三井長編 続編・番外編
□Mes vœux
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店を出て、三井は足柄方面に向かって車を走らせた。山道を進むにつれ、先日の雪の溶け残りが少しづつ景色を白く塗っていく。行きあたった先は大きな寺だった。
「ここに行ってみようと思った時にさ、他にもやりてえこと考えたら、9時には出ねえといけねーなと。おまえはもっと寝てたかったんだろうけど」
『大乗山最雄寺』
周囲を大杉に囲まれ、静寂さをひときわ際立たせている。 荘厳な雰囲気が、さらに空気を冷たく感じさせていた。本日の御参りツアーの締めくくりはここらしい。
「寒くねーか?」
「寒くないっていったら嘘だけど、大丈夫」
それにしても、思ったより広い。山の斜面に堂塔が建てられており、奥の院まで行くにはゆるゆると坂を登ったあげく、最後に400段の階段が待ち構えていた。
「明日、筋肉痛になるかも」
「鍛えてねえからだ」
確かに上に行けば行くほどキツい。ペースを落とせばそのまま上りきれそうだったが、紫帆は甘えてみたくなった。
「つらいんですけど〜」と三井の腕にぶらさがるように掴まれば、「重てーな! 運動不足すぎんだろ」と言いつつも引き上げるように上り続けてくれる。
「なんのためにうなぎ食ったんだよ」
「え! このためなの!?」
「それは冗談だけどよ。重っ、こんな負荷つけてトレーニングみてえ」
「一石二鳥でしょ?」
それどころか、階段の上り下りで体が温まり、寒さが気にならなくなってきた。境内に戻ってから、もうちょっと歩けるか?と三井は本堂の裏にのびる小径を指した。
杉並木に迎え入れられるように続く道はどこにつながっているのか。さらに両サイドにはあじさいが植えられており、『あじさい街道』と記されていた。シーズンには色鮮やかできれいなことだろう。ふたりでゆっくり歩くにはちょうどいい。なんだかんだと2,30分いくと、ひっそりとお堂があった。
そのわきには、子供の背丈ぐらいあろう大きな赤い下駄が奉られている。石碑に書かれた記述を読んで、もしかして三井はこのためにここに来たのかと紫帆はハッとした。
下駄は左右一対そろって役割をなすところから和合の信仰が生まれました。ふたりのご縁が長く固く続きますように―――
夫婦円満、恋愛成就の象徴であるらしい。
午前中の合格祈願のおざなりさとは一転して、今度は紫帆のほうが長く手を合わせていた。隣にいる不愛想でぶっきらぼうで単純だが、優しい彼と一緒にいられますように。
今の心温かな幸せが続きますように。
「ちゃんとお願いしたか?」
「うん、しっかり」
三井は柔らかく微笑むと、紫帆の手をとり、またゆっくり来た道を戻りはじめた。
今日は三井が好きだと再確認したようなものだ。そしてもうひとつ。けっこう信心深いんだな、と彼の新たな側面を見つけた気がして口元が緩んでしまう。
「おまえ、またニヤニヤして、やらしくね?」
「いやらしいのは寿でしょ」
「そうだなー、うなぎ食って精つけたしな」
「こんな神聖なところで何言ってんのよ……」
“信心深い”は取り消す必要があるかもしれない、と紫帆は思った。