拍手御礼小話2

□Crimson Night
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……こんなことって、あるんだろうか



Crimson Night



 A purple sunset―――…最愛の恋人の瞳を思わせる美しい日没。ここ数日の間、ほぼ缶詰状態で社長室にてモニターと向き合っていた瀬人は、久し振りにプライベート用の携帯電話を手に取った。完璧主義者の彼にとって、これは一段落を意味する。
 受信ボックスには、会えない日数分のメールが溜まっていた。「無理すんなよ」だとか「ちゃんと眠れよ」だとか。これがここに届くまでに、相手がどれだけの逡巡をしたのかと思うと、思わず笑いが零れた。何度言ってもわかってくれない、例えスクロールの面倒くさい長文だろうと、お前からのメールを疎ましく思うことなど絶対にない、と。言葉を選びすぎて、らしくない気遣いばかりの何とも微妙な一言文になっているのだ、恋人に我儘の一つも言ってもらいたいという男心を少しは理解して欲しい。
「……仕方あるまい」
 要件だけを伝えるメールを作成し、送信ボタンを押した。



 
「…これは……困ったな…」
 瀬人が遊戯を呼び出し、ひとしきり愛し合った数時間後。あまりの甘い雰囲気に、嫌がらせのつもりでキムチ鍋をした緑海馬、こと一昔前の瀬人である。マインドクラッシュをされてからというものの、現在の海馬瀬人の『心の部屋』にてゆっくり休養もとい幽閉生活中。最近では料理まで覚えてしまった(とは言ってもイメージするだけなのだが)。
 キムチ鍋の原因―――つい先程まで、腕の中で眠る遊戯の可愛らしい(こちらの瀬人も確実に影響されて来ている)寝顔を蕩けるような笑顔で見つめていたのだ、もう一人の瀬人は。髪を撫でてみたり、戯れにキスなどしてみたり。言ってしまえばひたすらに「愛しい」という気持ちでこの心の部屋は満たされていた。そこに居住している身には堪らない。身体がべたべたするような気さえして、自分以外の感情に侵される不快感を思い知れ、と思いきり辛いものを用意したのだ。が、結局はとんでもない甘さに負けて、ただキムチ臭いだけ。やりきれない。
 大体何だ、もう一人の自分にとって、こちらの遊戯はビタミンか何かなのだろうか。
 長い間不足すると著しく体調(機嫌もだが)を損ね、今日のように摂取すれば肌の調子まで良くなる始末。執着のレベルを軽く長い脚で跨いでしまったようだ、残念なことに。そうならそうで定期的に摂取しろバカ者。……会いたい時に会える、そんな恵まれた間柄なのだから。

 そんなことを考えていたら、口直しのローズヒップティーが妙に苦く感じて。

「……ん…?」
 どうせなら、と前回のように遊戯をからかってやろうと部屋の扉に手をかけた…のだが、


 開かない。


 もう一人の瀬人は満足して眠ったはず。しかしこの扉が開かない理由は、彼以外には考えられないのだ。
 もう見たくもないんだが…と思いつつ、もとより自分の自由を制限されることが嫌いな瀬人は、仕方なく外の世界を映すモニターにスイッチを入れた。
「……ッ遊戯…?」
「よう、久し振りだな」
「…何…??」
 何処か上擦ったもう一人の瀬人の声が響く。見てみれば、ぐっすり眠っていたはずの遊戯が大きな瞳をぱちりと開き、瀬人の身体に馬乗りになって顔を覗き込んでいるのだ。それがまた、子供っぽいと言うよりも、神話にでも出てきそうな夢魔の如き蠱惑的で妖艶な笑みを湛えている。
(……あれは…!!)
 もう一人の自分の視点に映像を切り換え、その遊戯の視線を捉えた刹那、瀬人はザワザワと身体中鳥肌が立つほどの興奮を覚えた。遊戯の態度の豹変ぶりに心臓をどぎまぎさせる瀬人の心の部屋で、それこそ心が乱れ騒いで堪らない瀬人が叫ぶ。
「代われ!今すぐ!ボクを……オレを表に出せ!!」
 取落したモニターのリモコンがティーカップを床に落とし、盛大な音を立てて割れ、紅い液体が真っ白な床を染めたためだろうか。


 それとも、その叫びがあまりにも必死で、悲痛ですらあったためだろうか。


「ぐっ…ぅ…」
 普段は滅多にもう一人の自分の存在に目を向けない瀬人が、頭痛に顔をしかめた。
「頼む…!お前がもう一人のオレならばわかるだろう!!会わせろ、その『遊戯』にオレを会わせろ…!!」
「くっ…きさ…まッ…」
 縋るわけではないが、痛みの中で真正面の遊戯を見てみれば、ただきょとんとしているばかりだった。こちらの瀬人が愛する遊戯ならば、今頃涙目でおろおろしてメイドなりモクバなりを呼んでいる。
 それを認めた瞬間、表現し難い脱力感に襲われ、気が付いた時には既に、『海馬瀬人』の虹彩は金へと変化していた。

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