エレリ本

□氷のような姫君の心も 第三幕 エレリ♀
1ページ/3ページ


誰も寝てはならぬ
貴方もですよ姫様
寒い部屋で星を見上げ
愛と希望に打ち震えながら



氷のような姫君の心も




そのお触れが出たのは、エレンが退室して間もなくのことだった。
「今宵は誰も寝るんじゃねえ。あいつの名前を調べろ、今すぐにだ。夜明けまでにできなきゃ街の人間を一人残らず殺す」
そのとんでもない内容に、新王の誕生に歓喜していた人々は慌てふためいた。
どこの誰ともわからない異邦人であるその男の名を知る者など、誰一人としていないからだ。


「いた〜〜っ!!!ちょっと、あなたのせいで大変なことになっちゃったんですよ!名前を教えるか、遠くに行ってくださいよっ」
丘の上で星を見上げるエレンの姿を見つけ、サシャは駆け寄りその腕をつかんだ。
「この国が滅びるのも困るけどな、命あっての物種なんだよ!お触れを聞いたか?おまえの名前がわからなきゃ、俺たち全員殺されちまう!」
その後をコニーが引き継ぎ、立ち上げるようにその背を押した。
「ねえキミ、何が欲しいんだい?愛?女だったらほら、最高のを用意できるよ。それとも金や宝石かな。なんだって手に入る。キミがこの件から手を引いてくれさえすればね」
アルミンがぱちんと指をならすと、後ろからこの国の民と思わしき着飾った女たちや豪華な刀剣、じゃらじゃらとした宝石を捧げ持つ従士が現れた。
それぞれがどうか、どうぞとすり寄ってくる。

「はあ?いらねえよそんなの。俺が欲しいのはリヴァイさんだけだ」
取られた腕を外し、眉をひそめて断るエレンに、大臣たちの顔に見事な縦線が刻まれる。
「なんって非情な男なんだキミは!」
「こいつバカなのか?!バカなんだな??」
「…っ!血も涙もないのかああぁ!」
三者三様、結構な物言いにエレンは呆れるしかない。
「リヴァイさんの心を溶かせばいい話だろ?そうすりゃ大団円じゃないか」

「バカか、そんなことできるわけないだろ?!」
「キミはこれっぽっちもわかっちゃいないな、あの姫様は冷酷無比で有名なんだよ?」
「私たちに待ってるのは拷問の末の死ですよ…お先真っ暗ですよ…っ」
大臣たちは座っているエレンの真上からかわるがわるまくしたてる。
「ああもう、うっせえな〜。せっかく人が勝利に浸ってっるっつーのに…だいたいやってみなきゃわかんねーだろ?あの謎かけにだって、誰も答えられると思ってなかっただろーが」
あきらめる気などさらさらないといった風情に、大臣たちをはじめ集まった人々の顔は険しくなる。
この死に急ぎ野郎が謎を解き明かしたことにはさすがに驚いたが、次もうまくいくとは思えない。
自分たちの命を賭けるには少し望みが薄すぎた。


「…こうなったら奥の手だよねえ」
アルミンがゲスい顔つきになり手を叩くと、引っ立てられるようにジャンとミカサが連れてこられた。
「この人たちに見覚えがあるだろう?一緒にいたところを見たからね。どうやらこの国を離れようとしてたみたいだけど…この2人なら名前を知ってるよね?」
エレンの顔を覗き込み、その奥にある動揺や焦燥をかぎ分けようとする。

「…っ!…こいつらは、俺の名を知らねえよ」
「それはどうかなあ、ずいぶん親しそうだったし、ヒントくらいは出てくるんじゃない?こっちも差し迫ってるし、これから拷問して聞き出そうと思うんだけど……問題ないよね?」
言い募るエレンの中の焦りを見てとり、うれしそうにその目を細めた。
「非情なのはてめえの方だろっ、このゲス野郎が!」
殴りかかろうとするエレンを従者たちが捕えた。
動きを封じられ、悔しげに身をよじる。
「いやそれそいつにとったらほめ言葉だから!」
「さっすがゲスミンですね!頼もしいっ」
勝ち誇ったようなゲスミン…もといアルミンのもとに、冷ややかな声が下った。

「おい、こいつの名はわかったのか」
「「「姫様!」」」
ふわりとした白いエンパイアドレスの上に濃紺のローブをまとい、数人の従者を引き連れたリヴァイが現れた。
全ての者がひれ伏し、アルミンが父王たちを指し示した。
「この者の名はまだ明かされていませんが、知人と思わしき人物をとらえました。拷問の準備もすでに整っております」
「そうか、でかした。…おいジジイ、早くこいつの名をしゃべれ」
リヴァイの声を受けて、父王を戒めていた従者たちが父王の髪をぐいと引き、その顔を上げさせた。
「うわ、何しやがるてめえっ!いってーなこのやろう!」
いまいち状況の掴めていない様子ではあったが、気力の衰えた年老いた父王では拷問に耐えられるとは思えない。
それこそこの父王では、ペロッとしゃべってしまいかねなかった。

……ジャンンッッッ…!!!!
傍らのミカサから、どす黒い殺気が放たれる。
瞳孔の開ききったミカサの殺気を敏感に感じ取った父王は、額に汗をにじませつつ、訳も分からずにその口を堅く閉ざした。
それを確認し、ミカサはリヴァイへと向き直る。
「私が!私こそが彼の名を知っています!名を知るのは私だけです!」

