scherzando

□夜咲花儚【本編その7】
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【初事遊戯】




 初めて泣いているところを見た時に、あぁ俺が守ってやらなきゃ、って思ったんだ。


「大吟醸!もうとにかくお酒!」
「…春樹殿、いい加減落ち着いて下さい…」
 比較的誰よりも早く暴走する傾向にある瀬人がついていけないほど、今の春樹はどうしようもない衝動に駆られて酒を煽り続けているようだった。
「…一体、どうされたんですか…春樹殿らしくない…」
「…っぷはー…俺はいつもの俺だよー…?了を盗られて悔しい時はいつでもここに飲みに来るわけ。恭ちゃん付き合わせたこともあったし……朝までずーっと」
 瀬人の一瞬の表情を見逃さず、春樹は苦笑する。
「平気だってー…今日はちゃんと約束通り夜の間に帰ろーと思ってるから」
 春樹は一人早々に追加分までを飲み干した。
「……私が相手でよろしいんですか?」
「瀬人くんがいいんだ、俺たちよく似てるしねー…」
「…似てる…?」
 瀬人が意味を分かりかねていると、春樹は肴の皿から楊枝を持ち上げ、難なく深々と畳に突き刺した。
「…例えば、父親殺し」
「……何を…」
「瀬人くんのこと責めるとかじゃないよ。それに、瀬人くんに殺意があったなんて俺は考えてないしね。うん、その点は俺と違うかなー」
 確か、春樹の父親は病死だったはず…と瀬人は確認してから、慎重に口を開いた。
「…春樹殿の父君は…その、志摩家の財政を著しく傾けたと聞いておりますが……」
「有名な話だもんね、一時は没落寸前でさー…母さんなんかもう心労で死んじゃいそうだったんだ。今じゃ元気に領土一つ治めてるけどー」
 春樹は志摩の土地に母親と義弟(元従弟)を残して上京してきているのである。彼にそうまでさせる理由は、やはり獏良了なのだろうか。
「……俺はあの男を心底殺してやりたいと毎日思っていたよ」
「…春樹殿…」
「物心ついた頃から母さんや叔父さんが苦労する姿を見て来た。その原因を作っているのが、滅多に屋敷に帰ってこない実の父親だって知った時は、さすがにショックを受けたよ。まぁ、こんな奴と血が繋がっているのか、っていう嫡子としてはかなり失格な思いだったんだけどねー…」
 畳から突き出たようになった楊枝の頭をいじりながら、春樹はまるで世間話でもするように軽く亡き父親への憎しみを口にする。
 義父の話自体を避けて来た瀬人にとって、それは奇妙な光景であった。
「…ご先祖様が戦で使った日本刀が床の間に飾ってあってさ、手にとって刀身を眺めてたらこう…変な使命感みたいなのが沸き上がって来たんだ。これで、これを寝ている奴の首に振り下ろせば、いや振り下ろさなきゃいけないんだ……って。そういう時って、理性なんてどこか遠くに行っちゃってるんだよね、気付いたらもう父親の枕元に日本刀持って立ってた」
 行灯の暗い光が春樹の横顔を照らす。

「……母さんに止められたよ」

 瀬人はそっと安堵の溜め息を漏らした。
「その日も、酒好き女好きの奴は夜遅くに酔って帰って来た。叔父さんがわざわざ迎えに行ったんだ。その叔父さんを殴って、ずっと起きて待っていた母さんも殴っていた。そんな男を、母さんは庇った。俺には信じられなかったよ、奴が父親だってことも、それを母さんが庇ったことも」
「……私も、弟に厳しく当たる義父を恨んでいなかった、とは言えません」
「…でも、日本刀は持ち出さなかったでしょ?」
 そう言われると頷くしかない。ただし、瀬人は義父が生きる糧としていた政治を彼から取り上げたのだから、純粋な殺人をしようとした春樹よりも罪が軽いとは思えなかった。
「あと何年かすれば、俺が家督を継ぐことになる。だからそれまで我慢して欲しい、ってそういうことだったんだよね。確かに、俺一人っ子だったし、父親殺しで首刎ねられるわけにはいかない。だから、俺は母さんや叔父さん、従弟を守るために父親に従うことにした。その覚悟をしたのが十一歳の時かな、父親に連れられて東京に出て来た」
「……そこで、了殿と出会ったと?」
 何故か、春樹の表情は暗かった。
「…たまたま、屋敷を借りたところが吉原の近くでね。…まぁもちろん、あの親父の性格を考えれば意図的だったとしてもおかしくはないけどさ。だから、父親が遊興している間によく夜の吉原を探検してた。たかが十一歳のお子様が歩き回っていたって、誰も声なんかかけないからね。そしたら、ある路地裏でね、洗濯してたんだよね了が」
「……七歳弱、というところですか」
 瀬人の推測だと、山城家から誘拐されて一年と少しのはずだ。
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