エレリ本

□氷のような姫君の心も 第三幕 エレリ♀
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「あの女は死んだ」
その場へ着くなりそう告げれば、エレンと、そして何より父王が悲痛な声を上げる。
「そんな…ミカサ…っ!」
父王は地に伏し、ミカサのもとへ行かせてくれ、頼むと請うた。

「…連れて行ってやれ」
リヴァイがそう告げれば、拘束していた従者たちに連れられて父王はミカサのもとへ歩いていった。
その場に残されたエレンとリヴァイのもとに、重い沈黙が下りる。

「…ミ…カサ?」
横たえられたまだ温かな肢体に触れたのだろう、小さな父王の声がエレンに届いた。
「ああ…そんな…起きてくれよミカサ…!
 夜明けだ、朝が来たんだ、もう守る必要はないんだ…目を開けてくれ。お前の涼やかな声をきかせてくれ。温かなその手で、そのやさしい声で俺を癒してくれ。
 俺を置いていかないでくれ…ミカサ!
……おまえを失ったら、俺はいったいどうやって生きていけばいいんだ。ミカサ……っ」

父王の悲痛な叫びがあたりを覆う。
さきほどまでの苦痛に耐える姿や発言から、その場にいたものは皆、その娘がどれほど高潔な魂を持っていたのかを理解していた。
この年老いた男にとって、どれほど心の支えになっていたのか推察するのもたやすいほどに。
娘が名を明かさずに死んだことにより己の身が危うくなっているのを理解しながら、誰も彼女に石を投げるようなことはしなかった。
遺体はそっと持ち上げられ、架台に横たえられた。

「…俺もおまえと一緒に行こう、ずっと一緒だ、…な?」
徐々に冷たくなっていく頬に、父王の涙がぽたりと落ちる。
そうして、父王は運ばれていく架台とともに立ち去っていった。



父王の声が遠ざかり、すっかり聞こえなくなるのを待って、沈黙を破るようにエレンが口を開いた。
「……リヴァイさん、…あの者の最後は、どんなでしたか?」
父王の声がここまで届くことを思えば、ミカサが苦痛に耐え悲鳴すらも飲み込んだことが容易に想像できた。
「奪った短剣で、自害した」
目を合わせることなく紡がれるその声は、冷やかを装いつつもどこか揺れて聞こえた。
「私の名は、語られなかったのですね」
「…ああ。残念なことにな」
「あなたは、目の前で人が死ぬのを初めて見たのですか?」
「あるに決まってるだろう」
ぽつりぽつりと紡がれるその言葉には、憤りもいらだちも、冷酷さも感じられない。

「ではどうして、そんなに動揺を?貴方は本当に氷の心ですか?偽っているだけでは?あなた自身も知らないあなたがいるのではないです?」
「黙れっ!」
畳みかけるように問えば怒号で返される。
しかし力ないその声も揺れ動くその眼も、虚勢でしかなかった。

「…その涙のわけは?かの者の言う『愛』に、何か感じ入るところがあったのではないですか?」
「泣いてなんか…」
頬に触れて濡れていないことを確かめると、嘘ついてんじゃねえよとエレンを詰った。
「いいえ、ここに」
目の端から頬をゆっくりと撫で、その瞼にキスを落とす。
そうしてそのまま、2人は間近で見つめあった。

「貴方は気づいていないのですか?昨日からずっと、私を見つめるその瞳がひどく揺れているのを。かの者の『愛』を知って戸惑うその瞳の奥に、小さな炎が揺らめいているのを。私が謎を解き明かしてから、あなたの心を占めていたのはどんなことでしたか?」
瞳の奥の奥まで覗かれているような感覚に耐えられなくなり、頬に残る手を払うと視線を外した。
「くそ、夜が明けちまう…こんなガキにいいようにされるなんて耐えられねえ…っ」
わずかに震えるその手を掴みこちらに向き直させると、エレンは再び瞳を覗き込み語りかけた。

「では、私の名を明かしましょう。
 我が名はエレン。この国の言葉なら、愛を恵むと書くのでしょう。あなたを慈しみ、包み込み、温める愛を送るという意味です。
 かの者のような、誰かのためを思い身を捧げるのも愛なら、私が差し上げるような身を焦がすような熱情も愛です。 今貴方の頬を赤く染め、その瞳に熱を灯しているのも」

「おいてめえクサすぎるだろ…恥ずかしくねえのか…」
これは愛どうこうよりもただの羞恥だろうが。
真摯に愛を説くエレンに動揺を隠せず、はくはくと口元が緩んだ。
「黙って」
空いている方の手の人差し指でリヴァイの口を押えられると、指先から伝わる熱に侵され何も言えなくなる。
「これは決してあなたを弱くさせるものではない。誰かに心と体を委ねることは恥でもなんでもなく、あなたを貶めることでもなく。愛が深まれば自然なことなのです。
 まずはあなたのその心をください、そして私の心をもらってください。その眼と同じように揺らして、溶かして、熱いもので満たしてやります」
何かを彷彿とさせる言い回しに、リヴァイの頬がかあっと熱くなる。
頼むからもう黙れ。
そう言いたいのに、口元を押える指のせいで口を開くことすらできない。
目を逸らしてしまいたいのに、そうできるはずなのに、視線を外すこともできなかった。

「さあ、夜が明けましたよ。どうぞ私の名を高らかに叫んでください。…私の死を望むのならば!」
エレンはようやくその両の手をリヴァイから離し、全てゆだねるかのようにリヴァイの目前にその身を晒した。
その眼だけは、揚々と輝いたままで。



白々とその夜が明けるころ、リヴァイはエレンの腕をぐいと引き、国王のもとに向かった。
「名がわかったぞエルヴィン!国中の者どもよ聞け!!
 こいつの名は…こいつの名は、あ…、あ………っ」
顔が熱い。
心臓がバクバク鳴る。
掴んだ手がじりじりと痺れて熱を持ち始めた。

『こいつの名は、愛だ』
本当にこれは俺の出した答えか?
……っくそ、言えるわけねえだろうがこんなセリフ!


国王と国民の見守る中、リヴァイはぎゅうと目を閉じ、言葉なく立ちすくむ。
「どうしたんですかリヴァイさん、顔が真っ赤です。それに、早く言わないと日が昇ってしまいますよ?」
そんなことわかってる。
じとりと睨むために、見上げたつもりだった。
「その顔、とてもかわいいです。誰にも見せたくない。…隠しても?」
そっと頬を両手で包まれ、優しげな瞳に間近で見つめられる。
どんな風に、とか聞くことはしなかった。

「………頼む…」
小さく小さく呟けば、その男にはしっかり聞こえたようだ。
遠くで歓声がこだまする中、赤い顔を隠すように口づけが柔らかく落とされていった。

―完―



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