リヴァエレ本

□叶わぬ 恋をしている 1<前> リヴァエレ
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夜毎部屋に向かう前に、自分に言い聞かせていることがある。
欲しがるな、期待するな、煩わせるな、兵長は優しいだけだ。
この関係に牽制以外の意味はない。
その証拠にキスも、最後までされたこともない。
お互いに気持ちよくするだけ。
たぶん今夜も。

扉の前でひとつ深呼吸をし、ともすれば苦痛の滲みそうな表情を整えてから、ノックをする。
「エレンです」




叶わぬ恋をしている




夜部屋を訪れる際は、飲み物を用意するように言われている。
紅茶を好む兵長には珍しく、今夜の所望品は酒だった。
お前も付き合えと言われることが多いので、温めてアルコールを飛ばした上に湯で割ったものを別に用意した。
ようするに形だけだ、この関係と同じく。

トレーを手に部屋に入ると、正面の書き物机で書類仕事をしていた兵長と目があった。
冷ややかな、全てを見透かすような双眸に射竦められ、居心地の悪さを覚えてその身をこわばらせた。

「何してる、早く入れ」
どこか剣呑な響きをまとった声に突き動かされるように進み出ると、それを見とめて兵長の視線が逸れる。
「…まだ少しかかる、適当にしていろ」

俺はそれに短く返事をし、少し迷って応接用のテーブルにトレーを置いた。
紅茶ならまだしも、仕事中にアルコールはまずいだろう。
そう考えての行動であったが、念のため間違ってはいないか、そっと反応を窺う。
乾いた羊皮紙の上を、ペンが滑る音を耳が拾う。
兵長が意に介した様子もないのを確認して、俺は本棚から読みかけの本を取り出した。
そうして待機中の定位置となった、応接用の長椅子へと腰を下ろす。
本というよりも紙束を綴じただけの簡素な紙面をめくると、挿絵も飾り気もない文字の羅列が顔を出した。
ハンジさんからの貰い物とのそれは巨人のことについて書かれたものでなかなかに興味深いが、ここに来ると兵長とのあれこれが頭を占め、遅々として進まない。

今夜はどんな風に。
俺で、気持ちよくなってくれるのだろう。
今日は昼間のうちに互いに抜いてるから、夜はないかな。
その日触れられた箇所の肌が粟立ち、鼓膜を震わす抑えた息遣いが思い起こされる。
わずかな刺激で育つ大人のそれも、腰を掴む指の強さも、とろりと脚を伝う熱い飛沫も。

思考が彷徨う。
ひどく喉が渇いて自分用のグラスに手を伸ばそうとしたところで、長椅子がもう一人分の重みに沈んだ。

「待たせたな」
すぐそばから、落ち着いたテノールが届く。
「っ…だい、じょうぶです」
大丈夫、声が震えたのは、驚いたためだ。
期待が声に滲んだなんてことはない、はずだ。

慌てて本をテーブルに預け、グラスに酒を注ぎ、お疲れ様ですと手渡した。
兵長は受け取ったグラスをゆっくりと煽る。
俺も飲むふりをしながら、横目でちらりと盗み見た。

あまり目にする機会はないが、兵長の酒の飲み方は好きだ。
紅茶のカップと同じ持ち方だけど、お酒の入ったグラスの方がよく似合うと思う。
正面から見たときに指の間からちらりと目が覗くのがいい。

そのままこちらを見られると体が固まってしまう、目が逸らせなくなる、全部ダダ漏れになってしまいそうになる、のだけど。


視線に気づいた兵長がなんだ、とこちらを見やった。
「いえ!何でも、ありません」
慌てて視線を外し、美味くもない薄い酒を煽る。
傍らから、兵長の視線を感じる。
そちら側はもう見れない。
口の中のものを飲み下し、はふと息をつくと、心臓の音が耳の内側で響いた。
緊張に見開いていた目が伏せられ、とろりと薄い膜が張る。
薄いはずの酒で、もうどこか酔ってしまったようだった。

兵長に見られるのは緊張もするし恥ずかしいけれど、その目に映されるのは好きだ。
低い、静かな声も。
名前を呼んでもらえると、声をかけてもらえると、体がふわふわする。
俺みたいな化け物を受け止めてくれる度量の深さや、不器用なやさしさに触れるたび、この人が好きだと心が叫ぶ。

胸の内では呟けても、言葉にできるはずはないが。
兵長がこうして夜を過ごすのも、俺を気持ちよくしてくれるのも、すべては仕事の内なのだ。
気持ちを向けられたところで、困らせるだけにしかならない。

それでも、期待するななんて嘘だ。
潔癖のきらいがある兵長の欲望が透けて見えるたびに、体中が痺れるほど嬉しいくせに。

ほどけそうになる口元を引き結び、空のグラスを弄んでいると、それを抜き取られて視線が上向いた。
軽い音を立ててテーブルに戻されるのを目で追う。
細く長い指がグラスから離れ、俺の方に寄せられるのを瞬きもできずに見守った。
頬にあたる指先の、その温度に、自分の体がすでに熱を帯びていることを知る。
エレン、と名を呼ばれてぎゅうと瞼を下ろしたその時。

「…抱かせろ」

何の脈絡もなく届いた言葉に、初めは自分の耳を疑った。
抱かせろ…今、抱かせろって言われたのか?

抱きしめるくらいでは今や許可なんてとらない。
意図を測りかねて兵長をふり返るが、冗談を言っているようには見えない。
でも、なんでまた今?
最期まではしないと、これは俺を襲う輩から守るための、かりそめの関係ではなかったか。
これまで俺がどんなに望んだって、叶えてくれたことはなかったのに。

「──へ?え?あ、あの」
混乱した頭ではろくな言葉も出ず、ただ瞬きを繰り返し、少しずつ近づいてくる体躯から後退する。
長椅子についた右手を縫い止められ、ほとんど乗り上げる形で退路を断たれた。
「言葉通りだ、いいな」
「あ、の、俺汚いです。その、何の準備もしてませんし」
「かまわん」
「…っ、かまいましょうよ!潔癖症じゃないですか。しかもなんで…っ」
こんな突然。
「エレン。煩わせるな」


刺すような視線に、ぞくりとしたものを感じて身震いする。
煩わせるつもりなんてない。
むしろ、俺は、いつだって。

兵長が意向を変えたその理由を、わずかな期待をもって探す。
仰ぎ見るその眼の中に自分と同じものを見いだせず、俺は静かに、瞼を伏せた。
短く熱い吐息を零し、崩れそうになる表情を引き戻す。
震える指先で袖口をわずかに引き、返事とした。

そのまま覆いかぶさろうとする兵長をどうにか引きはがして、明かりを消すか寝室への移動かを願い出る。
それに異を唱えられることはなく、俺は兵長に手を引かれ、寝室の扉をくぐった。

寝室は月明かりだけだから、どんなに顔が赤くてもいい。
暗闇に目が慣れるまでなら、どんな表情をしていてもかまわない。
早く、憧れの上官に対する顔に戻さないと。
気持ちいいことが好きなだけの、手のかかる新兵に戻らないといけない。
だからどうか、今だけは。
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