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□その男の記憶 【69話ネタバレ】
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69話ショック リヴァイ視点。
神回以外の何物でもない感動を言葉にしてみました。
★ありえないほどネタバレてます。ねつ造もあり。ご注意ください。
・・・・・・・・・





俺を産み落した女は、クソの掃き溜めみてえな地下でその身を売る娼婦だった。
俺を食わせるためだろう、はした金で昼夜を問わず足を開き、それが元で体を悪くした。
病気で働けなくなった娼婦なんざ、誰も見向きもしねえ。
当時の俺はただの力のねえガキで、薬を手に入れられるわけもなく、まともなメシを用意することもできず、母親が骨と皮だけになっていくのを見ていることしかできなかった。
そうして母親は二月とたたねえうちに、クソ狭え貸し部屋の一室、それも板に布を貼りつけただけの粗末なベッドの上でひっそりと死んだ。
弔うにも金が要り、墓に入れるにもまた金が要る。
生きていくために売れるもんは何でも売り、その度食いもんに替えちまったから、もう何一つ残っちゃいねえ。
俺自身、最後に口にしたのはいつだったか思い出せねえほどで、ガリガリに痩せこけて目なんかぎょろっとしてな。
糞尿と死臭の満ちた部屋の片隅で、横たわるかつて母親だったものを眺めながら、俺もいつか、いや今日明日にでも母親のように朽ちていくのだろうと、ただその時を待っていた。
そいつが俺の元にやってきたのは、ちょうどその頃になる。


母親の知り合いだと名乗った男は、ベッドに寝かせたきりだった遺体を弔ってくれた。
俺を守り育てた母親を焼く、立ちのぼる煙を見ながらそいつは言った。
「力のねえやつは、淘汰されるだけだ」
それは俺に向けての言葉ではなかったのかもしれねえ。
見上げた横顔はただひたすらに前を見据えていた。

「とうたって何だ」
「おいおい、てめえの母ちゃんはそんなことも教えてくれなかったのかよ」
嘲るような目線をよこされ、考えなしに聞いた己を恥じた。
生前の母親は地下街のガキには珍しく、俺に読み書きと算術を残していたのだ。
俺を誇りだと言い、動けなくなるその時まで必死に働きながらな。
何も知らねえこの男が口にしていいはずがねえ。
「…母さんをバカにするな」
ヤツは俺の反応にひとつ瞬きをした後、俺の頭をぐしゃりと撫でた。
腹の中は確かに怒りで満ちていたのに、その時のそいつの顔がどこか嬉しそうだったのと、でかい掌が存外心地よかったせいで、ひどく戸惑ったのを覚えている。


そうしてヤツは俺にメシを与え、地下街での身の振り方をやって見せた。
棒切れのような手足に肉が戻り、こけていた頬に赤みが戻った頃、もうすぐには死なねえと判断したんだろう、ヤツはふらりと出ていくようになった。

母親がふせっている間も、ごくまれに憐れんで食い物をよこす連中はいた。
だが、たいていそういう連中は片手に余る回数で見かけなくなる。
こいつもそのうち消えるだろうと思っていたのに、来る日も来る日も、ヤツは姿を見せた。


なぜいる。
おまえは俺の何なんだ。
俺に何を求めてやがる。

じっと見上げると、気色の悪い面で睨むんじゃねえと凄まれる。
当時の俺の顔もそりゃあひでえもんだったが、その男の目つきもこの辺じゃ見かけねえくらいひでえ。
たまに血の匂いをつけ、音もなく現れることもある。
かつては憲兵を大量に殺して回ったとも聞いた。
いい大人でないことは確かだった。

「おまえは俺をどうしたいんだ。太らせて、売り飛ばすつもりなのか」
「は、なんだクソチビ。てめえ、自分に売れるほどの価値があるなんて思ってんのか?」
さもおかしそうに体を揺らし、手にしたナイフを壁へと投げる。
「価値は自分で磨くもんだ」
軽く放っただけのそれは板張りの壁に深々と刺さった。

「おい、手ぇ見せてみろ。……ちいせえなあ」
広げてみせた掌を一瞥したのち、テーブルの上を一振りのナイフが滑る。
「ガキ用のナイフなんざねえからな、俺のお古だ、てめえにやる。大事に使えよ」
やると言われたそれは俺の頭ほどもある代物だった。
ずいぶんと使い込まれたんだろう、鈍く光る刃はところどころ歯こぼれが目立つ。
柄も刃も分厚く、両手で握ってもずしりと重い。
「そうじゃねえよ。いいか?ナイフはこう持て」
言われるまま逆手に持ち替えると、でけえナイフはしっくりと手になじんだ。

「いいかクソチビ。てめえはいつか、お前ん中に眠る能力を理解する時がくる。それまでにおっ死にたくなきゃ、せいぜい俺の言うことでも聞いてナイフくらい扱えるようになるんだな」
そうしてヤツは俺にナイフの扱い方を、地下で生き抜く術を教え、くだらねえ冗談交じりに、まだ見ぬ地上の話をした。
それは上で暮らす豚共に対する愚痴であったり、時に母親を偲ぶものではあったが、当時の俺にとってはそんな時間すら心待ちにしていたように思う。