その場に集う人々は皆助かったと安堵し、リヴァイは冷やかにその口角を上げた。
「ミカサ!この裏切り者がっ」
詰るエレンに向き直り、ミカサは決意を露わにする。
「いいえ、王子。私は言いません。何があっても。その名を知る唯一の人間として、あなたの名を胸に抱く事こそが誇りです。
 あなたは殺させない、私が守る。私は言わない。夜が明けるまで決して!」
ミカサの持つ強い瞳からその意図を汲み、エレンは自分を恥じた。
すまない…ミカサ……
ミカサは父王やエレン自身に拷問が及ぶのを、身を挺して庇おうとしているのだ。
思わず口走ったミカサの名が、課せられる拷問をひどくさせるであろうことは明白だった。
あの戦火の中、盲目の父王を救い出し、これまで仕えてくれた優しい娘。
どうにか耐えてくれ、どうかこの夜が明けるまで。

拷問器具の準備された場所へと連れていかれるミカサの後姿を見ながら、その身の苦痛が少しでも少なくなるようにと祈った。
「なあオイ、俺まだいまいち飲み込めてねえんだけど…」
ミカサどこ行ったの?
従者に拘束されながら、父王は傍らのエレンに問うた。
「…ジャン、てめえちょっと黙ってろ」
空気の読めない父王に、さすがのエレンも業を煮やしたようだった。



ところは変わって拷問の地。
エレンたちのいるその場所からそう離れておらず、悲鳴を上げれば筒抜けになったであろう。
しかしミカサはどんな苦痛にも小さなうめき声を上げるだけで、そこで何が起きているかをエレンたちに悟らせることすらしなかった。
あつらえられた椅子に腰を据えじっと様子を見ていたリヴァイであったが、その必死なまでの
献身さに、どこか釈然としないものを感じていた。

「一度止めろ。少し話がしたい」
そう声をかければ、ミカサを痛めつけていた従者たちが退く。
拘束している者のみそのまま残り、ミカサは床に押しとどめられたままリヴァイと対峙した。
椅子に腰かけたままミカサを冷ややかに見下ろし、投げかける。
「おい女、あのガキはお前の忠誠を疑った。俺にはそうまでして耐えるべきとは思えねえ。何がてめえにそうまでさせる」

「…ては……すべては、…愛ゆえに」
かすれた声で、だがしっかりと刻むように、ミカサは語り始めた。

「亡国の王子とはいえ、身分違いの私では、この想いは決して叶うことはないでしょう。想いを伝えることすら許されない。それでもこの心に灯る火だけは誰にも奪えないし傷をつけることもできない」
首元を彩る赤いマフラーに目を落とし、言葉を続ける。
このマフラーは想いの象徴であり、唯一の光であり、ミカサのすべてだった。

「この灯があるからこそ、この残酷な世界で今日まで私は生きてこれた。それほどまにで美しいものを、私はあの方からいただいた。
 私があの方にお返しできるものは、この先きっと多くはないでしょう。あの方に捧げる最上の贈り物として、私の愛の証として、あなた様を……っ」
ミカサはぎゅうと硬く目をつむり、言葉を区切る。

……叶うならば側にいたい。
想いが実らなくったってかまわない。
ただ側にいるだけで十分なのに。
それすらも叶わない。
この世は残酷で、そして美しかった。

「……あなた様を…あの方に、……差し上げたいのです…っ。」
小さなつぶやきのようなそれは、悲痛な叫びとして、リヴァイの胸に響いた。



「…そうか……。ではせいぜい耐えるがいい。どこまでやれるか、ここで見ていてやる」
椅子に深く腰を据え、足を組む。
すいと顎を逸らせば、それを合図にミカサへの拷問が再開された。
それは大の男でも悲鳴を上げる代物であったが、ミカサはやはり一言も漏らすどころか、悲鳴ひとつ上げなかった。

しかし度重なる壮絶な痛みに、ミカサの額には脂汗が滲み、目はうつろになっていく。
リヴァイは経験上この後どうなるかをよく理解していた。
ここまでくれば口を割るまであと一歩だ。
そうして今回もまた、愛などとるに足らない戯言だと、所詮この女も妄執に憑かれて自己を見失ったバカの一人だったと、寝酒とともに腹に流し込むのだろう。
何に惑わされることもない、くだらない退屈な日常に戻るのだ。


「……のよう、な……あなた、も…」
「…?」
それまで叫び声ひとつ上げもしなかったミカサが口を開き、か細い声で何かを発した。
とうとうこの時が、とリヴァイは腰を上げ、女のもとへ近づく。
あなた、と称する相手が誰を指しているのか、はじめはすぐには理解できなかった。
一奴隷が他国の姫を敬称なしに呼ぶことなど、あろうはずがないからだ。
それはミカサの、同じ一人の女としての呼びかけであり、独白であった。

 氷のようなあなたも 熱い炎に負かされて
 あの方を愛するようになるでしょう
 夜が明ける前に 私は疲れ果て目を閉じましょう
 あの方は必ず勝つのだから
 もうあの方を これ以上見なくてすむように

言い切ったミカサは、側にいた従者の短剣を奪い取る。
思わず後ずさり身構えたが、ミカサはそれを己の胸に深々と突き立てた。
「……な…っ」
ひとしずく、頬に涙を伝わらせ、ゆっくりと瞼を下ろしていく。
最後まであのガキの名を明かすことなく、不利益になる情報は一つも残さず、その女はこと切れた。
胸の内に、それまで感じたことのない苦いものが満ちる。
じり、と一歩後ずさり、振り切るように踵を返すとエレンのいる場所へと向かった。


次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