小説
□嘘つきハニー
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かつて月で生きていたお姫様。時として短く心として長い人生を送った彼女は、かつて愛した従者に看取られながら消える筈でした。
ですがそれは夢のまた夢の話、彼女の従者には別に想い人が居たのでした。人の気持ちに聡い彼女は、彼の事実に酷く傷付くも、彼の幸せを願い、彼と彼の想い人を結ばせるべく、奔走しました。
しかしそれは彼にとっては杞憂、一時の迷いの様なもので、想い人への想いは早々に切りをつけ、今の想い人である彼女、お姫様の為に生きると誓っていました。
するとどういうことでしょう、お姫様は自分とかつての想い人を何度となく傍に置かせ、遠くに逃げていってしまうじゃあないですか。
彼は混乱しました。
今まで共に過ごしてきたというのに、何故こんな仕打ちを受けなければならないのか。過酷な戦場下で、共に過ごす内に恋愛感情が芽生えるのも可笑しくないというのに。それもずっと傍で、四六時中共に居たというのに。
彼はそれを迷盲と受け取りました。
こんな筈がある訳がない。
こんな終わりがあって堪るか、と。
それから彼は彼女を追い、迫り来る彼女の最期をせめて看取るだけでも、と切に願い、心に決めていました。
ですがそれも虚しく、お姫様はそれをも拒絶しました。それは彼の為にならないと思ったからです。
彼は困惑しました。
自分は一体何をした?
自分の何が悪かった?
自分の何処が気に喰わなかった?
もしや自分は彼女に必要とされていないのか?
拒絶する彼女の手、届かない自分の掌、開いた距離、感じる筈のない、偽りの水底の冷たさ。ここにある全てが、自分という何もかもを否定する様で。
否定され、拒絶され、突き飛ばされた海面の上で、彼は、慟哭することさえ許されず、地上に帰るべきかつての想い人を抱え、彼女の命に従うしかなかったのでした。
何という茶番!
何という悲劇!
これでは誰も救われない!
例え命は救えても、誰の心も救えてはいないじゃあないですか!
――さて、一番の被害者は誰でしょう?
そして願いは巡りめぐる。
「ねぇ、アーチャー」
「何だね、マスター」
「どうして貴女が此処に居るの」
「私は君のサーヴァントだ。傍に居て何が可笑しい?」
「違う、違う。そうじゃなくて、」
一体、どうして。
足元に広がるのはここまで私を守り通してきてくれた、大切なサーヴァントの血と、赤黒く染まった彼女の桃色の髪。
噎せ返る様な、血生臭い、鉄の匂い。
「ご主人…様ッ……はや……く…逃げてっ…!」
しとど血を流し続ける彼女の肢体に目を奪われ、どうしようもない恐怖が襲い足が竦む。
「アーチャーは…私のサーヴァントじゃないよ……、だって、あの時、凛と一緒に、」
「彼女は地上に返した。既に私の役目は終わっている」
「あの時、確かに願った筈だ…!貴方は彼女と一緒に居るべきだと…!!」
途端、彼は笑い出した。何時かの記憶にある嫌味ったらしい笑い声でなく、本当に、如何にも可笑しそうな。
「ああ、そうだ、そうだな、確かに私は君の願いによって現実に縛られた。どんなに願おうと、どんなに叫ぼうと、此方に来ることなど、出来なかった」
――――だが。
彼の嗤い声が止まった。
「それは、本心ではなかったのだろう?」
何を言っているのか理解できなかった。思考が止まる。息が詰まる。歯が音をたてる。冷や汗が止まらない。
「心の奥底でもう一度私に出会えたら、どんな形であれ、私を一目見ることが出来れば、どこかでそう思っていた筈だ」
「違う」
「違う?なら何故私は此処に居る?それをどう証明出来る?」
「………それ、は、」
「出来ないだろう?説き伏せられている時点で、答えはもう決まっている」
「………!!」
赤黒く染まった彼の手が、目の前に差し伸べられる。
手を取れ、というのか。
「さぁ、行こう、白野。ここじゃない何処かへ」
君が吐いた嘘は、君が責任を取らなければならないだろう?