「なあチビ、クシェルから星の話は聞いたか」
「少し」
「どんなだ」
「ろうそくの明かりに揺れるガラス玉みてえだと。夜でも真っ暗闇になることはなくて、道しるべにもなる」
「ほーお、じゃあこれは知らねえだろ。クソの形をした星もあるんだってな」
「…星はきれいなものなんじゃねえのか」
頭の中に描いたものに顔をしかめると、ヤツは盛大に吹き出した。
「…っクソが」
「おいおい、なんだてめえ俺の口癖が移ってきてんじゃねえか」

そんなバカみてえな会話をしながら、やつは決して、地上へ出してやるとは言わなかった。
俺も、連れて行ってくれとは一度も頼んでねえと記憶している。
ヤツの言う力を身につけ、己の価値を高めれば、自ずと声がかかるものと疑っていなかったからだ。

だが悠長に構えていたわけじゃねえ。
そいつのたまに見せるふとした表情が、どこか遠くを見ているように感じていた。
ふらっとやってきた時みてえに、いつかまたどっか行っちまうんじゃねえかと毎日のように思ってたな。


ヤツと過ごした日々の中で、結局教えてはくれなかったあの言葉を、俺はおぼろげにだがこう考えていた。
とうたとは、あの日の俺のように、母さんのように、誰にも顧みられず朽ちていくことなんだろうと。

俺に力があれば、とうたされない。
力があれば、この男は俺を置いていったりはしねえ。
そう信じて、バカなガキは一日も早く認められるようナイフを握った。



だからあの日。
下手打ってでけえ図体のやつにのしかかられ、頬を張られて昏倒しそうになったあの時。
冷やかし囃し立てる男どもの背後にその姿をみとめて、俺は初めて能力を意識した。

自分の体の動かし方がわかる。
ヤツの言っていた意味がわかる。
俺の上に馬乗りになっている豚野郎を引き倒し、何発か踵で踏みつけ手にしたナイフを突き立て、喉の奥から恫喝し。
豚野郎の命乞いと下卑た歓声が辺りに響き渡る中、俺はヤツを振り返った。
たぶんバカみてえに得意げになっていたことだろう。
ガキだったからな、目を輝かせていたかもしれねえ。

だがあんたは、何も言わずに俺に背を向けた。
去っていくその背中は俺の成長を誇らしげに思うそれではなく。
ガキの目にもわかるほど、拒絶と後悔とが滲んで見えた。



なあおい。
俺は何か間違えたのか。

俺はずっとあんたに、ちゃんとやれることを示したかった。
教えの通りにできる、あんたの隣に並び立てると。
あんたの誇りになりたかった。


ただ俺はてめえに
いつかそうしてくれたように
よくやったと頭を撫でてほしかったんだ。






その日以降、ふらふらと姿を見せていたそいつはぱったりと現れなくなった。
あの背中は見間違いなんじゃねえか。
もしかしたら俺みたいに下手打って、怪我して動けないんじゃねえか。
そんなことを考えながらナイフを握り、俺はバカみてえにやつを待ち続けた。
自分で食いぶちを稼ぎ、身ぎれいにし、部屋の掃除を欠かさず行い。
ふらりとやってきたその男が、ちゃんとやってんじゃねえかと大口開けて笑えるようにな。
一月、二月、三月待ち、半年待って、ようやく腰を浮かせた。
待っても意味がねえんだと、クソガキながらに理解したってわけだ。

行くあてはねえが、力はある。
生き抜く術も。
母親が、その男が残したものが、確かにあった。



地下から出た後もクソみてえな日々を過ごし、再び邂逅し命を狙われ、そして今───
死にかけのそいつを前に一人立ちつくしていた。

こいつには兵団として聞くべきことが山ほどある。
俺個人として、聞きたかったことも。
力のなかったクソガキが、確かめるのが怖くてずっと避けていたことだ。

人の死に目には何度も立ち会ってきている。
今を逃せば、もう。
二度とねえ。


「あんた…本当は母さんの何だ」
そいつの服を握りしめた、俺の拳が震えていた。
耳の奥で心臓がバクバクと鳴り、痛みに引き結ばれた唇が再び開くのを、食い入るように待った。


俺はずっとこいつのことを、心のどこかで、もしかしたらと。


ずっと
長いこと
ずっと、そう思っていたんだ。





結果として、血と共に吐き出された言葉は期待していたものではなかった。
まさかてめえ、親父だとでも思ってたのかよ。
そう言外に示された答えに、自分でも表情が削げ落ちるのがわかる。

もういい、聞くな。
やめておけ。
そう思いもするのに、俺の中に巣食っていたクソガキが口をつく。
「あの時…なんで、俺から去っていった?」
自分でもひどく滑稽に思えるほど、声がかすれた。
聞きたかったんだ。

なあ俺はあんたの誇りには、価値ある存在にはなれなかったか。
俺と過ごしたあの日々は、あんたの汚点になっているか。
俺はどうすればよかったんだ?


そいつには珍しく、皮肉も嘲るでもなく静かに返し、その答えはやはり俺が考えていたものではなかった。
不器用な男の、俺を守る術だったのだ。

あんたが俺のためを思って身を引いたとしても、俺を通して自分の生きざまを悔いたんだとしても。
あんたは確かに、俺にとっての、たったひとりの父親だったよ。
俺にとっては、かけがえのない日々だった。


感謝していたと、一言伝えられれば良かったんだろう。
だが俺はあの頃から何も変わっちゃいねえ、不器用で口下手なクソ野郎だった。


光を失いこと切れた男を前にして、その顔を瞼に焼きつける。
最期まで呼べなかったその呼称を、一陣の風がさらっていった。

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