三井長編

□conte 20
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新緑の香りを含んだ気持ちのいい風が吹き抜ける中、坂道を下っていくと駅が見えてきた。その向こうには少し傾いた日が海の潤んだ青に溶けていくのが見える。

電車に乗って藤沢まで行ったら、そこで三井とはさようなら。駅に着かなければいいのにと心の中で駄々をこねても、一歩一歩近づいていってしまう。
その間、他愛のない話をしていたが、三井がチラッと時計を見た。

「おまえ、時間ある?」

下りてみねーか? と三井が言った。その指差す先には人もまばらな七里ヶ浜。

「あるけど、三井さんこそ約束あるんでしょ?」
「それ夜だから。時間潰すの付き合えよ」

サッサと駅を素通りし、横断歩道に向かっていく後ろ姿を急いで紫帆は追った。半ばうつむきながら、口元がほころんでしまうのを唇をギュッと結ぶことで何とかしのぐ。

だめだ── 今、自分は絶対に気持ちを隠せていない。振り返らないでほしい。その願いが通じたのか、ちょうど信号が青になり、三井はそのまま進んでいった。

三井にしても、自分から言い出したはいいが、紫帆の表情を確認する余裕はない。
時間があったから。海がきれいだったから。
さまざまな言い訳が浮かぶが、同時に田岡の言葉も頭をよぎる。

これからといっても、何か明確なビジョンがあるわけではないが、以前にも感じたことのあるもう少し一緒にいたいという衝動を優先した結果がこれだ。
どう言おうか迷ったが、結局はいつも通りの物言いになった。


波もおだやかで、エメラルドブルーに輝く海原にはサーファーの姿もなく、犬の散歩で訪れた人が時折通りすぎるだけ。静かだった。

「寒くねえか?」
「大丈夫」

ヒールのないバレエシューズで良かったと思いながら、紫帆は砂浜に踏み出した。

波打ち際に近づくにつれ、だんだん潮の香が強まってくる。規則正しく寄せてくる波の音が、耳をなでるように聞こえた。
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