。

…………
月明かりのなか、白い裸身を輝かせた紫黒が、日に焼けた肌に無数の傷を刻んだヒトの男に跨がり、その身体を上下に跳ねさせている。
紫黒の嬌声とともに射千玉の髪が躍り、桃色に染まった双丘から出這入りするヒトの男の剛直が見え隠れする。

ふたりはまぐわっていた。
我が居ない間に紫黒はヒトの男を伴侶とし、番ったのだ。

……衝撃。

……絶望。

……怒り。

様々な感情に翻弄された我は姿を現す事無く、その場を立ち去った。
……淡い初恋が崩れ去った日……
後から思えばこの日が、真の意味での大人の仲間入りをした日なのかもしれない。


我はその後、元服の儀式を済ませると……出奔した。


我が居る事で紫黒に迷惑をかけないよう、慎重に人界を避けながら異界に自分が司る領地を創って閉じこもっていたのが、一体どの位の間だったのか。
ある日突然、紫黒からの呼び掛けを感じた我は久方ぶりに人界へと降りていった。

紫黒の庵は変わらずあの場所にあったのだが……
周りは椛の森と変わり、現在の季節は秋。
紅葉で真っ赤に染まったその森は、何故か禍々しさすら感じさせる。

「早蕨……早蕨……こちらだ…… 」

この世でたったひとり、我の名を呼ぶもの。
懐かしいその声に誘われて真紅の森に降り立った。

庵からさほど離れていないところにある、ひときわ大きな椛の木の下で、恋しいひとは変わらぬ美貌のまま我を待っていた。

「早蕨……久しいな。
あれから何年たったか…… 」
「紫黒……どうなされた? 」
言ってしまってから気がついた。
大木の幹に背を凭せ掛けて座る紫黒。
季節に合わぬ桜襲の直衣を身につけ、白を通り越して青い顔色に唇だけが妙に生々しく紅くて……
その腕には……

黄櫨染の袍に身を包んだ老爺が抱かれていた。

「その老爺は……まさかあの時の……
貴方の伴侶なのか……? 」


「あれから……ヒトの世の年月で、六十有余年……五葉は先ほど身罷った……
私を置いて…… 」

玻璃の粒のような涙が零れ落ちる。
「置いて逝かれる事ははじめてでは無い……
だが、もうこれ以上……堪えられないのだよ……
早蕨……私は五葉と共に逝こうと思う。
私の最後の我儘をきいておくれでないかい? 」
「し、紫黒!
一体何を仰るのだ⁈ 」
「この季節……もしも人界に降りてくる事があれば……
思い出して欲しい……
私と私の愛した最愛の伴侶、五葉のこ……と……を…… 」
言の葉が切れるのと同時に紫黒と五葉の身体は、真っ赤な椛の葉となって一気に散っていった。

「紫黒ぅーーっ!!」

真っ赤な血のような紅葉のなか、ひとり遺された我は……はじめて泣いた。
どうしてヒトごときの為に己が命を捨てねばならなかったのか?
このときの我にはどう考えてもわからなかった。



「早蕨……? 」

昔を思い出して暫し漫然としていたのだろう。
訝しげな様子の玉に袂を引かれる。
「ああ、すまぬ……
気をつけねば玉を落としてしまうな。」
軽口で玉の心配を取り除き、華奢な身体を抱く手に力を籠める。

「早蕨、この紅葉…… 見事だね。
凄いよ。こんな凄い景色、はじめて見たよ。」
興奮する玉を見つめて……我はあの時の紫黒の気持ちを思い遣った。
……あの時はわからなかった紫黒の想い……

今ならわかる。
愛しいものを手に入れた今は……
玉を失うなど考えられない事だ。
もしも……もしもその時がやって来た時は、我も共に滅ばん!


紫黒の命を吸った椛は、毎年あの日になると血の色に染まる。

紅の葉は永遠にふたりの愛を語り継いでいく……


end
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