リヴァエレ本

□すべてを熱のせいにして リヴァエレ♀
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ひやりとした冷たい感覚を額に覚え、重い瞼を上げる。
熱で朦朧とする視界に、ここにいるはずのない、かつて見慣れた輪郭が滲んだ。
ややもして穏やかな色をした金目と優しげな像を結ぶ。
「何か、欲しいものはありますか?」
そう言って汗で貼りつくこめかみの髪を、労わるように払われた。

おまえだ。
ずいぶん昔にお前を失ってから、答えはずっとひとつだ。
手を取りそう告げてやりたかったが、この間のように夢が覚めてしまうのがいやで目を閉じるだけにとどめた。
緩んだ涙腺から、涙が一筋流れたかもしれない。
髪を撫でるその手のひらが心地よかった。




次に目が覚めた時には日が沈みかけていて、体もずいぶんと楽になっていた。
あいつが側にいてかいがいしく世話を焼いてもらう、そんな夢を見ていた気がする。
暮れにあいつに関するものを全部捨ててからほとんど寝る間もなく働き続け、流感くらって寝込んだのだが、夢に見るのはあいつのことばかりで自分に嫌気がさした。
額に手をあて、そこにある違和感に気づく。
それは貼った覚えのない冷却シートだった。
持ち上げた腕を覆う服も、寝込む前に着ていたものとは違うものだ。
サイドテーブルに視線を送ると、見たこともない紙でできた簡易の加湿器とともに、ポカリスエットのペットボトルと伏せられたコップが盆にのせられていた。
誰かと暮らしているわけではなく、ここに誰かを呼んだ覚えもない。

まさかそんな、あれは本当に──?
こわばる体にむち打ち身を起こしたところで、玄関先から鍵を回す音がして固まった。
ドアが開けられ、誰かが入ってくる気配がする。
ガサガサとビニールの擦れる音を立てながらこちらに近づいてくる。
俺はベッドの上に座ったまま微動だにできず、その音のする方を凝視していた。



「…てめえどうやって入った」
「友人が寝込んでて数日連絡取れないからって、管理会社にね」
結構どうとでもなるもんだよね、と鍵をちらつかせ現れたそいつは、今生のハンジだった。
「てめえと友人と呼べる付き合いをした覚えはねえ」
ずいぶんな言いようだと返されるが、こいつとの再会はここ最近で嘘ではない。
きっかけはエレンだ。
俺は以前からネットで情報を募り、世界中の調査会社にエレンの捜索を依頼していた。
あやふやな特徴や情報ではそうたいした結果が得られるはずもなく、いたずらに時間ばかりを費やしていたところを、居所を突き止め俺に連絡をよこしたのがこいつだった。
ハンジはいわゆるハッカーで、巨人の次はコンピュータに入れ上げたらしく、口を開けば0と1のバイナリティがとかなんとか語り始める。
本人曰くクラッカーとは違うとのことだが、昔から目的のためなら倫理観度外視だった奴だ。
どんな手を使ってエレンを見つけ出したのか想像に難くない。
そのままエレンの身辺調査も任せていたが、暮れに取りやめて『何かあった時のみの報告』としてからこっち、会うどころかメールでのやりとりもなかった。

詰めていた息を吐きベッドに身を預けると、楽しそうな顔で枕元にやってくる。
「誰かさんかと期待させちゃった?」
にやりと笑うこいつの言う通りで、さっきまでの自分を呪いたくなる。
「うるせえ。うつるぞ、とっとと消えろ」
布団にくるまり視線を逸らせば、サイドテーブルに置かれたものたちが目に入った。
こいつがこうした気づかいをするとはどうにも思えない。
「……おい、本当に他に誰か来なかったか?」
違和感をぬぐえずそう問えば、ハンジは目を見開いた後、思いのほか優しげな笑みを浮かべた。
「あんたたち二人は、本当によく似てるってことだよ」


聞けば写真を撮っていた時にとっ捕まってあれやこれや吐かされたらしい。
その際、エレンの方でも俺に何かあった時と、大事なやつができた時には連絡するよう依頼されたんだそうだ。
そういうことはもっと早く言えよ。
せっかく来てくれたのに覚えてないなんて残念、と冷やかしてきたので殴っておいた。
ハンジが帰った後、ハンジからの見舞い品──主にゼリー飲料だったが──をしまいにキッチンに向かうと、冷蔵庫の中に粥とすりおろしたリンゴが入っていた。
他にもゼリーやらプリンやら…俺はガキかと言いたくなるほどのラインナップだ。

粥を温める間、俺はどこまでが現実かもあやふやな記憶をたどった。
頭を抱えたくなるようなことや、厚意を無下にするようなことはしていない、はずだ。
エレンも純粋に看病しにきただけにすぎない。
俺に大事なやつができた時の報告とは、『そういう』ことだ。
出来上がりを告げる無機質な音に引き戻される。
外は暗く、あいつは元いた場所に帰る。
暖かな心遣いを一人で食すこの現実が今の俺のすべてだった。



再びハンジから連絡が来たのはその数日後のことだ。
今度はエレンが寝込んだらしいという情報を受けて、さんざ迷ったあと腰を上げた。
熱も咳もおさまってはいるが、まだ人にうつす恐れもあるため、マスクを着け極力人込みを避けて車で向かう。
妻が寝込んでいること、朝慌てて鍵を忘れたことを大家に伝えれば何の疑いもなくスペアを借りれた。
そんなに似てやがるかと少し腹立たしい気持ちにもなるが、今は些末なことだ。

借りを返すだけだと自身に言い聞かせ、見舞いの品片手にドアを開けた。
以前無体を強いたソファを通り過ぎ、奥の寝室へと向かう。
自制をきかせろと念を押して部屋のノブを回し、声をかける。
「エレン、入るぞ」
返答はないが、ゆっくり枕元に回れば悪寒に震えるエレンがいた。
「…へいちょう…」
間違えられなかったことに少し安堵した。
「勝手に入ってすまないな」
「お互い様ですから…」
小さく笑って答えるエレンの髪を梳いてやる。
「それもハンジから聞いた。うつして悪かったな」
ベッドサイドに置いてある椅子に腰かけそう告げると、エレンは力なく微笑んだ。
「…いえ…園でも流行ってて、利倍もかかってますから…」
「ガキも?家にいるのか?」
「私が…こんな有様なので、今は夫の実家で…看てもらって、ます」
「そうか…一人分しかねえが、適当に見繕ってきた。食欲はあるか?」
ふるふると振られる頭に、じゃあひとまず寝てろと言いかけてやめる。
体の震えのひどい時に眠れるはずのないことは身に染みてよくわかっていた。
「…暖めてやろうか」
頬に手を伸ばしそう問えば、こちらの真意を探るような目でじっと見つめてくる。
指の腹で頬を一撫でする間2人視線を外さずにいたが、エレンからの応えはない。
冗談だ、とその場を離れようとしたところで袖口を掴まれ、振り返る。
恥じらうように視線がゆっくりとそらされていく様は、どんな返答よりも雄弁だった。


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